第7章 本の檻(3)

 強制的にまぶたが閉ざされ、同時に周囲の気配が消えた。


 すぐに瞼を開き、目を瞬かせる。

 法廷とは別の景色が視界に映った。


「ここは」


 黒い壁が四方を囲んでいる。

 扉らしきものは見当たらない。床も黒一色の不気味な空間だった。


 異常な事態に慣れてしまったのか、ソルは冷静だった。

 次に何が起こるかを考える。壁と床と同様に黒い天井から、ぶら下がるランプの灯がぼんやりと部屋を照らしていた。


 その下にはテーブルが一つ。その上には日記帳。

 さっきまで開かれたページが、そのままの状態で放置されている。

 それを覗き込むと、突然声が聞こえた。


『ここで、あちら側にいるエルカと話をしなさい』


 声がどこから聞こえているのかは分からない。

 ただし、声の主はすぐに分かった。

 裁判席に立つ魔女コレットである。そのことに気付くと自然に表情が強張った。これは先ほどの法廷の続きなのかもしれない。


「あちら側って?」

『あちら側は、あちら側よ』

「え?」

『……』


 コレットは答えるつもりはないようだ。

 これ以上、尋ねても教えてくれないことは分かっていた。

 だから、ソルは質問を変える。

 

「じゃあ、ここは何なんだよ? 周りが壁ばかりで圧迫されている気分だ」


 先ほどよりも圧迫されているという感覚が強い。今にも四方の壁が動き出し迫ってくるのではないか、という恐怖を抱く。


『言ったでしょ、ここは【本のおり】だって。法廷もここも同じ【おり】の中なのよ』

「……おりか、咎人とがびとには相応しい場所だな」


 ここは、独房のような場所だ。そう思うと納得できる。


おりの中から出る条件はプリン王子の物語を完結させることよ』

「プリン王子の物語って………あいつが描いた絵本?」

『覚えているのね』

「まさか、あの王子が主人公の本って……」

『その通りよ』


 幼い頃、エルカが絵本を描いていたことはソルも知っている。

 それをエルカの祖父に見せて貰ったことがある。

 目の前で描いていたこともあった。


「完結させるって、どういうことなんだ?」

『そこは、エルカと話せばわかるわ』

「………」


 話して分かるものなのだろうか。本来ならソルはエルカに嫌われているはず。会話なんて成立するのだろうか。不安ばかりがよぎる。


『あちら側には小さな呼び鈴があるわ』

「何の為に?」

『何の為に使うかは、自分で考えなさい』

「………え」

『さぁ、本をめくりなさい。検討を祈るわ』


 そこでコレットの声は消えた。

 悩んでも仕方がない。魔女の言葉に従う。


 ソルは震える手で静かにページを捲った。


「………っ」


 その向こうから、懐かしい声が聞こえたのだ。



***


***


 まだ記憶を戻していないからだろう。

 エルカはソルをあまり怖がっていない。それどころか、ソルを頼りにしているような気がして、妙に緊張してしまった。


 向こう側のエルカとの会話を終えて、ソルは床にしゃがみ込んだ。

 頭の中を整理する。


 ソルが黒い渦に吸い込まれた時、一方のエルカは開いた絵本の中に取り込まれたそうだ。

 絵本の中でエルカは「プリン王子」と再会していた。

 彼女が置かれている状況。どうやら。絵本の物語を完結に導かなければ外に出ることはできないのだと言う。


 本を探し出すだけでは、外には出ることが出来なかったそうだ。

 向こう側のエルカは物語の存在を覚えていなかった。だから、ソルとの会話を通して物語の内容を知ろうとしている。


 プリン王子の物語を完結させる。 


 この条件はソルがおりから出る為の条件と同じ。

 それは、都合が良かった。


 エルカの言う「プリン王子の物語」

 この物語を、ソルは知っていた。


 だが、結末になんて導けるのだろうか、と首を傾げる。

 ソルの記憶が正しければ、エルカは結末まで描いていなかったはずだ。


 いや、描いていた。

 描いて、黒いインクで塗り潰していた。

 文字も絵も見えないほどに、念入りに黒で潰していた。


 静かに記憶が蘇る。



***


 ソルはエルカの祖父に呼び出されて、彼の部屋を訪れていた。

 彼が差し出した本を、渋々受け取る。


「これは?」

「あの子のものだが、絵本を描いていたそうだ……」


 絵本?

 パラパラと捲ると、可愛らしい女の子と王子様のイラストが描かれていた。

 それは夢見がちな少女が空想した、純粋な幸せな物語。


 ページを捲り、目を細める。


 それはインクで塗り潰された黒いページだった。


 幸せな物語の結末は、幸せではなかった。

 結末も与えられなかった、残酷で悲しい物語。

 それを眺めたソルは本を男に返す。


「どうして、こんなことを?」

「納得できなかったのだろう」

「納得、できなかった?」

「何度も描いて、そして消して、その結果がこれだよ。

あの日、何があったんだ?」

「………え?」


 この男がソルを呼び出した理由はそれだった。

 “あの日”がどの日を指しているのか、それぐらい分かっている。

 この老人には全て、御見通しなのかもしれない。

 だが、真実を見たソルに確認を取りたいのだろう。


「あの子は現実にあった出来事をもとに絵本を描いていたはずだ。これは、あの日までのことしか描いてない……お前と一緒にプリン作りをしたところまで」

「ああ………」


 知っている。

 あの日、彼女はこれを目の前で描いていた。


「プリン作りをした後……その先は塗り潰されていて読めないのだよ。プリンを食べたのか、食べてどうしたのか、それが分からない。お前たちは最近は仲良くなったかと思ったのだがな。どういうわけか、互いを避けているように見える」

「………」


 ソルは、何も言えなかった。あの男のことを語って良いのか分からず、俯いて立ち尽くす。

 無言になったソルに穏やかな視線が向けられた。


「わかったよ。これ以上は何があったのかは追及しない。話してくれるまで、待っていてやるよ。話せなくても、その日記にお前の本音をぶつけなさい」


 そして、ソルの手にある一冊の本。エルカの持っていたものと同じ日記帳を指差した。


***


 エルカの祖父グランとの会話を思い出す。

 ソルは、あの穏やかな笑顔が懐かしかった。

 唯一、尊敬できる大人だった。


 だから、嫌われることを恐れたソルは本当のことをグランに明かすことはなかった。ただでさえ、毎日のように迷惑をかけている。

 父親の影に怯えているだなんて、余計な心配はかけたくなかった。


 結局、あの夜の出来事を伝えることが出来ないまま、グランの魂は遠い世界へ旅立ってしまった。


 手元にある日記に視線を向けた。滅多に書いていない日記帳。

 同じものをエルカも持っていて、彼女は物語を描いていた。

 

 日記を物語に変えて描くなんてソルには出来ない方法で。

 

 あちら側にいるエルカが知りたい物語。

 それは、彼女自身が納得できなかった結末。


 そこに導いて本当に良いのだろうか。


 あの日に起きた塗り潰された出来事、


 そこに、


 “あの男” の影が見えてゾッとした。


 ぼんやりと、自分の日記を読み返す。

 あの日の出来事と、誰にも言えなかった気持ちは、日記の中に記されていた。



(俺の、この日記の思い出を伝えれば、あいつなら自分の描いた結末に辿り着くだろう……でも、本当に、伝えても良いのだろうか)



 こういう時にこそ魔女の助言が欲しかった。

 だけど、彼女はここにはいない。

 そうなると自分で考えなければならない。



(伝えよう……あいつが知りたいって言っているのだから)



 ソルは日記帳を開いて、彼女の声が届くのを待っていた。



***

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