第8章 黒の夜(2)

 そこで、ため息を吐いたナイトと視線が合う。


 立ち聞きしてしまったことに後ろめたさを感じてソルは目を反らした。彼はいつもと変わらない、飄々とした笑みを向けてくる。


「じゃあ、バイト行ってくるな」

「こんな時にまで行くのかよ」


 あんなことを告げられて、彼女だって不安でないはずがない。

「こういう時は側にいるべきだ」と言おうとしたが、ナイトは首を横に振る。


「こんな時だけどな。あいつが側にいさせてくれないから、そのかわりにあいつの為に働いてくるんだよ」

「へぇ、名前の通りの騎士さんだな」


 皮肉っぽく言うと、苦笑が返って来た。


「まぁな、これは昔からの習慣なんだよ。お前が来るまでは二人きりの兄妹だったし、あの子を護ることは爺様からも言われていたことだしな。これは生きがいみたいなもんさ。お前が来てからは三人だったな」

「は? 何を言っているんだか」


 突然の家族宣言に思わず顔が熱くなる。彼らと家族だなんて、おこがましい。そんなソルの戸惑いに気付いているのか、ナイトは声を殺して笑った


「……じゃ、あいつのこと頼んだぞ」

「はいはい」


 去り行く背中に、ひらひらと手を振った。

 頼まれたところで、ソルには何も出来なかった。

 ナイトのように、養ってやれる力もない。


 自分の手のひらを見下ろす。

 暴れてばかりの傷だらけの手だ。この手では何もできない。

 

 地下書庫の扉を見据えた。


 そこが一番安全な場所なのだ。あの大人たちが近付くことはない。そこに篭っている限り、彼女は安全だと考える。


「頭……冷やしてこよう」


 裏口から外に出た。屋敷の裏口を使うのはソルしかいなかった。

 その扉が開く音は、地下に響くのだとエルカから聞いている。


 扉が開けば、ソルの不在は彼女に伝わっているはずだ。



***



 屋敷を出て、これからのことを考えていた。

 屋敷前の路地は滅多に人が通らない。考え事をするのに誰ともすれ違うことのないこの道は好都合な場所だった。

 太陽の光も殆ど届かない暗い道をゆっくりと歩く。


 ソルは自分とナイトが同じ年齢であることを改めて思い出していた。

 共に二十歳だ。

 ナイトは学校を卒業して仕事をしているのに、自分は何をしているのだろう。

 学校にも通わずフラフラしながら大人になってしまった。


(まずは、何か仕事を探さないと……)


 そう簡単に見つかるものではない。相手がソルを拒否する可能性も高い。

 仕事も未経験、学校にも通っていないソルは集団行動も苦手だった。

 協調性の欠片もない男、そう思われていても言い返せない。


 何より見た目で判断されて、追い返されるのが目に見える。傷だらけの身体、そしてボロボロの髪と服。ソルは身だしなみを整える方法もわからなかった。


 スラムの奥地から這い出て来たようなゴミのような自分の姿を前にすれば、話も聞いて貰えないだろう。

 世間のソルに対する認識は、あまり良いものではないのだから。


 不良青年に手を差し伸べてくれる都合の良い存在なんて現れやしない。


 悩めば悩むほどに、頭が痛くなる。

 こめかみを押さえながら空を仰ぐと、分厚い雲で覆われた空が目に映った。暗くジメジメとした空は、ソルの心を表しているように見えた。


「しんどい」


 思わず、声が漏れた。

 それは本音だった。

 正直しんどい。

 息をすることも、考えることも、しんどかった。


 それを聞いていた誰かがいたらしい。


「君、困っているね?」

「は?」


 ソルはハッとして振り返る。

 こんな路地に誰かが入ってくるなんて予想外だった。ソルの顔は青ざめる。

 誰もいないと思って独り言を漏らしたのだから。


 黒いコートを着た男が立っていた。この街の人間ではないだろう。そう思ったのは、自分に声をかけてきたから。この街の人間ならば有り得ない。ソルを見て笑うか、怖がるか、逃げ出すか、そんなことばかりだ。


