第3章 そして王子はプリンとなる(2)

「子供の頃の話をしても良いかな?」


 エルカは本の向こうにいるソルに問いかけた。

 幼い頃のエルカを知るのは彼だけ。

 何かを知っているかもしれない。そんな期待をこめて開かれた本を見つめる。淡い光に包まれたページは相変わらず文字を読むことはできなかった。


『何だよ、急に』

 ソルの声は、少し驚いた様子。あまり振り返りたくない過去もあるのだろう。

「今、私が居る本………子供の頃に私が描いた絵本だったみたいなの」

『ふーん』

「だけど、私は覚えていない。ソルは知っている?」

『それって………………プリン王子か』

 ソルは静かにその名前を口にする。

「え? もしかして、ソルは知っているの?」

『最初にアイツを見た時は気付かなかったぞ。でも、ガキの頃にお前が描いていた本はそれだけだろ』

「そうだったんだ。でも、どうしてソルが知っているの?」

『ガキの頃にお前が描いて、爺さんに預けた本だろ』

 そんなことがあったような気がする。

 目を閉じてこめかみに指先を当てて考えた。

「……………私はどうしてお爺様に渡したのかな。私、思い出せないの」

『知るかよ。とりあえず、俺は爺さんに見せられたんだ』

 どうして預けたのかも分からないが。どうして、祖父がソルに本を見せたのか、その理由もわからない。

「………じゃあ、その内容は覚えている?」

『王子様はプリンが好きだった、だから名前もプリンだった。そうだろ?』

「多分………それで合っている。私、内容を覚えていないんだ」

『……そうか』

「私がこの本から出る方法は一つだけ。物語を完結に導くことなの。だから、ソルの知っている範囲であらすじを教えて」

 ソルは長い沈黙の後、ゆっくりと物語を語る。

『俺の覚えている内容は……怒ってばかりの王子がいた。その怒りを鎮めたのは魔法使いから貰ったプリンだった。こんな美味しい食べ物があるなんてって……王子は衝撃を受て笑顔になった……って話だな』


