第8章 黒の夜(3)

***


「これは、いったい……」


 夜も更けた時刻だというのに屋敷の前を野次馬が埋めていた。

 深夜の火災に気が付いて集まった住人が呟く。

 その声は震えていた。


 彼らの視線は燃え盛る炎の中から現れた若者に固定されている。

 誰も彼から目を離せなかった。若者から漂う異常な狂気が、見る者の視線を手繰り寄せる。


「両親を刺した」


 誇らしげにソルは笑う。

 自分を褒めてくれと、言わんばかりの笑みに野次馬たちはゾッとした。

 騒ぎを聞きつけたのか、少しずつ集まる野次馬たちが増えていく。


「うるさかったんだよ………あの糞野郎たち……でも、これで静かになる」

「君、こっちで詳しい話を……」


 駆け付けた自警団員がソルの肩を押すと、ソルは抵抗せずに歩き出す。

 ザッと野次馬たちが左右に避けた。

 自警団員と共に歩き出すソルを住人の冷たい視線が刺す。


 ソルは心の中でほくそ笑む。



(全て、上手くいった。

 これでいい、これで終わる。

 これで、ソルが処刑されれば全て綺麗に消え去る。

 そうすれば、あいつらも………)



「あ……れ?」


 だけど、何かが引っかかった。

 胸の奥に、チクリとした何かが刺さる。

 ふいに足を止めて、屋敷を振り返った。


 大事な何かを見落としている気がした。


「こっちに……」

「中に、他に、住人はいなかったのか?」


「………」


 野次馬たちが声を潜めて会話している。

 その声が聞こえ、それまで高揚していた感情が一気に冷めた。


(中に、家の中に………)


「君、どこに行くんだ‼」


 ソルは自警団員の手を振り払って走り出す。

 近くにあった水おけをかぶって家の中に駆けこんだ。


「中は火の海だ、やめなさい‼」 


 静止を振り切って、燃え上がる炎の中に飛び込む。

 背中に向かって誰かが何かを叫んでいるが気にしてはいけない。


 家の中にまだいるはず。

 地下の書庫に彼女はいたはずだ。


 炎の中を、ひた走る。

 熱い、そんなことを考えている間はなかった。

 荒い息を吐きながら、全速力で走る。



 そして、無意識に足が止められた。


 顔を上げて、目を凝らして先を見据える。


 そこに、ぼんやりと人の姿が見えた。


 探していた相手を見つけて安堵する。


 同時に、違和感を抱いた。

 彼女が居たのは、いつも居るはずの書庫の中ではなかったのだ。


 その地下書庫に続く入口の扉の前。


「………」


 扉に向けられたのは暗い瞳と不敵な笑み。


 何かがぶつかる音が扉の向こうに響いている。


「……っ」

「………」


 ふいに視線が動いた。

 ゆっくりと、こちらを見る。


 視線と視線が絡み合う。


 エルカは一瞬目を細めた。

 手に持っていた鍵で地下書庫の鍵を閉めると、その鍵を炎の中に投げ捨てた。


「どうしたの?」


 ソルに視線を固定したまま小首を傾げる。

 燃え盛る炎なんて気にもしていないような涼しい表情を浮かべて彼女は笑う。

 抑揚のない声に、ソルの意識はクリアになる。


      