「どうだい? 僕は記者をやっている者だが、助手を探していてね。良い稼ぎになると思うよ」


 人の善さそうな笑みを浮かべて手を差し出す。この男からは胡散臭さしか感じられなかったのでソルは男の差し出された手を睨みつけた。


「胡散臭い記者の助手なんてお断りだよ」

「良いと思うのだけど。君って、この屋敷の子だよね?」


 いつから見ていたのだろうか、この男はソルが屋敷から出て来たところを見ていたらしい。そう気が付くと、男に対する不信感が深まった。


「だから?」


 なぜ聞き返してしまったのだろう。

 こんな男なんて無視をして歩き去れば良かったのに。


 次の言葉を聞くことなんてなかったのに。


「じゃあ……君は、なの?」


「え?」


 何を言われているのかソルには分からなかった。頭の中が、目の前が真っ白になったような気分になる。この男が言っている言葉が理解できない。パリンと何かが壊れる音が聞こえた気がする。理解できない男の言葉は更に続いた。


「ここの夫妻は色々と有名でね。として子供たちを育てているとか」


「それって……ガセネタだろ? 俺たちはなんかじゃないっ‼」


 ソルは怒鳴りながら男の胸倉に掴みかかった。殴ってしまいたい。だけど、ソルの手はガタガタと震えて思うように力が入らなかった。


「やっぱりガセか………って、ちょっと君?!」


 ソルは男を突き飛ばして、走り出していた。


だと、あいつら……)


 これから、どうすれば良いのかわからなくなった。 


なんかじゃないってことを、証明してやるよ)


 怒りを何処に向ければ良いのか考えた


(気に入らない) 


 頭の中が真っ黒に染まる。


 

***



 どれくらい時間が過ぎたのかが分からない。 


 空が闇色に染まっていた。

 興奮を抑えながら自宅に辿り着く。

 

 考えて、考えて、


 考えて、考えて、


 考えて、考えて、


 考えて、考えて、


 考えて、考えた挙句に辿り着いた答えだった。

 

 正しいのか間違っているかは気にしない、考えない。自分に出されている選択肢は、どんなに悩んで頭を捻ったところで、ひとつしかなかったのだから。


 正面玄関から屋敷内に入ったのは、いつ以来だろうか。


 初めてここに来た時は広く感じた玄関フロアはあの頃よりも狭く感じる。ソルが成長したこともあるがそれだけではなかった。玄関フロアにはガラクタが散乱していた。だから狭く感じたのだろう。誰がやったのだろうか。今、自分がやったのかもしれない。


(歩きにくいなぁ)


 興奮しているからだろうか。

 家の中が暖かく感じた。視界がぼやけて見える。


「……してやる」


 視線の先に目的の二人の姿が在った。

 二人は床で寝ていた。


 酔いつぶれているのだろうか。

 部屋の中が酒臭い。


(嫌な臭いだ……頭がボンヤリとする)


 ナイフを握りしめて目の前の異物を排除する。害虫を駆除する。汚れを落として、綺麗にしなければならない。新しい生活の為に、綺麗にしなければならない。これは当然の義務だ。来た時よりも綺麗にして、出て行かなければならない。 


「消えろぉ‼」


 簡単なことだった。相手は弱い人間なのだから。

 簡単に………


「つまらない、つまらない、つまらない、消えろ、消えろ、消えろ」


 何度も刺す。

 呻き声が、命乞いが、消えた。そんな気がする。


「これで、消えてくれた」


 動かない二人を前に立ち尽くす。もう、彼らは動かない。それが嬉しい。五月蠅かった、彼らが放つ騒音も消し去ることが出来たのだ。


 これで良い。

 全てを消さなければならなかった。


 周囲が熱を帯びていた、熱い……


 誰が、火を放ったのだろう。

 いつ、火を放ったのだろう。

 自分だったろうか、

 それもわからない、


 でも、これでもっと綺麗になる。

 何もなくなって、綺麗におさまるはず。


 安心して、外に駆け出していた。




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