第7章 本の檻(1)

 暗闇で合流したエルカとソルは行動を共にすることになった。

 暗闇に視界が慣れると二人の目の前に扉が立ち塞がっている。

 それは、見覚えのない扉だった。鍵も閉まっているらしい。 


 鍵。


 ソルは御守り代わりに持ち歩いていた鍵があったことを思い出した

 物は試しに……と、鍵穴に差し込むと見事ににはまったので、そのドアノブを回す。


 その先で、二人を出迎えたのは遥か高くそびえ立つ本棚だった。


 その異質な光景にソルは戸惑っていたが、

 傍らの彼女は嬉々とした表情を浮かべていた。

 読書好きの彼女にとっては楽園のように映ったのかもしれない。


 それは、久しぶりに見た笑顔らしい笑顔だった。

 ここ最近は暗い表情しか見ていなかったが。

 ソルの視線に気付くと、エルカはビクついて慌てて目を反らした。

 別に怒っていないのだが、そう思ったソルはハッとして自分の両頬を触れる。

 無意識に睨み付けていたのかもしれないので、何度も何度も揉みほぐしていた。

 

 そして、二人の前に、カボチャパンツの少年とエプロンドレスの女の子が現れる。我儘なカボチャパンツの少年は好きになれなさそうな気がしない。あまり関わり合いたくない。


――カボチャパンツの少年が主人公の本を探す


 それが、図書棺からの脱出方法だった。

 カボチャパンツを無視してやり過ごすわけにはいかないと知りこっそり溜息をこぼす。


 図書棺を訪れて、数日後にエルカはその本を見つけた。

 ソルも探してはいた。だが、エルカはまるで吸い寄せられるかのように、一冊の本を手に取っていた。そのページを開くのと同時だった。





 ソルの足元に黒い影がニュッと現れる。



「‼」



 影はまたたく間にグルグルとした渦に変貌。

 叫びたくても、声が出せない。

 口を開いても、言葉が出てこない。

 手を伸ばしても、何を触れることも出来ない。


 ソルだけが、その渦の中に飲み込まれる。


 エルカは、こちらに気付いていなかった。

 しだいに意識が遠のいて……プツンと何かが切れた。



***


 切れた、意識が強制的に開かれる。

 勢いよく、瞼を開いた。


「え………」


 視界がぼやけている。

 

 何も見えない。


 声が出てこない。


 何かを忘れてしまったような気がする。


 目を瞬かせてソルは頭の中を整理する。


 自分の名前は憶えているが、ここが何処で、どうして自分がここにいるのかが分からない。


「ようこそ、本のおりに」


 それは聞き覚えのある声だったと思う。

 だけど、初めて聞く声のようにも思えた。


 薄らとした空間に現れるエプロンドレスの幼女は、見た目に反した妖艶で不気味で、それでいて親し気な笑みを浮かべた。幼女に見えるが、幼女ではない。


 魔女だ。


 咄嗟に、その言葉が脳裏に浮かんだ。


「本のおり?」

 聞き慣れない言葉に首を傾ける。そして、周囲を見渡して理解した。


 それは確かに おり だった。


 先ほどまでいた図書棺とは別の場所。

 四方を囲む本棚はおりのようにソルを捕らえている。

 扉らしきものは何処にも見当たらない。

 目に見えないおりの中にソルは立っていた。


! 私の名前はコレットよ。よろしくね」


 コレットと名乗る幼い魔女は愛らしい笑みを投げかけた。

 その名前に聞き覚えがあるが、思い出せなかった。


 ソルは自分が法廷の証言台のような場所に立っていることに気が付いた。


 まるで裁判を受けている気分になる。


 自分を取り囲むように並ぶ本棚が傍聴席のようにも見えてきた。

 人間はそこにいないのに、視線が一点に、自分に向けられている。

 そんな気がする。

 じっくり見ると、本棚から無数の目が浮き出してソルを見ていたので、ギョッとして身体を仰け反らせた。


 証言台の上には一冊の本。

 違う、それは日記帳。その表紙には見覚えがあった。


「俺の……日記」


 ザッとノイズのようなものが脳裏に走る。

 聞こえるのは、懐かしい声。


『何を書けとは言わない、書きたいものを書けばいい』


 それは、エルカの祖父グランから押し付けられた日記帳。

 優しい人だった。悪ガキだったソルのことも褒めてくれて、叱ってくれた人。あの、くしゃっとした笑顔が脳裏に浮かんでいた。


「日記なのに日記らしいことは殆ど書いていなかったな。書いてあるのは罵詈雑言なかりで」


 静かにページを捲る。

 

