第2部 兄妹の物語

第6章 目覚め(1)

 赤い炎が燃えていた。

 白い煙が視界を覆う。

 何も見えない。 


 もう、大丈夫だ………そう言い聞かせながら外を目指す。


 煙を吸い過ぎた。

 意識がどうにかなりそうだ。

 足も腰も、身体中に痛みが走る。

 倒れてはダメだ、立ち止まってはダメだと自分で自分を叱咤して前に踏み出す。


 視界が鮮明になって、そこが外なのだと気が付くと……自警団が駆け寄って来た。


「大丈夫か!」

「すぐに医者を」


 多分、そんなことを彼らは言っていた気がする。


 心の底から安堵した。

 もう足を止めても大丈夫だ。

 倒れても大丈夫だ。

 そこで、意識は途切れた。


***


 ソルが目覚めたのは殺風景な一室。

 真っ白な天井が視界に映る。


 ここは何処だろう、知らない場所だ。


 見慣れない清潔感漂う部屋。

 視線を動かすと仏頂面の義兄ナイトと目が合った。

 ナイトがいるということは、ここは……


「目が覚めたか。ここは病院だ」


 病院。

 そう言われてもパッとこない。

 生まれて二十年、病院なんて行ったことがなかった。

 だから静寂に満ちた、清潔感と消毒液が漂う空間は馴染みのない場所だった。


 だからだろうか。

 胸の奥がザワザワとしていて、落ち着かない。


「……あいつは?」


 意識が途切れる直前。

 ソルは一人ではなかった。一緒にいた彼女のことが気がかりだった。

 このザワザワとした感覚。

 これは、彼女のことを心配しているからだろうか。

 自分が他人のことを心配するなんて、そんなことは有り得ない。

 そう思っていたのに。


 あの時、ソルの手は彼女を助けようと必死だった。


「お前が連れて来てくれたお蔭で……無事といえば、無事だよ。お前と違って無傷だったからな」

「そうか………」

「何か言うことはないのか?」


 義兄の言葉にソルは眉根を寄せた。


「怒っているよな。あいつをあんな目に合わせたんだ」

「ああ怒っている……お前たち二人に対してだけどな」

「え?」


 意外だった。ソルに対する怒りは分かる。

 だけど、どうして彼女に対してまで怒るのだろうか。

 妹に対しては異常なほどに甘いこの男が。

 

