第10章 兄妹の結末(6)

 エルカは彼をずっと実の兄として見ていた。

 生まれた時から、彼はエルカの兄だった。

 でも本当は……


「お前はオレの過去について知っているよな?」

「うん」

 エルカはジッーとナイトの言葉を待っていた。


「オレがあの人たちの子供でも何でもないって話」

「うん、知っていたよ」

 きっぱりと頷くエルカにナイトは苦笑する。


「………お前が知らないのなら黙っているつもりだった……でも、お前は知っていた。知っていて知らないフリをしていた」

「どうして、私が知っているって気付いたの?」


「無意識だろうけど、お前は考えてオレと接していたからな」


「そうだね。どうすれば妹らしいかなって考えていた。だって、妹として見て欲しかったから。私は今でも貴方たちのことを兄として見ているよ。それは、信じて欲しい」


 そう言って見上げるエルカは不安そうな表情を浮かべた。その表情にナイトは苦笑する。


「………それは、分かっている。無理をして妹を演じているわけじゃないってこともな。オレだって同じだ。嫌々、兄になったわけじゃない……まったく、そういう捨てられた仔犬みたいな表情、浮かべるなよな」


 彼の手が頭にのせられると、たまらなく安心してしまう。

 でも……


「こ、子供扱いはしないでよ」

 頬を赤らめて払おうとした手をナイトは握る。そして、慈しむように義妹を見つめた。


「オレから見れば、お前はまだまだ子供だよ」

「………」


 エルカは自覚していた。ナイトを前にすると、どうしても子供になってしまう。仕方ない。だって、ナイトは…………隣に座るこの男の人はエルカの為に用意された兄だったのだから。


「オレがここにいる理由。それは……お前にオレの過去を教える為だ。お前は知っているだろうけど、オレの口から教える為だ。やっぱりオレの口から伝えたい。でも、知りたくなければ話さないよ」


 言いながらナイトは掴んでいたエルカの手を離す。離した手で、何度も頭を撫でた。


「私が聞いた話はお爺様から聞いた話だけ。だから教えて。貴方の口から」

「ああ、お前の望みなら。オレは叶えてやれるよ」


 ナイトは静かに語り出す。


「オレは奴隷の売れ残りだった……何者でもない子供。名前もなければ、生きる場所も目的も、何もなかった。あの爺さんが現れるまではな……」




***


***



 その時の、彼には名前がなかった。あるのは奴隷に付けられた番号。

 “Ⅸ≪ナイン≫”と呼ばれていた。

 物心がつく頃には奴隷だった。自分が奴隷以外の何者かであった、その頃の記憶がなかった。きっと不必要な物だったのだろう。

 彼は余計なことは考えなかった。


 奴隷の容姿はみすぼらしい姿。ボサボサの髪。土気色の肌。首輪は錆びていた。継ぎはぎだらけの布の服から伸びる手足は痩せ細っている。


 目つきだけはアサシンのような鋭い光を放っていた。だけどスラム街で売られる奴隷には必要のないものだった。彼を買う者はいなかった。凶暴な獣を奴隷にする者はいない。


 彼はいつの頃からか、売れ残りとして放置されていた。


 魔法使いが奴隷市場に訪れたのは気まぐれだった。

 この奴隷市場で売れるのは見目麗しい者か、体力の在る者。愛玩動物のように扱われ、飽きたら捨てられるか。道具のように扱われ、過剰な労働を強いられるか。そのどちらでもなかった者は、何もせずに死を待つだけ。


 魔法使いは檻の中の隅で倒れているⅨを見つけた。

 売れ残りとして、ただそこで死を待つだけのⅨを魔法使いは買い取った。


 そして、屋敷に連れ帰ったのだ。


 Ⅸは自分を買ったのが魔法使いだと知ると自分は実験体になるのだと悟った。死は覚悟していた。だけど、そこで出会ったのは、死とは無縁の出来事だった。


「さぁ、まずは風呂に入ろう」

「風呂?」

「何だ、知らないのかい? 仕方ないなぁ」


 そう言って魔法使いは服を脱ぐ、Ⅸも脱がされた。湯気が立ち上がる湯舟の中に問答無用で放り込まれた。

 

 さて着替えをしよう、そんな話になったときⅨは困惑した。服の着方がわからない、そう言っても彼は殴らない叱咤しない。笑いながら、教えてくれた。


 着替えが済むと、大きなテーブルと椅子の並べられた部屋に案内された。テーブルの上には料理が並べられていた。どうやら、食堂らしい。


 見たことのない料理に目を見開く。

「あったかい……」


 この世界に、こんな場所があるなんて。Ⅸは、これは夢なのだと自分に言い聞かせた。

 世界はとても冷たい。

 奴隷市場のように、冷たい世界だ……


 目が覚めれば、夢が終わり。

 また冷たい世界に戻るだけ。


 綺麗な姿になったのも、美味しいものを食べさせてもらえたのも、実験体になる為。そうなのだ、そうなのだと自分に言い聞かせる。

 まだ、自分は実験体になるのでは……そんな思いは拭えなかった。


 魔法使いから呼び出される。おそる、おそる、呼ばれた部屋に足を踏み入れた。魔法使いはニコリと微笑みながらⅨを迎え入れる。


「お前に生きる場所と、目的を与えてやろう」

「……え」


 濁った目に光が差し込んだ。

 魔法使いの腕の中には生まれて間もない赤子がいた。


「この子は?」

「孫娘だよ。お前は今から、この子の兄になって欲しい」

「どういうことだ?」

「……この子の両親が、この子を愛していないからだ」


 無垢な瞳が誰かを探している。小さな手が伸ばされ、それをⅨは握りしめた。微かな力で握り返されて胸が熱くなるのを感じた。どうして、この子の両親は愛することを放棄したのだろうか。

 握り返された瞬間、感じたのは愛おしいという感情。


「これが、生きる目的?」

「ああ、そうだよ。お前はこの子を守る為に生きるんだ」


 この子を守りたいと思った。

 だけど……


「………他の連中じゃなくて、どうしてオレ……」


 他にも奴隷はいたはずだ。見目麗しいものも、教養のあるものも。いや、奴隷なんかに任せる必要はないだろう。もっと、まともな人間がいるというのに。


「じじぃの勘だ」

「え?」

「ビビビと来たのじゃよ」


 ハッハッハーと大笑いをする。

 ふいに、手が握られた。


 視線を移すと、心配そうな目がこちらを見つめて来る。この子は幼いながらに、愛情を求めている。それに応えてやれるのは、自分しかいないだろう。


「わかったよ。オレが愛情を与えて育ててやるよ」

「やはり、お主で良かったよ。この子を護れる騎士となれる者を、探していたのだよ。頭が良いから、今後のことも心配あるまい」

「頭が良いっていうのは褒め過ぎ」

「奴隷はバカな方が、道具として扱いやすいからな。お前のように頭が良い上に強い奴では、後で寝首をかかれる可能性が高い。だから誰も買わなかったのさ」

「そうなのか?」

「まぁ、そんなお前が残っていてくれた。感謝するよ。今から、お前はこの子の騎士だ」


「………オレが騎士……」


「そうだな、お主に名を与えなければな……お主はもう奴隷などではない、この子の兄……ナイトだ」


「それが……オレの名前」

 奴隷Ⅸは、もうどこにも居ない。たった今からこの子を護る兄となった。


「オレは誓う。オレの全てはこの子だ、オレの命はこの子のものだ」

 ナイトは魔法使いの目をジッと見つめて誓いを捧げた。

 

***


***


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます