第7章 本の檻(2)

 少し落ち着こう。


 ソルは瞼を閉じて、息を整える。


 耳を澄ませば本棚に納められている本がガタガタと音を立てている。


 気が付けば自分の身体もガタガタと震えていた。


 この震えの原因に心当たりはあった。


 これから自分の口から語られる内容が怖いのだ。


 この先が怖い。


 だが、語らなければならない。


 ソルが言葉を発するのをコレットは待っていた。


 いつまでも待っていてくれそうだ。

 だからと言って、待たせてはダメだ。


 軽くもう一度呼吸を整えてから、ソルは口を開く。


「俺はプリンが好きだった。

義兄ナイトが旅行するってときも、たくさん作り置きしてくれたのに、それもすぐに食べてしまったよ」

「どんだけ好きなのよ」


 魔女が冷笑を浮かべる。

 二十歳の男の発言としては問題があるが、これは少年時代の話だ。

 ソルは顔をしかめながら、話を続けた。


「好きな物は好きなんだよ。

それで、プリンがないのに作ってくれる義兄ナイトはいない。それは大問題だ。考えた俺は自分で作ろうとして、義妹エルカに止められた」

「どうして?」

「掃除用具のバケツで作ろうとしたからだ」

「それはないわね」


 哀れむようなコレットの視線が痛い。

 少年ソルは、とにかく大きいプリンが食べたかった。

 そこで、バケツで作ろうと試みたのだが……


 あの時のエルカは幽霊でも見たような表情でソルを見ていた。


 彼女に指摘されるまで、ソルは事の重大さに気が付いていなかった。掃除用具のバケツは、どんなに念入りに洗ったところで調理道具にはならないのだ。


「ああ、だから代用品としてあいつが大きめの鍋を用意してくれて、そして一緒に作ったんだ」

「美味しかった?」

「ああ、美味しかったし……楽しかった」


 目の前の魔女が優しく微笑んだ。

 今までにない穏やかな表情だが、どこか悲しそうな気配を漂わせている。


 この話の続きを彼女は知っているのだろう。


 知っていてソルの口から語らせようとしている。


「その日……何が起きたの?」

「あの男が来たんだよ……………俺の父親が」



***


 フワフワとした暖かい平穏な時間は、一瞬にして冷え切ってしまった。




 それは突然のことだった。


 バンッ

 大きな音を立てて、扉が乱暴に開かれたのだ。


 ズカズカと大きな足音を立てて現れた男。

 その姿を視界に映した時、ソルの思考は停止してしまった。


 それは、もう会うことのないはずだった父親と同じ顔をしている。

 彼はギロリとした目で食堂を見回すと、最後にソルに視線を固定させる。

 

