第3章 そして王子はプリンとなる(1)

 城の廊下は何処までも、何処までも続いている。

 足元に敷かれた赤い絨毯には埃ひとつ付いていない。

 磨かれた窓ガラスの向こうには手入れされた綺麗な庭が広がっている。廊下に飾られている花瓶には赤や紫のバラの花が咲いていた。

 壁に描かれているのは、教科書で見たような女神さまの絵。この女神さまの絵は微笑んでいた。

 だけど、心の中身を見られているようで少し怖い。

 エルカはその視線から目を反らす。


「着きましたよ」


 王子の声にハッとして顔を上げると、そこには大きな扉。

 その大きな扉を、王子は顔を真っ赤に染めて、歯を食いしばって押し開く。

 先ほど、役立たずと言われたことを気にしていたのだろう。手伝うと申し出たエルカの言葉は却下された。

「ここが、僕のお城の図書室です。何か手伝いま……」

「一人の方が集中できるから、あとは良いよ。物語を思い出すのは私だから」

「わかりました……何かあったら呼んでください」

「うん」

「それでは……」


 少し残念そうに眉を下げた王子が微笑んだ。

 肩を落として、寂しそうな背中が図書室から出て行くのを見送った。

 折角の申し出を断るのは悪い気がした。だけど、彼に告げた通り一人の方が集中できるのだ。

 エルカは、開かれたままの扉を閉める。

 確かに重い扉だけれど、あそこまで歯を食いしばる必要はない重さだった。

 本当に軟弱な王子なのだと思い、完全に閉まったことを確認してから振り返る。

「さてと……」

 高い本棚から、適当な本を手に取ってパラパラとめくる。知っている文字だったので安堵した。読めなければここでやることは何もなかったのだから。


「……あれ?」


 だけど、いつもと違う。


 目を落としていた本を、パタンと閉じる。

 ここにはエルカを楽しませてくれる物語がないように思えた。

 読みたいという欲求が湧かない。こんなにたくさんの本を見れば、気持ちが高揚していたのに。目的を放棄してでも読んでしまいそうなのに。


 こんなことは始めてだった。


 今は、どれも読みたいとは思えない。


 本の虫だった自分がこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 エルカは自分の心が信じられなかった。今は本を読みたくない。それでも、読まなければ何もわからない。手に取った本を再び開く。


(駄目、何もわからない)


 読んでいた本を閉じて、本棚に押し込む。


(他のところを、探そう)


 立ち上がって、まだ見ていない本棚に移動する。


 ふと、足を止めた。


 無意識に本棚に近づく。

 そこは古い本がギッシリと詰まった本棚だ。


 背表紙もかなり古いものと見受けられる。取り出したら崩れてしまうような気がして、その本には手を触れないことにした。



 “そこ”じゃない。



 誰かの声が聞こえた。

 誰だろうか。声が聞こえた方向に、視線を動かす。何かに引き寄せられるかのように足が動いた。


(何だろ……これ)


 本棚と本棚の間。その隙間に丁度良くテーブルがはまっている。何の変哲もない、ただのテーブルだ。木製の正方形のテーブルは、新品らしく傷ひとつ見当たらなかった。


 そこにあるのは、不自然な違和感。


 テーブルの上には花瓶がのせられている。花はない。ただの花瓶が在った。


 綺麗に並んだ本棚の中に、そこだけテーブルがあるのは変な感じがする。

 エルカは無意識に、そのテーブルを移動させていた。

 本棚とテーブルの間には微かな隙間があって、軽く手前に引っ張るとテーブルが動いた。思っていたより、このテーブルは軽いらしい。

 他人の家の物を勝手に動かすなんて怒られるだろう。

 だけど、そうすることが正しいと思った。


(あった)


 思わず笑みが零れる。テーブルの在った場所、そこの壁だけ違和感があった。他の壁とは色が違う。違うのは色だけではない。正方形の模様がある壁だった。

 まるで、押してくれと言っているかのようだ。


(押しても……良いよね)


 以前読んだ本では、そこが隠し扉の鍵だった気がする。

 エルカの手がそれを、そっと押した。ギギギという音と共に壁の一部が外れた。

 

(よし)


 予想通りの展開に小さくガッツポーズ。現れたのは、人間一人が入れるような大きさの穴だった。その入口は暗くて、その先は何も見えない。

 エルカの小柄な体系ならば、簡単に入れるだろう。


 視線で周囲を確認。

 王子も、ナイトもここには居ない。


「失礼します」


 誰にともなく挨拶をして、エルカはその入口を潜った。

 薄暗い穴を這って進むと、隣の部屋に辿り着く。

 中は閑散としていた。先ほどまでの本だらけの部屋とは一変して、何もない殺風景な部屋だった。棚らしいものはない。あるのは壁。コンクリートの壁で囲まれた部屋にあるのは、テーブルがひとつ。その上には意味深に開かれた本が一冊。


(読みなさい……ってことかな……)


 エルカは無意識にその本を手に取っていた。


(うーん………開くのは危険だよね……)