 すぐに、その問いが浮かび上がったが、今はそれどころじゃない。

 余計なことは考えない、気にしない、とにかく早く外に連れて行かなければならない。そう思って、彼女のもとに駆け寄る。


「……逃げるぞ」

「逃げる? どこに? 逃げ場所なんてないよ。私ね、お爺様の大事な書庫を穢してしまったの。私は自分が逃げる場所を穢してしまった」


 彼女は不思議そうにソルを見上げる。

 明らかに様子がおかしかった。


 これは、さっきまでの自分に似ているような気がする。

 我を失っている人間の目だ。


 さっきまでのソルは自警団に捕まって楽になろうとしていた。法に裁いてもらおうとしていた。今でもその気持ちに変わりはない。

 だけど、彼女のことを助けなければ捕まっても楽にはなれないような気がした。


 エルカは炎の中に残って楽になろうとしている。それをソルは阻止しようとしていた。自分の行動には矛盾しかなかった。ソルはエルカの腕を掴んでいた。 


「何言っているんだよ……逃げるんだ」

「どうして? 逃げるなら一人で行けば良いのに」


「この状況を招いたのは俺だからだ。俺の所為でお前を困らせたくないんだ」

「そうなの?」


 エルカはキョトンとした目でソルを見上げた。燃え盛る炎の中にいるのに、彼女は少しも焦りの色を見せていない。


「母さんたちを殺した……多分、火もつけたと思う。お前がいたのに」


「知っていたよ。殴っているところ、あの二人を殴り殺しているところ……私、見ていたから……」


 エルカは濁った目のまま笑みを浮かべた。

 その表情から不気味な美しさを感じ、ソルの背中を冷たい何かが流れた。


「………えっ」

「知っているよ。だけどソルは悪くないってこと。他に選択肢がなかったのよね。だから二人を…………」


 正気ではない視線がソルに向けられる。

 エルカはソルの心に踏み込むように、囁くように呟いていた。


「お前……行くぞ‼」

「だから、私は……」


 やはり、エルカは逃げるつもりがないらしい。

 このまま、炎の中に残るつもりなのだろう。そんなことはさせたくない。彼女のことをナイトから任されていたこともある。彼女を死なせたくないと思う気持ちはソルのものでもあった。


 だから、ソルはエルカの腕を力強く掴む。


「行くんだよ………っ」


「え?」


 悪いと思いつつも無理矢理、抱え上げる。

 断固として動こうとしなかったので強引な行動を取っていた。

 米俵を背負うみたいな形で不満だろうけれど、生きるか死ぬかの状況だから文句は聞けない。




***


***



 これが、ソルの知る事件の全容だった。

 言葉にするごとに、一つ一つの光景が心に重く圧しかかる。

 話し終えたのと同時に、目の前に映る光景が一変。


 そこは法廷でもなければ、黒壁の部屋でもなかった。


 エルカがプリン王子の本をみつけた、あの本棚の前、ソルが黒い渦に引き込まれた現場だった。元の場所に戻って来たのだろうか。現実世界ではなく、図書棺の中の……元の場所に。


「ここは………あの本を手に入れた部屋? さっきまで法廷にいたのに……」

「そうよ、ここで貴方とエルカは本を見つけた。エルカは本を開いてその世界に飛び込んだ。貴方は本の檻に取り込まれた」


 小さな魔女コレットは椅子に座って優雅に紅茶を飲んでいる。

 自由すぎる女だと思いながらソルは深いため息を吐いた。


「場所が変わったことは気にするなってことか?」

「理解が早くて助かるわ。そうよ、魔法使いの気まぐれをいちいち気にしてはダメなのよ」

「………事件についての話は終わりだ。あの後、俺とエルカは保護されて、俺は病室で目覚めて貴方と出会った」

「あら、私とはここが初対面でしょ」


 愛らしい笑顔を浮かべて魔女コレットは言う。


「………ああ、そういうことにしておくよ」

「話を聞かせてくれてありがとう。私が知りたいことは分かったから」

「これで、いいのかよ」

「ええ……さて、次に行きましょう」


 コレットは椅子からおりると、ソルに手を差し伸べる。

 差し出された小さな手を無意識に握っていた。

 

「次?」

「言ったでしょ? エルカのところに連れていくって」


「それは、この棺だろ?」

「そうだけど、あの子はもっと奥に行ってしまった。貴方もそっちに行ってもらうわ。これはソル君にしか出来ないことよ」


「そっちって………え?」

「はいはい、体験してきなさいよ」


 コレットがどこからか取り出した魔法のステッキをクルッとまわした。


 周囲が淡い光に包まれる。


「た……体験って……?」


 ソルの身体に光がまとわりつく。

 暖かいような、冷たいような変な感触。


「分かっているでしょうけど、あの子が描いた物語のモデルはなのよ」

「それは、気付いているよ………」


 ソルとエルカが過ごした時間からプリン王子の物語は生みだされた。


「だから、ナイトには出来ないことなのよ。彼はプリン王子の物語に関わっていないから」

「だから、俺なのか」


「きっとあの子は、この物語に残酷な結末を与えると思うのよ」

「それが事実だったはずだ」


「その結末をことが出来るのは、ソルだけよ」 


 足元に黒い闇が現れる。

 もがいても、光に囚われた身体は自由に動かすことが出来ない。ソルの身体は現れた闇の中に吸い込まれようとしていた。


「歪めるって言っても…………ど、どうすればいいんだ?」

「思い出させて……あの子が本当に描きたかった結末を……結末を歪ませるのよ」


 最後に見えたコレットの顔……

 それは懇願するような悲痛な表情だった気がする。

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