「お前ひとりだけか? 金はないのか?」


 男の視線がソルを刺す。

 視線に刺されたソルの身体は床に固定されたかのように動くことが出来なくなっていた。


 何で、こいつがここにいるのだろう。

 理解が出来なかった。


 ソルの記憶の中での父親は最低の男だった。

 お金の為ならば何でもやる。

 人身売買に人攫い、人体実験……その手は穢れていた。


 男が「お前だけか」と言った言葉に引っかかりを感じて、ソルは横目でエルカを見る。さっきまでいたそこに彼女の姿はなかった。


 いつの間にか隅に縮こまって目を閉じて耳を抑えている。

 咄嗟に隠れたのだろう。


 ソルは身体が硬直して動けなかった。

 幼い頃に植え付けられた恐怖が再発する。

 この男に暴力を振るわれた日々が思い出されると。足がすくむ。


「金を出せ」

 男はソルにそう投げかける。


「あ、あるわけないだろ」

 ソルは震える声で、そう答える。それだけで精一杯だった。


「ちっ」

 男は舌打ちをして、また部屋を見回した。

 残念ながら彼が求めるお金になるものは、ここにはない。


「わかったら、出ていけよ。く………来るなら母さんが居る時にしろって!!」


 反射的に椅子を投げつけた。あまり近づかれたくなかったのだ。

 ソルの足元の陰にはエルカが頭を抱えて隠れている。

 彼女が見つかったら、何をされるか分からない。


 男は突然のことに対応できなかったのだ。

 投げつけた椅子が胸に当たり、そのまま背中が壁に叩きつけられる。


「あぶねぇなっっ‼」

 投げつけられた椅子が、そのままソルの背後の壁に叩きつけられた。


「……っ」

 背後で嫌な音が聞こえた。それは椅子が壊れる音だった。あんなものを身体に受けたら……と思うとゾッとする。

 この家が何もない家でよかった。

 食器が割れて、壁に傷がつく程度で済んだのだから。


「随分、反抗的になったんじゃないか?」

「だ、黙れよ」

「……ロクなものがない家だな」

「早く出ていけよ」


 これ以上近づくなと、眼で牽制する。

 すると、男が不敵な笑みを浮かべた。


「お前に平穏なんて与えない。役立たずが」

「………っ」

「まぁ…………今日は帰ってやるよ」

「……」


 バンッ


 乱暴に扉が閉まった。


 コツコツという足音が完全に聞こえなくなるまで動けなかった。

 もう、あの男はいないというのに……まだ体の震えが治まらなかった。


 周囲をグルリと見渡す。


 まるで何か動物が暴れた後の惨状のようだ。

 テーブルの上は潰れたプリン、そして皿の破片が飛び散っている。

 床には足の折れた椅子が転がっていた。

 壁には大きな傷。


 義兄ナイトや祖父が返って来たら説教されるだろう。

 どう言い訳しようかと笑みが零れる。


「………ソル」


 近付いた気配に振り返る。小さく震えた声で彼女が名前を呼ぶ。


「あ……今のは……」


 エルカの目は濁っていた。

 自分の日記帳を強く抱きしめて立ち尽くしている。

 見てはいけない何かを見てしまったような瞳。

 

 その瞳のまま、エルカは笑顔を作った。

 本人は笑っているつもりだろうが、少しも笑えていない。


「大きな音がしたから、慌てて隠れたの。耳も塞いで目も閉じていたから……よく見ていなかったけど、誰かが来たの?」

「見てないのか?」


「……え?」


 エルカの目が震えている。

 見ていないはずがない。


「覚えていないなら、覚えていない方が良い」

「ど、どういうこと?」


「それでも知りたいのか? !!」


 ソルも無理矢理な笑顔を作った。

 エルカの目からは、彼が泣いているように見える。

 だけど、その口元は賢明に笑みを形作っていた。


「ちがう………それは違うよ………多分……何かが、そう動物が暴れてたんだよ」

「見ていないのに、どうしてそう言えるんだ」

「………」


 エルカは黙ってしまう。

 ソルの口から、と言って欲しかったのかもしれない。


 だけどソルはエルカが望まない言葉を口にする。


んだ。頼むから、そうだと言ってくれ!!」


 強く言うとエルカは目を細めた。

 頼むから、そう何度もソルは繰り返していた。


「………ソルがやったの?」

「そうだよ」


「じゃあ…………何で、泣いているの?」


 ソルは自分の目元に手を伸ばした。

 水滴が指先につく。

 泣いているのか。

 自分が泣いていることに、ようやく気付いた。

 目からボロボロと何かが零れ落ちる。


「……暴れたら、手が痛くなっただけだ。これは俺がやったんだよ!!」


 そう、大声でソルは怒鳴る。


 そうすれば、彼女は怖がってくれるから。

 ソルのことを怖がれば、もうソルには近付かないだろう。

 ソルに近付かなければ、あの男との接点はなくなる。


「……ソルがやったんだ」

「そうだ。だから、また俺が暴れるかもしれないから……俺に気をつけろ」


「……わかったよ。ソルのことは気を付ける……」



***


 そして、ソルは


 <また俺が暴れるかもしれない>


 彼女に告げた、その言葉通りに毎日のように暴れていた。

 周囲に迷惑を巻き散らして過ごしていた。


 そうしないと、いけないと思ったから。


 ソル・フランという男はすぐに暴れて、迷惑をかける。

 そういう危ない男なのだと、彼女に印象付ける為に。


 ソルの期待通りにエルカはソルを避けるようになった。


***


 魔女は呆れたようにソルを見ていた。


「あの子が貴方を怖がっていたのは、貴方が仕向けたことだったのね」

「いや、あいつは元々俺を怖がっていた」


 あのプリン作りで少しだけ近付けたようなものだ。


「せっかく兄妹として近付けたのに、何でまた離そうとしたの?」

「……俺と一緒にいてあの男に目をつけられるのが怖かった。あの男の存在なんて、知らない方が絶対に良い」


 ソルがあの男の息子であることは変わらない。

 そして、あの男はソルをこれからも苦しめるだろう。そんなソルの側にいれば、彼女が狙われてしまう。彼女は魔法使いの孫なのだから。


 兄妹として近付くことが出来た。

 そして、護りたいと思った。

 無力なソルが彼女を護る方法は一つしかなかった。自分から遠ざけること。

 そうしなければ彼女を護ることは出来ない。


「なるほどね」


 視界に映る魔女が微笑む。

 その姿は、ピントが合わない顕微鏡のようにぼやけて見えた。





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