 エルカの心は警戒していた。この世界に強制的に飛ばされたときのことを考えると心は躊躇してしまう。だけどその手は自然に動いていた。


 パラパラとページをめくっていたのだ。


(え? 私……どうして、ページをめくったの)


 エルカは自分の行動が理解できずに立ち尽くす。

 開いた本から、光が放たれる。



***


『くそ、どうなっているんだよ』


 本の中から声が聞こえた。

 その聞き覚えのある声に、思わず声を上げる。


「ソル?!」

『……っ』

 本の向こう側で誰かが息を飲んだ。

「……ソルだよね」

『エルカ? おまえ、どうして』

 やっぱりソルだった。

 エルカはソルが苦手だった。

 苦手な相手だったのに声を聞いただけで不思議と安心してしまう。記憶の中に残っている唯一の味方だからかもしれない。

 味方だと名乗ったナイトのことは分からない。

 王子とは出会ったばかりだから、やっぱり分からない。

 心の奥底では、あの二人を信じ切れずにいたのだ。

「私ね………あの男の子が主役の本を見つけたの」

『マジかよ』

「うん。でも、その本を開いたら本の中に入っちゃった。今はね……その本の中。ソルはどこにいるの?」


 開いている本に手を触れる。

 そこから放たれている光で文字は見えない。

 その代わりにソルの声が聞こえるのだ。信じるか信じないかは、この際考えない。自分の身に起きたことを、ソルに伝えていた。

 こんなバカみたいな話、誰が聞いても、笑いとばされるか、失笑されるかのどちらかだろう。

 だけど、既にソルはエルカと共に不可解な状況に陥っていた。祖父の書庫のような場所に迷い込んで、扉を開いて、魔法の図書棺に迷い込んでいる。


 怒鳴る可能性はあるので念のために心の準備はしておいた。ソルはイライラすると、誰ふり構わずに怒鳴ってしまう。そういう男の人だった。

 目の前にいるわけでもないのに、目をギュッと瞑って警戒する。


 だけど、


 思っていた以上にソルの声は冷静だった。


『そうだったのか。俺はお前が本を開いて……そこまでは覚えている。次に………気が付いたら何処かの個室にいた』

「え? コレットは一緒じゃないの?」

『壁しかない。天井も床も、四方を囲む壁も黒だ………ここは扉もない部屋だ。俺以外誰もいない』


 彼の言葉から察するに、ソルの置かれている状況はあまりよくないだろう。扉もない部屋というのは、果たして部屋なのだろうか。

 気が短くて怒りっぽいソルが、そんな状況に陥れば、気が狂ってしまうかもしれない。エルカが同じ状況なら、きっとおかしくなる。


「大丈夫なの?」

『俺の心配の前に自分の心配をしろって』

「え?」

『そっちも、十分におかしな状況に思えるぞ』

「そ、そうだね……本の中にいるのも変わらないくらいに変だよね。空の色が鮮やかな青で何だか目が痛くなるよ。お花も喋るの」

『それは最悪だな』


 状況だけ見れば、エルカもソルも閉じ込められているようだった。エルカの側には王子もいるし。ナイトもいる。味方かどうか分からない彼らだけど、一人じゃないだけ良い。ソルはひとりぼっちで不安なはず。

(不思議ね、ソルの声が優しい)

 いつもはあんなに意地悪なのに調子が狂う。

『実はさ………お前とこうして話しているみたいに、コレットとも一度だけ話をしていたんだよ』

「そうだったんだ。コレットは何て言っていたの?」

『物語が完結されないと、俺は部屋から出られないって話だ』

 彼の乾いた笑いが聞こえてくる。

 状況はかなり良くないと思えた。

 物語……それはエルカが今いる世界のことだろう。

「…………」

『これは罰だな。俺が………罪を犯したから』


「諦めないで。私がどうにかするから!」


 エルカは怒鳴っていた。


 目の前にソルがいないからだろうか、どこまででも強気になれる気がする。今のソルがどんな顔をしているのか、わからない。合流したら、怒られるかもしれない。

 だけど、エルカは叫ばずにはいられなかった。


『どうにかって……』

「ソル………諦めようとしてない?」

『……っ』

「物語を完結させないと、私も元の場所に戻れないの」

『………』


 ソルが深くため息をつく。呆れているのか、怒っているのか、わからない。わからないけど、返事がないからエルカは続けた。


「だから帰る為に協力して欲しいの。私の為に諦めないで、私もソルの為に諦めないから」

『え? お前、帰りたいのかよ』

「え?」


 不思議そうなソルの声にエルカは首を傾げた。

 自分の住んでいた世界に帰りたいのは当然のはず。当然のはずなのに、何かが引っかかる。


『いや、何でもない』

「とにかく、帰るためにも頑張って!」

 こんなメルヘンな世界からは早く出て行きたいのだ。エルカは拳を握りしめた。


『…………顔が見えないからって、いい気になるなよ。糞ガキが』


 本の向こうから零れたのは、いつもの冷たい言葉だった。

 だけど、声色は温かい。


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