 思い出した。

 エルカは胸に手を当てて、目を閉じる

 この物語を描いたあの日の記憶が蘇る。




 これは幼い頃の記憶。


 父親と母親は外出。二人が外出することは珍しいことではない。むしろ、家に居ることの方が珍しい。それは日常の光景。

 屋敷の中には二人の兄と、祖父とエルカの四人になる。

 だけど、その日は違っていた。


「お爺様、今日は病院なの?」


 エルカにとって祖父は唯一の頼れる大人だった。兄のことも頼れるが、残念ながら大人ではない。兄が出来ることには限界がある。

 不安になって。祖父の服の袖を掴むとグランは笑みを浮かべる、

 グランは大きな手で頭を撫でてくれた。

「じじぃは健康体だが、医者が身体を見せろとうるさくてな。すぐに帰ってくるから、いい子にしているのだぞ。鍵はかけておきなさい」

「はい。行ってらっしゃい、お爺様」

 エルカに見送られて当主グランが玄関を出て行く。

 その背中が見えなくなると、エルカは扉を閉めて鍵をかけた。

 家の中には子供たちだけが残されている。

 応接間では兄二人が言い争っている声が聞こえた。

 エルカは中の様子をそっと伺う。二人の喧嘩の原因はサッパリ分からなかった。

「話を聞けって」

「聞く必要はないよ」

「そんなに怒るなよ」

「怒ってない!」

 そう言って怒鳴り散らす彼の姿が見える。

 新しい兄は、いつも怒っていた。彼自身、自分がなぜ怒っているのか分からないのだろう。

「仕方ないな……」

「部屋に戻る! そこを、どけろって」

「おま………って噛まれた」

「だい………じょうぶ?」

 新しい兄が、出て行くのと入れ違いにエルカが応接間に足を踏み入れる。

 兄の手は赤く腫れていた。

 目についた救急箱を持って兄に渡す。

「ありがとな」

「また、喧嘩?」

「オレはお手上げだな……アイツもお前ぐらいに懐いてくれれば良いのになぁ」

 エルカと目が合うとニコリと微笑んで頭を撫でまわす。

 同じ歳の男の子に懐かれたいのだろうか、この兄は。

 兄の趣味はわからないなと、エルカは思っていた。

「……撫ですぎ」

「撫でされてくれ……お前の頭を撫でると、あのバカに穢されたオレの心が癒されるんだよ」

「私の頭がおかしくなるよ。おバカになっちゃう」

「おっと、それはゴメンな」

「そ、それで……喧嘩の原因は?」

「おやつを一緒に食べようって思ってさ」

「おやつ?」

 兄は小首を傾げるエルカの目の前に皿を差し出した。

「そうだ………試しにお前がコレを持って行ってやれよ」

「え?」

 渡された皿の上にはプルンとした黄色いプリンがのせられている。

 バニラオイルの甘い香りに幼い少女は笑みを浮かべた。

「美味しそう」

「美味しいぞ。オレが作ったんだからな!」

 両手を腰に当ててドヤ顔で兄は言う。

「お爺様じゃなくて、兄さんが?」

「ああ」

「…………」

 エルカは少しだけ不安になった。

 いつも兄は祖父と共に料理をしてくれていた。祖父の作る料理が絶品であることはエルカも知っている。兄だって祖父に負けていない腕の持ち主だ。それも理解している。

「大丈夫、爺さんのと同じぐらいに美味いからさ」

「毒とか入ってないよね」

 噛まれた仕返しに毒入りプリンでも食べさせるつもりだろうか。

 そんな不安が脳裏をよぎった。

「当たり前だろ。兄妹になるためのプリンにそんなもの入れるかよ」

「そうだね…………でも、これをソルに届けるのは怖いな」

 先ほど、兄はこれを新しい兄に届けて来いと言った気がする。

 表情が暗くなった妹の髪を兄の手が優しく撫でる。

「さすがに女の子のことは傷つけないだろ」

「で、でも」

 あんなに怒って出て行ったのだ。本人にその気がなくても、勢い余って……ってこともあるだろう。そんな状態の彼の所に行くのは恐怖しかない。

「何かあったら、オレが仕返しするから」

「でも、怖いよ」

「怖がったらダメだ、あいつとも兄妹になるんだからさ。あの人はオレたちの母親ではないけど、ソルはオレたちの兄弟だ」

 エルカの視線はプリンに向けられる。

 目の前の兄は、彼と兄弟になる為にこのプリンを作ったのだ。

 ならば、エルカが彼と兄妹になる為にやることは……

「わかった……がんばる」

 頷くと、兄も満足したように頷いた。



 

 彼の姿は食堂にあった。

 水を一気飲みして、どうにか腹を満たそうとしている。

 空腹らしく、腹の音がおさまらない。

 彼は意地を張って食事を取らないことが多い。今朝だって、食べた痕跡はなかった。

 お腹の虫は正直で、グーグーとその音を鳴らし続けている。

 エルカはプリンを落とさないように、ゆっくりと彼に近づいた。

 現れた妹に鋭い視線で睨む。

 エルカは、ここまで来て泣きたくなった。

 引き返した方が良いと思ったが、彼の視線が別の物に向けられていることに気付いた。

 怖い視線の先にはプリン。

 プルプルと揺れるそれを、ジーッと見ていた。

「なに? これ」

「えっと……プリンだよ。食べ物、美味しいの」

 何とか説明すると、彼は皿をおそるおそる取った。

 エルカはドキドキしながら皿が離れるのを見守っていた。

 もしかすると、その皿を投げつけられるかもしれない。

 だから、ジーーッと彼の手元から目を離さない。

 彼はスプーンですくい、それを口に頬張る。

 鋭い目が、大きく見開いた。

「んん」

(……あ、殴られる?)

 殴られるのかと、構えた時……

「……うまい」

 彼の感嘆の言葉がポロリと零れ落ちた。

「え?」

 よく、聞き取れなかった。

 エルカは目をパチクリさせながらソルを見上げる。

「何だ……これ、美味しいな」

 彼は目を輝かせて微笑みを浮かべた。

 笑顔がキラキラしていて、エルカまで笑みが零れてしまった。





 過去の光景が浮かび上がった。

 エルカはその光景を視ていることしか出来ない。

 これは、過去にあった出来事でエルカは手を出すことが出来ない。

 幼い自分とソルが初めて笑い合った、あの日の記憶。


 本の向こう側でソルが息を飲んだ。

 彼にも、この映像が見えたのかもしれない。


「………わかったよ。ありがとう」

『良いのか? これだけで』

「うん」

『悪いけど、この先は俺も思い出せない』

「今は、これで十分だよ。それにしても子供って単純だよね。プリンで簡単に釣れるのだから」

『全くだな………そうだ、俺と話したことは誰にも言うなよ』

「どうして?」

『混乱の種になるからだ』


 ソルの言っている意味がエルカにはわからなかった。

 だけど意味はわからなくても良かった。

 ソルがエルカの為に言っていることだけは理解できるから。

 エルカはソルの言葉を信じている。

 だから、「誰にも言うな」と言うのなら、誰にも言わない。

 ソルはエルカにとって、怖いし、苦手な人だけれど、悪い人ではない。


「ソル……」


 敵か味方かと、問われれば彼は味方。

 だから、こうして話をするだけで安心できるのだ。


 今は、姿も見えない、手も届かない、声だけが届く。

 ここにはエルカを睨む鋭い視線も、たまにパンと叩いてくる傷だらけの手もない。だから、少しだけ強気になれた。


『な、なんだよ』

「………絶対に助けるからね」

『おいおい……閉じ込められているのは、お前も一緒だろ』

「そうだったね」


 本の向こうでため息が聞こえてくる。

 どんな表情を浮かべているのだろう。

 少しだけ、興味が湧いた。


『用があるときは本を開いて鈴を鳴らしてくれ。気付けたら、気付くから』

「鈴?」

 言われて視線を動かす、机の上には赤い鈴が置かれていた。

『それを鳴らして』

「ソルは寂しいの?」

『退屈だ』

「わかった。それじゃあ、また……話しに来るからね」

『……気が向いたらで良いよ。お前は、その物語を導くんだ……じゃあな』

「うん」


 エルカは本を閉じて目を閉じた。



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