第10章 兄妹の結末(5)

*


**


***


 エルカは大きく深呼吸をした。


 少しだけ強引だったかもしれない。

 ソルを押し出して扉は再び閉ざされた。

 もう、この扉が開くことは無いだろう。

 これで、誰も邪魔をしない。


「………」


 固く閉ざされた扉を見据えて、自然と笑みが零れた。

 これを求めていた。

 誰にも邪魔されない、自分だけの空間。


 ここなら、



――誰も私を傷つけない

  私は誰かを傷つけない――  



 ずっと、ずっと、本を読んで過ごそう。

 それが、エルカの望んだ世界なのだから。


 エルカは漏れ出した笑みを隠さなかった。ここには自分しかいない、誰にも見られないのだから。どんな表情を浮かべても構わない。

 ズラリと並んだ本を眺めながらうっとりと目を細める。

 これだけあれば、いつまでも楽しめそうだ。


「お前って隙だらけだよな」


 声は思わぬところから聞こえた。


「え?……その声、兄さん?」


 振り返ると、兄の姿がそこに在る。部屋の中にあるソファーに座っていた彼は立ち上がって、ニコッと笑う。その笑みに寒気を感じた。


 先ほどまで、彼はここに居なかった。

 そこには誰も居なかった。


(どういうこと? 扉の鍵は閉めた……扉はこの一つしかないはず)


 それなのに何処から入ってきたのだろうか。首を捻って考えても答えは出てこない。答えを知っているのは、目の前の彼だけだろう。


 エルカは無言で、彼を見据える。その答えが語られるのを待つ。


「………あいつはこの扉を開けることが出来た。扉を開けることは出来ても連れ出すことは出来なかったようだな。仕方ないよな……そのための道具を持っていなかったのだから」

「?」


「あいつは、それで良い。お前たち二人は和解した。二人の共通の夢でもあった家族になることは果たされた。それで十分だろう」

「………」


「だが、あいつはお前が抱えていた別の事情を知らなかった。不登校になって地下書庫に引き篭もるようになった……その理由を………な」

「………」


「だから連れ出すことは不可能だ。まぁ、オレもお前たち二人の間にあった事情は知らなかった。兄貴失格だよな、全く」

「何を…………言っているの?」


 分からない。自分だけ納得して、話を進める。そんな兄の姿にエルカは苛つきを感じ始めていた。気付いているのだろう、兄は不敵な笑みを浮かべてみせる。


「この【図書棺】はお前の意思で造られたものだよな?」

 その問いに、エルカは首肯する。


「半分正解……お爺様の残してくれた知識があれば、難しいことじゃないから」

「半分というのは?」


 兄が眉根を寄せる。このことを彼は知らない。そう思うと、どうしてか嬉しくなった。エルカは棚の上にあった本を取り出して見せる。ボロボロになった古い書物には様々な魔法が記されているのだ。


「この魔法書に書いてあるの」

「魔法書か」


「発動条件……それは、死の淵にいること。完全に死んでしまってはいけない。仮死状態のような状態ね。そして、文字が書かれている冊子……つまり本が必要」

「死の淵にいたってのは分かるけど……お前は、あの状況で本を持っていたのか」


「いつでも読めるように持ち歩いている本もあるし、玄関にもリビングにも廊下にも置いてあるでしょ。どこでも魔法を発動できるようにね。ナイフと本、どちらが大事かと聞かれれば……私は本を選ぶよ。本が一番大事だもの」

「………そうか」


 エルカは、ソルの手で連れ出される最中に咄嗟に手を伸ばして本を手に取った。持ち歩いていた本はどこかで落としてしまった。何でも良かった、何でも良いから本の感触が恋しかった。


「これで魔法を発動して、棺の空間が完成されたの。現実世界の私は眠り続ける。もしも眠り続ける私が誰かに殺されて、本当に死を迎えてしまえば……私は本となって……この棺の本棚に納められる」

「そんな魔法があったのか……」


「魔法にも色々あるからね。私が造ったのは図書棺への入口。図書棺を造ったのは古の魔術師で、図書棺ここは常世と現世の境目に存在するもの……だそうよ。訪れる魂によって、見える風景は異なるみたい」

「訪れる魂?」


「ここには目に見えないだけで、たくさんの死にかけた魂が存在している。まぁ、棺の存在を知らない殆どの魂は何も知らないまま本になって図書棺の何処かに納められるの」

「……」


「ソルに連れ出された時、私は煙を吸って意識が朦朧もうろうとしていた。この機を逃したくなかったの。仮死状態に限りなく近いからね。そして魔法を発動させた。誰かが現実世界で私を殺さなければ、命が尽きるまで誰にも邪魔されずにここで本を読んで過ごせる。死んでしまえば私は本になる。本になったら読むことは出来ないけど、まぁ仕方ないよね」


「魔法を発動? 魔法なんて使ったこともないのに?」


「使ったことがない? そんなわけないよ」


「……え?」


 乾いた笑みがナイトに向けられる。

 今までエルカの口から魔法について語られたことは殆どない。だから、ナイトは忘れかけていた。彼女が魔法使いの血を引く少女であることを。


「どんなに否定しても私は純血の魔法使い。それも近視相関により生まれた私が魔法と関わらないで生きることはおそらく難しいこと。だから最低限の扱い方は教えて貰っていたの。私が私として生きる為に」

「そうか……そんなこと、知らなかったな。魔法が使えたなんて、凄いよ。お前」


 ナイトは驚いていた。エルカはナイトの前では、弱くて脆くて活字中毒で引き篭り、手のかかる妹でしかなかったのだから。


「兄さんの方が凄いと思うの。だって、この空間は私以外を拒絶している。そういう風に作ったはずなのに……鍵を持っていたソルは入ることが出来た。だけど兄さんは鍵を持っていない。どういうことかな?」


「オレはお前の人生の一部だ……どんなに拒まれても側に居るよ。切っても離れられないのがオレだ」


 エルカは小首を傾げて兄を見上げる。今はエルカが魔法について語る時間ではない。エルカが知りたいのは、どうして彼がここに居るのか。その理由が少しずつ見えるのを感じた。


「だから、にもいたのね。本の中にも。私が居るから、兄さんも入ることが出来たってこと。それは、お爺様の差し金かな?」

「まぁな」

「それなら、納得ね」

「さて、そこに座りなよ。ソルは追い出せても、オレは追い出せないぞ」


「………わかった」


 二人は探り合うように視線を交わして、ソファーに並んで座る。エルカの祖父が関わっているのなら、言葉通りナイトを追い出すことは出来ないのだろう。

 それならば、ナイトの意思で立ち去って貰わなければならない。


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