「二人とも自分の命を大事にしていない………そうだろ?」

「まぁ……な。このまま目覚めなくても良いって思っていた……よ」

「ばーか、何言ってんだ。バカ」

「言われなくてもバカだよ」

「あいつも同じだろうな。お前と違って、意図的にそれが出来るから厄介だな」


 目覚めないと望めば、目覚めないことが出来る。

 ソルは魔法については詳しくはないが、エルカにはそれが可能らしい。


「魔法使いって厄介だな。それじゃあ、このまま目を覚まさない可能性もあるよな」

「だろうな……引き篭もりだからな。今も自分の心の中に引き篭もっているのだろ」


 その可能性は十分に有り得る。

 ソルが最後に会ったとき、彼女はその場に留まろうとしていた。


 燃え上がる炎の中に残れば、どうなるか……なんて考えるまでもない。

 生きるのを諦めていた彼女をソルは強引に連れ出した。

 彼女にとっては不本意な展開だったのだろう。

 だから彼女は考えたのだ。死ぬことが許されないのなら、生きたまま目覚めなければ良いのだと。その方法があるのなら、彼女はその手段をとる。


「俺はどうすればいい?」

「………」


 視線をナイトに向ける。ナイトは右手の親指を顎に当てて思考する。目を閉じて静かに呼吸。考え事をするときの彼の癖だった

 ソルは生唾を飲み込んで、彼の言葉を待っていた。


「………」

「お前は監視されるだろうな。自分があの二人を殺害して火を放った……なんて宣言するから」


 あまり記憶がないが、そんなことを喚いた気がする。

 息絶えた二人の姿が瞼の裏に浮かび、思わず口を抑えた。

 あれは、酷い惨状だった。


「立派な咎人だ。それで、どうして俺を突き出さない?」

「オレはお前が犯人だとは思えないんだよ」

「俺じゃないとしたら……」

 誰を疑っているのだろうか、目線の先でナイトが苦悶の表情を浮かべていた。


「………」

「待てよ………殺したのは俺だ……エルカじゃない。お前が………お前がそんなことを考えるなよ」


 まさか、ナイトが妹を疑うとは思わなかった。

 確かに彼女には動機はあったはず。

 それでも、疑ってはいけない。

 ソルの興奮を落ち着かせるように、ナイトが両肩を掴む。


「落ち着けよ……オレだって考えたくはないさ。だけど、血の付いたナイフが落ちていた。あれは、あの子のものだ。護身用の為にオレが与えたものだ」

「それが、凶器だったのか?」

「遺体の状況が悲惨だったため、断定はできないそうだが……凶器と見なされている。他に凶器らしいものもなかったからな」

「あいつ、いつもナイフを持ち歩いていたよな。地下書庫を出る時は必ず持っていた……」

「まぁ、そのことはオレたち兄妹しか知らないことだ……あのナイフがあの子のものだってことは証言していない」

「でも指紋が」

「ナイフの元の持ち主は爺様だ。魔法使いのナイフだから、指紋なんて残らないさ」

「………マジか……よ。魔法使いって怖いなぁ……」

「爺様の形見だし、大事な物だから返しては貰うけどな」

「ナイフだなんて……物騒なものを持たせていたのか? 危ないからって料理で包丁も持たせないお前が……」

「護身用の武器を女の子に持たせるのは当然だろ」

「そうだけど……」


 野菜を刻む包丁は危ないからって持たせない。果物ナイフだって触らせない。

 だけど相手を攻撃するナイフは必要だからと持たせている。

 ナイトは常識人のはずだがたまにおかしい。妹が絡むと頭のネジが外れているんじゃないかと、たまに思う。ソルは心の中で首を傾げた。


 ナイトは武器の扱いにも長けていて、体力も力もあって、喧嘩も実はソルよりも強かった。だからソルはある時期を境にナイトに喧嘩を売ることをやめた。

 苛々しているときに衝動的に怒りをぶつけることはあったけれど、わざわざ喧嘩は売らない。


 この巨漢はソルが殴りかかったぐらいじゃ、ビクリともしないのだから。


「とにかく。何があったのか………本当のことを知っているのはエルカだと思う」

「俺が犯人なんだ、それで良いだろっ」


 ナイトの影が覆いかぶさる。


 そう気が付いたときには、胸倉を掴まれていた。今までに見たことのないような鋭い視線を刺してくる。


 やばい、殺される。

 ソルは命の危険を感じて息を飲む。

 今までは、エルカが止めてくれたから事なきを得たようなものだった。

 ナイトの方が強いのだから。


「お前の証言だけで、犯人だと断言するほど自警団は馬鹿じゃない! それに、あの子を悲しませる。そんなのは赦さない」

「……だ、だけど……」

「だけど、じゃない。お前はあの二人を殺したと言いながら、その時の状況を言えないだろう。どういう状況で殺したんだ? 言ってみろ?」

「……え、えっと………」


 ソルは義兄の顔をまともに見れなかった。

 彼の言う通り、あの二人を殺した時のことは何も話せない。

 記憶にあるのは彼らの無残な遺体。

 ソルには、生きている彼らを刺した記憶がなかった。


「ほら、言えない。どうして言えないんだ?」

「そ、それは………」

「だいたい、お前は……あのナイフについて知らなかった」

「ううぅ」


 毎日のように喧嘩をして、周囲に怖がられて、迷惑がられて、そんなソルが今は同じ歳の義兄に圧倒されて、子犬のような目を浮かべていた。

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