第10章 兄妹の結末(1)

***


 ここは、あの地下と同じ。

 誰も干渉してこない最高の空間だった。


 視線の先に扉があった。だけどそれは飾りだ。

 引き篭もりのエルカにとっては、扉でも何でもないもの。


 だから「扉の形をした壁」として彼女は認識していた。


 ギィ……


 そのが静かに開かれた。


「どうして? 鍵は閉まっていたはず。そもそも、それは扉じゃないのに」


 開くはずのない扉が開いた。そのことにエルカは驚きを隠せない。

 紅い瞳を凝らしてその先を見つめた。

 扉の向こうは漆黒の闇。そこに彼は現れた。


「それは簡単だ……鍵はあるからな」


 エルカの独り言に答えるように、落ち着いた口調で彼は言う。

 静かに現れたのはソルだった。エルカの視線はその手の鍵に向けられる。

 その鍵には見覚えがあったのだ。


「……その鍵。お爺様の鍵はソルも持っていたんだね。その「魔法の鍵」なら、どんな扉だって開けることができる」

「そうらしいな………あれ? 鍵が消えた。これも魔法ってやつか?」


 ソルの手に握られていた鍵が静かに消えていく。魔法の鍵はその役目を終えると存在そのものが消えてなくなるのだ。


「………そうだね」


 エルカは少しだけ困っていた。

 ソルとは、いつ以来の対面なのだろうか。ほんの少し前に会ったような気がする。ずっと会っていなかったようにも思える。


 こうして、向き合って会話を交わすのは、ずいぶん久しぶりのことだった。最近では目を合わせることすらも避けていたのに、自然と目と目が交わされている。


 エルカはソルの瞳を見つめた。


 怖かったはずの視線が、少しも怖くない。


 エルカは知っていた。彼の目は怖くなんてないことを。


――怖いと思っていたのは、彼が望んでいたから。


「もう、も良いよね」


 エルカはニコッと穏やかな笑みを浮かべる。その笑みにソルは首を傾げた。


「何をだ?」


「……私がってこと」


 その言葉にソルは目を見開いて、まじまじとエルカを見つめる。

 

「ああ…………って……待てよ……怖くないのか? 俺が」


 慌てふためくソルに、エルカは大きく頷いて見せた。


「怖かったよ。でも、それは何を考えているのか分からないから。本当のソルのことを思い出したから、今は怖くない……何を考えているのか分からないままだけど、怖くない。って頼まれても、もう聞かないよ」


「…………そうか」


 ソルは息を飲み込んで目を伏せる。

 確かにソルはエルカに自分を怖がるように頼んだことがあった。その約束に従って、エルカは今日までソルを怖がってきたことになる。


 ふいに、エルカの表情が一変する。穏やかな表情から、冷たい表情に変貌。濁った冷たい眼差しがソルに向けられた。


「どうして?」

「!」


 顔を上げたそこには、エルカの冷たい表情がある。

 刺すような視線がソルの全身を貫いた。つま先から頭のてっぺんに痛みが走る。激痛を感じるのに、身体は動かすことが出来なかった。


 エルカの暗い顔色と、濁った双眸から視線をそらすことが出来ない。


「……どうして……炎の中から私を助けたの? ソルにとっては何の得もないでしょ」


 エルカは口調を強めて、ソルに詰め寄った。

 ソルは炎の中に入ってエルカを連れ出した。エルカはそれが不思議で仕方がなかったのだ。


「それは……何となく」

「何それ? 何となく炎に飛び込んで助けたの?」


 エルカは呆れたように渇いた笑みを浮かべると、数歩下がる。

 それがソルに対する拒絶の距離だった。絶望したような視線を向ける。

 

 その表情から嫌な予感を感じたソルは賢明に首を横に振る。



「ちがう」


 自分の気持ちを口に出すことが、こんなにも緊張することとはソルは思ってもみなかった。だけど、ここで言葉にしなければ後悔してしまう。だから、声を震えさせながら、気持ちを吐き出すことに決めた。


 無表情でこちらを見るエルカに、ソルはゆっくりと近付いて行く。


「ちがう………


 お前は…………


 俺にとって………


 大事な家族だからに、決まっているだろ‼」


「!」

 エルカは思わず空気を飲み込んだ。


 それはいつものソルの姿。いつものように、怒鳴り声を上げた。この声がエルカは少しだけ怖かった。


 だけど、今は全然怖くなかった。怖くないけど、胸の奥が痛かった。

 胸に手を当てて目を閉じる。

 凄く痛い、どうして、痛いのか、エルカには分からない。


「ちょ、ちょっと、待ってよ……………大事な家族…………なの?」

「はぁ? 家族だろ? 俺たち、今までも三人で生きて来ただろ」


――家族


 ソルの口からそんな言葉が吐き出されるなんて……

 そんなことは、エルカが予想もしていなかった。混乱する頭の中を整理するように、こめかみを抑える。


「な、何を言って…………っ」

「この野郎がっ」


 驚きの表情を浮かべて棒立ちになっているエルカにソルは速足で近づく。そして惑っている彼女の身体を力一杯に抱きしめた。


 エルカが思っていたよりもソルは大きくて、力があった。

 どんなに、もがいても逃げることはできない。


「………痛いって」

「バカなことをするから、お仕置きだよ……このバカバカバカバカバカバカバカ‼」

「ソル?」


 強い力で締め付けられるエルカの頬に冷たいものが落ちて来た。


(これは……)


「このバカバカバカ野郎」


 ソルが泣いていた。それだけは、はっきりと分かることが出来た。


「………バカだけど、野郎じゃない。私、野郎じゃない」


 いつの間にかエルカも泣いていた。


(どうしてこの人は、年上なのに子供みたいなことをするの? これじゃあ、我慢している私がバカみたいじゃない)


 溢れ出る涙が止まらない。そんなことをソルは気付いてもいないのだろう。


「うるさいなぁ! 俺はバカだからさ、どうすることが兄貴らしいのか……わからないんだ。だから、ナイトの真似だよ。これは」


「…………痛いって……兄さんはこんなことしない」


 ソルは力いっぱいにギューッと抱きしめる。

 息が苦しくなる力だった。


 彼は自分が男で大人である自覚はあるのだろうか。抗議の視線を送ろうとするが、頭を抱かれているから身動きが出来ない。


 頭を抱かれているから落ち着くことが出来た。

 ソルは、顔を見られたくないのだろう。頭を上げようとすれば、抱きしめる手に力が込められていて、思うように動くことが出来ない。。


「痛くしているんだ。当然だろ? そうしないと、お前って分かってくれないだろ。俺もそうだ。痛い目見ないと分からない、バカ野郎なんだよ」

「……意味がわからないよ」

「だから‼ 俺が家族としてお前を見ているってことを……いい加減に分かれよな」

「……っ」


 ふいに力が緩まった。


 ソルのぎこちない手が頭をゆっくりと撫でる。今なら、この拘束から抜け出せるのにエルカはその手に身を委ねていた。


「家族だからな! お前が隠していること、知っているからな…………おじさんと、母さんを殺したのは………俺の父親だな?」


「…………っ」


 ソルは絶対に気付かないと思っていた。抱きしめられているから、顔を見られていなくて良かった。きっと、今のエルカは酷い顏をしているから。


 だけど……


「この状態じゃ、何も話せない」

「そ、そうだな」


 改めて視線を交わす。

 お互いに酷い顏をしていて、なんとなく二人は微笑を交わした。




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