 捲るごとに昔の光景が蘇る。


 嫌なことが、哀しいことが、流れ込んできて息が苦しくなる。


 呼吸が出来ない。


 目を閉じたソルの視界には幼女の姿をした魔女がいた。

 どうやら、目を閉ざすことも許されないらしい。


 裁判官の席に魔女が立っている。


 感情のない瞳がジッとソルを見ていた。


 そうだ、ここは法廷。


 自分は咎人とがびととして証言台に立って、ここで判決を待っている。

 彼女はふいに穏やかな表情を浮かべて問いかける。


「あなたは、どうしてこの家に来たの?」


 答えなければならないのだろう、ソルは息を飲んで自分の過去を語る。


「俺の家は母子家庭だった。いつ離婚したのかは覚えていないけど、突然母親は再婚した。確か十歳の頃だったと思う。そして、俺はこの家に来たんだ」


 父親がいつから父親じゃなくなったのかは、覚えていない。


 離婚したから……


 簡単にただその一言を告げられただけ。

 離婚後も元父親は家の中にいた。不気味な男だった。

 

 そんな生活が、この先も続くと思った矢先。

 突然、再婚すると母親が言い出した。


 離婚したときと同じで、唐突に簡単に告げられた。

 わけもわからないまま、新しい父親とやらの住む屋敷に連れて来られた。


 新しい父親だという男の顔はよくわからない。顔なんてどうでもよかった。

 その男には子どもが二人いた。

 妹は四歳で、兄と言われた少年は同じ歳だった。


 そこまで、思い出すとコレットの視線に気付く。


「他人が親や兄弟になった場合の対応の仕方なんて子供は親から学ばないわよね。

妥協するのは子供。好き合って、結婚して家族になる本人たちとは違う。もちろん、その変化を受け入れられる子供もいるかもしれない。だけど、受け入れられないままの子供たちだっているわよね」


 そう語る魔女の表情は無表情だ。

 それでいい。

 同情して欲しかったわけではない。ソルは話を続ける。


「母親は新しい恋人と愛を育んでいて、幸せそうだったよ。俺たちは状況を理解できずに、子供だけで放置される日々だった」


「きっと……親になるつもりは、なかったのね……」

「ああ」


 あの二人の目には子供の存在なんて映っていなかった。

 挨拶もそこそこに二人で部屋に篭ったことを思い出す。


「新しい兄妹はあなたにとって、どういう存在だったのかしら?」

「二人は兄妹になろうと努力してくれた。義兄ナイトは毎日のように俺の大好物のプリンを作ってくれたよ」


 一方のソルは問題ばかり起こしていた。


 自分の怒りの理由がわからない、わからないことが気に入らなくて、周囲にその怒りを巻き散らす。

 宥めてくれる親もいない、叱ってくれる親もいない。


 だから、どうしようもなくて……

 大声を出して、物に八つ当たりすることしか出来なかった。


 そんなことをすれば、義妹エルカに怖がられることも分かっていた。

 それでも、自分で自分を抑えることが出来ない。


 そんな、ソルに二人は寄り添おうとしてくれた。




+

 



「ほら、食べなよ」

 そう言って義兄ナイトはプリンを出す。

 甘い匂いと、プルンとした魅惑的な輝きに一瞬手を伸ばそうとしたが、ここで受け取ったら負けのような気がして目を反らす。

「いらない」

「……おいしいよ」

 今度は義兄ナイトに代わって、義妹エルカが差し出してくる。

 そんな今にも泣きそうな顔で差し出されたら、流石に手を払えず、仕方なく……本当に仕方なく受け取って、ひと口含む。


「………うまい」


 あれを食べると怒りが何処かにいってしまうのだ。

 だから、プリンを食べているときぐらいは怒らないようにしよう。

 

 安心したような二人の視線を感じながら幸せに浸っていた。



+





 そんな幸せな記憶もあった。


「プリンを食べると……って単純な子だったのね」

 魔女は呆れ顔を浮かべる。

「ううっ それは言わないでくれ」


 同じ歳とは思えないほど義兄ナイトはしっかりしていた。

 仕草も言動も大人びていて……

 正直、怖いと思った。


 同じ歳なのに、それ以上の時間を生きているような子供だった。

 それだけ、苦労してきたのだろう。

 自分のこともままならないソルとは大違いだ。

 彼は妹の面倒もこなして、祖父の手伝いもしていたのだから。更に家事もこなして、こんな突然現れた義弟にも笑顔で接してくれる。


 それなのに………


 ソルは無愛想で外でも家の中でも暴力ばかり振るう問題児で、情けないって思いながら、少しも成長できなくて、迷惑かけて……本当に情けない。

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