間章 ー帰還ー

◆◇◆


 カーン カーン


 朝を告げる鐘の音が遠くに鳴り響いた。 


 夜行列車のシートに寄りかかり、少年は薄目を開く。

 黒髪に黒い瞳、これといった特徴のない少年は軽く背伸びをして窓を見た。丁度、列車がホームに着いたところだった。

 一般客のシートは固くて寝心地が良いとは言い難い。長時間、同じ体勢で座っていた身体が悲鳴を上げる。


 他の乗客たちの最後尾を追いかけるように駆け出すと、車掌が不審そうに視線を向けた。他の乗客と比べて少年は荷物が少ない。

 無賃乗車を疑われたのかもしれない。何かを言われる前に、少年は切符を見せた。それを見て、車掌は頷いた。どうやら信じて貰えたらしい。

 

「半年ぶりか……」


 重い足取りで駅舎を出る。少年の荷物は黒いショルダーバックのみ。学生の家出かと疑われても仕方がない。実際、学校に登校するときと荷物の量は変わらないのだから。


 黒く沈んだ視界に映るのは、彼が半年前まで暮らしていた街の風景だった。


 人々の流れに沿って、歩き慣れたはずの石畳を踏みしめる。


 この時間の駅前は混雑していた。

 朝の通勤通学の人々でごった返している。それは、離れた頃と何も変わらない風景。


 それなのにまるで知らない場所にいるような感覚に陥る。


 半年前までは、この人だかりの中に紛れていたはずなのに……


 今は居心地が悪かった。


 思うように前に進むことが出来ない。


 人の流れに、うまく乗ることが出来ない。


 まるで、少年の存在を拒否しているかのようだ。





 今、彼が歩いているのは駅前の大通り。


 毎日通った学校に続く道。こんな人だかりは縫うように前に進めたはず。簡単に歩けたはずなのに……それなのに、初めて訪れたような気分になる。


(この街が僕を拒絶しているのか……)


 そう思ったとき、




………―――――――





 ザワザワとしていた通行人の喧騒が、パタリと止まった。


 静寂が訪れると、周囲の景色がモノクロに変わる。

 それと同時に少年以外の全てが静止していることに気付く。


 声を出して叫びたいぐらいの気持ちだったが、声を出すことが出来なかった。そして足は石畳に縫い付けられたように動かすことが出来ない。手は動かすことが出来た。だけど、その手は何も掴むことが出来ない。側にいた通行人に触れてもすり抜けてしまう。


 聞こえるはずのない声が頭に直接響いてきた。






『酷いよね』


『親の仕事の都合だからって逃げられるんだもの』


『ズルいよね』


『友達を傷つけたのに』


『自分だけは、何もかも忘れて一人で幸せになれるんだから』







 心のない声だ。それらは銃弾のように四方八方から撃たれる。

 それを弾き返す言葉を彼は持っていなかった。

 だから、大人しく、銃弾を、受ける。身体中に痛みを感じる。唯一動かせる右手で頭を抱えて、苦痛に表情を歪ませた。


 額にジワリと汗が浮かびあがる。









―――――――………。



「……っ」


 再びザワザワとした喧騒が耳に入ってきた。


 目を瞬かせると、少年は大通りの真ん中に立ち尽くしていた。

 白昼夢から強制的に戻されたようだ。 


 額の汗は残っているし、頭も痛い。身体も痛い、だけど身体に銃弾を受けたような形跡はなかった。やはり、あれは夢だったのだろう。


 あの声と言葉には聞き覚えがあった。


 半年前、少年は家の事情で街を離れることになった。

 その直前に友人と仲違いをした。友人とは仲直りが出来ないまま離れることとなった。周囲から見れば、彼が【逃げた】ように見えたらしい。街を離れる当日、すれ違ったクラスメイトたちがクスクスと笑いながら話しているのを聞いていた。


(これは、悪い夢だ)


 唇を噛みしめて、歩き出そうとした時。


 ドンっと横から衝撃を受けた。


 体格の良い男に突き飛ばされた。少年は、よろめいて蹴躓く。男からは酒のにおいがした。こんな早朝から呑んでいたのか、いや、朝まで呑んでいたのだろう。


「この糞ガキ!! 通行の邪魔なんだよ。真っ直ぐ歩けよ!!」

「…………」


 男は怒鳴り、少年に唾を吐きつけると人の波に消えていった。

 他の通行人たちは、突き飛ばされた少年のことなど気にも止めなかった。


「……この世界は優しくないな」


 少年の呟きなど、誰の耳にも届かなかった。


◆◇◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます