第1章 扉の向こう側(5)

 広間に戻ると中央のソファーでくつろいでいたコレットが微笑を浮かべた。


「歩き疲れたでしょ? 二人共座って、紅茶でも飲みましょうか」

「うん。丁度、喉が渇いていたの」


 円形のテーブルの上には白いティーポット。コレットの手には白いティーカップ。エルカの視線に気が付いたコレットが説明を始める。


「このティーポットは無限に紅茶が出て来る魔法のティーポットなの」

「それは便利だね。だけどカップを洗うのが大変ではないの?」


 いつまでも同じカップで飲むのは衛生的にどうだろうか。

 それに無限に紅茶が出てくるティーポットを使っていては、カップを洗うのに立ち上がるのも億劫のような気がする。

 そんなエルカの心配を見抜いたコレットが悪戯めいた微笑みを浮かべた。


「そこは、心配しなくても大丈夫! どうぞ」 


 コレットは二人の前にティーカップを差し出す。

 温かい紅茶の香りが身体と心を暖めてくれる。

 

「え? 飲み切ったらカップが変わったぞ?」


 ティーカップを凝視したままソルが目をパチクリさせる。

 エルカの手の中でも同じような変化が起きていた。

 先ほどまで紅茶で満たされていたティーカップ。

 中身を飲み干すと、真っ白な未使用のものに変化している。


「だから、洗う必要なんてないの」


 それは、最後の一滴を飲み終えると、新品のものに変わる魔法のティーカップだった。


「この魔法は良いね。洗い物が必要ないのは嬉しいな」


 洗い物を気にせずに、いつでも淹れたての紅茶を飲めるのは有難い。

 エルカは紅茶が好きだった。読書のお供にはいつも紅茶だった。一時期は、読んでいる本に合わせて茶葉を変えたりもしていたこともある。

 買い物に行ってくれる兄がエルカが欲しい茶葉とは別のものばかり買うので拘ることはやめた。


「そうね。この紅茶も絶品でしょ?」

「うん」


 一口飲むと、仄かな酸味が口いっぱいに広がる。

 フルーツの紅茶だった。


「柑橘系はリラックス効果があるからね。お疲れの二人にはピッタリね」

「紅茶の種類は変えられるの?」

「ええ、こうやってティーポットを持って………飲みたい茶葉を頭に浮かべるの」

 コレットは左手にティーカップ。右手にティーポットを持ち目を閉ざす。

 閉じていた目をパッと開くと、ティーポットの注ぎ口を傾ける。

 ティーカップに注がれる紅茶の色と香りが変わっていた。

「これは、ペパーミントかな?」

「正解よ」

「ポットの中身は紅茶だけなのか? コーヒーとかジュースとかは」

「紅茶やハーブティー。茶葉から抽出させるお茶だけよ。この棺を作った人の好みなのよ。他の飲み物が欲しくなったら、そこにある「全世界ビックリドッキリ飲み物事典」から召喚してね」

「全世界って、何だか怪しい飲み物もありそうだな」

 ソルはコレットに渡された本をジッと見据える。

 エルカも横目でそれを見たが、怪しげな色の液体が見えた。

「オススメは頑固親父が泣きながら作る涙入りセンブリ茶ね。ほろ苦くてしょっぱい親父風味」

「私は紅茶で良いな」

「俺も」

 想像するのも恐ろしい飲み物を勧められた気がしてエルカもソルも表情を曇らせた。モヤモヤとする気持ちを落ち着かせようと、ペパーミントティーを口に含ませた。

 

***


「あ、いましたね」


 紅茶を飲みながら落ち着いた時間を過ごしていると、少年が数冊の本を抱えて駆け寄ってきた。


「その本は?」

「これが、空想の物語です。どうぞ、読んでください」

「ありがとう」

 差し出された本を、エルカは両手で受け取る。


 本だ。やっと本が読めるのだ。


 エルカの笑みが深まる。

 その笑みに、ソルが苦笑したがエルカは気付いていない。


「まぁ、程々にしてね。お腹は空くのだから食事は取ること。いいわね。この中で空腹で死んでしまうなんて笑えない冗談はやめてよね」

「うん、わかっているよ」


 空返事をすると、エルカはソファに座ってさっそく本を開いていた。


「わかっているのかしら」

 隣に座るコレットが肩を竦めながら微笑む。


「わかっていないと思うぞ」

 ソルは呆れ顔を浮かべながら小さな欠伸を零していた。


 ***


 少年が持って来てくれた本は一夜で読み終えてしまった。


 物足りなさを感じたエルカは自分の足で本を探しに歩き回っていた。自由に歩き回っても良いと言われたから数日間はフラフラと歩き回って気になる本を手当たりしだい読んでいた。


「やっぱり本は良いね」

「物好きだよな。俺は開きたくもないのに……」

「ソルは読まないの?」

「文字を読むと眠くなるんだよ」


 ソルもやることがないからだろうか、エルカの後ろをついてくる。そして、エルカが本を読み終わるまで、本棚の横で眠っていた。

 図書棺の中は、過ごしやすい室温で保たれている。

 ソルが昼寝してしまうのも仕方ない。


「ソル……起きて」


「うん?」

 うたた寝をしていたソルをゆすり起こす。

 ソルは寝ぼけ眼をパチパチとさせながら身を起こした。

「もう少し寝かせろよ」

「…………寝ていても良いけど。別の部屋に行くときは声をかけろって言ったのはソルだから」


 勝手に一人で行動するなと言ったのはソルだった。

 だから、エルカは仕方なく彼を起こすのだ。


「そうだったな……どうしたんだ? お前だったら、もっと長時間読んでいただろ? 飽きたのか……」

「さっきの本は最後まで読んだよ」

「もう少し、ゆっくり読んでも良いのにな」

 ソルはファァァっと欠伸をする。


「読みやすかったの。それで………そろそろ、探そうって思ったの」

 エルカはそう言ってソルの目を見つめた。

「あいつが主役の物語?」

「うん。もちろん他の本も読んでみたいよ。だけど、寝る場所や食べ物を提供されているのに何もしないのは申し訳ないよ」

「じゃ、俺も探すか」

 ソルは立ち上がると大きく背伸びをする。

「その為について来ていたんでしょ?」

「まぁな。お前だけにやらせたら、あのコレットとかいうのに怒られそうだからさ」

「ソルって、怒られるのが嫌だから探すの?」

「……当たり前だろ」

「まずは、児童書の部屋に行こうか」


 二人は彼のイメージに合いそうなタイトルの本を探す。

 だけど、どれもピンとこない。


 王子様のような容姿なのだから絵本だろうか。もしくはファンタジー。

 二人が訪れていたのは児童書が並ぶ書棚の部屋。


「霧の王子とかは?」

 ソルが一冊の本を指さした。

「霧の王子って、勇敢な王子様がお姫様を助ける話だよね。彼は霧の王子には見えないよ。霧の王子はカボチャパンツなんて履かないもの」

 霧の王子は、すらりとした十頭身の身体と、黒髪に切れ長の碧眼を持つ王子様だ。カボチャパンツの彼とは似ても似つかない。

「王子って生き物は誰でも似合うんじゃないか」

「イケメンは何着ても似合うでしょうけど、霧の王子にカボチャパンツはダメ」

「そうなのか」

「霧の王子は黒髪で長身なの。違うでしょ」

「そうだな、じゃあ……マロン国物語」

「これって、勇敢な王女様が他国のお姫様と恋に落ちる話で、王子様は出てこないよ。すごい、十作目まであるんだ」

 女の子同士の恋の話は斬新で一部の男の子や女の子の間で大人気となったシリーズ。エルカは一作目しか読んだことがなかった。

 女の子同士の恋の話は公序良俗に反するとかで一部の本屋や図書館には置かれていない。そんな幻のシリーズだ。

「そっか………それっぽいタイトルで選んだけど難しいな。あいつは、マロン国じゃなくて、カボチャの国か」

「カボチャの国じゃなくて、ただカボチャパンツを履いているだけだよ」

「あー、難しい」

「難しいよね。ソルは、そっち探して。私はこっちの本棚を見るから」

「はいはい。でも、お前の方が詳しいから確認は任せるぞ」

「わかった」


 実際にある絵本や児童文学の主人公かと思っていたが、そうではないようだ。

 ソルは本棚を背に座って大きな欠伸を零していた。エルカはタイトルを眺めながら棚に沿って歩いている。


 

「あ…

    …れ?」



 エルカは、その棚の前で足を止める。

 

 その棚だけが、違って見えた。


 その棚の前だけ、ひんやりとした空気が流れる。


(寒い………)


 過ごしやすい室温が保たれているはずなのに、

 そこだけが、やたらに寒く感じた。


(……?)


 エルカは離れようと思った。

 だが、身体が動かなかった。



 視線がゆっくりと、上に向けられる。

 上を見なければならない、そんな気がしたからだ。


 その中の一冊の本だけが気になった。



 あの本だけが、違う……そう思った。


 吸い寄せられるように、それに手を伸ばす。


(遠い……)


 高いところにあったので、背伸びをして、手を伸ばして……


(……とれた)


 絵本を手に取った。



 表紙には子供が描いたようなイラスト。

 これは、きっと誰かが描いた物語なのだろう。

 ラクガキにも見える表紙に口元が綻ぶ。


「エルカ?」


 ソルの声が遠くに聞こえた。

 だけど、エルカはその声に振り返ることはしなかった。


 そのページを開く、瞬く間に物語が始まった。



***



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