第1章 扉の向こう側(4)

「ここが何処かという質問でしたね。お答えしましょう。ここは魔法の図書棺ですよ。図書棺の【かん】は【ひつぎ】と書きます」


 凛とした声が響く。

 場の空気が一瞬にして、変わったような気がした。


 微笑んだのは小柄な少女だ。幼女と呼んだ方が正しいのかもしれない。

 彼女がどこから現れたのか、エルカもソルも分からなかった。いつから居たのかもわからない。気が付いたら、そこに立っていたのだ。

 亜麻色の髪。頭の上には真っ赤なリボンがのせられている。可愛らしいエプロンドレスの少女は見た目通りの無邪気な笑顔を浮かべている。


 そして少年の腕をグイッと引っ張った。少年はズルズルと引きずられながら二人から離される。少年は必死に振り払おうともがいているが、逃げられない様子。


「イタタタ」

「お客様に失礼です」

「でも、真実だろ。僕はここが何処かも知りませんしね」

「だったら、私を呼べば良いのよ」


 立ち止まり、やれやれと肩をすくめる少女。


 彼女は色々知っているように見える。エルカの視線に気づいたのか、こちらを見て穏やかに微笑んだ。


「はじめまして、コレットと申します」

「えっと、エルカです……この人はソル」


 コレットと名乗った少女の外見はエルカよりもずっと幼い。 

 だけど、漂う雰囲気はやけに大人びていた。彼女も、少年と同じで見た目と年齢が違うのかもしれない。


「知っているわ」

「知っている?」

「ええ」

「でも、はじめましてって」

「ええ、はじめましてよ」

「どういうこと?」

「今はわからなくて良いの。いずれ、わかることだからね。とりあえず貴女たちの敵ではないことは断言できるから」


 何処かで会ったような親近感のある暖かい笑顔。

 

 だけど、友達のいない引き篭もりのエルカに妖艶な幼女の知り合いなんて居ただろうか。考えても、思い当たるものが見当たらない。


「魔法の図書棺って?」

「本のひつぎ。忘れられた物語がここに在るの」

「意味が……わからないよ」

「生きている人間、生きていた人間………彼らの過ぎてしまった過去、起きたかもしれない過去、夢見てしまった空想の過去が本になって存在しているのよ」


 よくわからない。

 二人は首を傾げる。コレットの声は優しかった。


「人間の心や記憶や歴史がそのまま本という形になっているの」

「それって誰かの心や過去を覗き込むみたいなもの? 気味が悪いよ」

 本が好きなエルカでも、他人の過去を覗き見る趣味はなかった。


「誰でも読めるわけじゃないから安心して。その過去を持つ本人や、本人に近しい人にしか開くことは出来ないの」

「じゃあ私の過去の本を読めるのは、私本人と、私に近い家族だけってこと?」

「家族だから読めるってわけでもないわ。そうね、貴方がこの人になら読まれても平気って思える……貴方が心を許せる存在って感じよ」


「私が心を許せる相手……」

 それは、誰のことを言っているのだろうか。

 エルカが心を許せる相手なんて限られていた。

 だけど、それが誰なのかすら思い出せない。


「難しい話は苦手だ」

 ソルが頭を抱え込む。

「心配するな。僕も分からないぞ」

 少年が凛々しい顔で同意した。

 先ほどまで、喧嘩寸前だった男二人が視線を交わして頷き合う。


「それで、貴女たちは何をしているの?」

 エルカは少女に尋ねる。少女はニコッと微笑む。

「私たちは、ここである物語を探しているの」

「物語を?」

「そうよ」

 コレットは少年の身体をエルカたちの前に突き飛ばす。

「?! コレット? 押さないでくださ………うわぁっ」

 少年はよろめきながらも、踏ん張ろうとしたけれど耐えきれず尻もちをついてしまった。

「この彼が………主人公の物語よ」

「痛いじゃないですか」

 少年は、頭を抱えながら起き上がる。

「この人が主役の……どういうタイトルなの?」

 図書館ならば本のタイトルや作家でありかを調べることは可能だ。

 だけど、コレットは乾いた笑顔をこちらに向ける。

「タイトルはわからないの」

「それじゃ、難しいよ」

「それでも、私たちは探さなければならないの」

 気が遠くなりそうな話をされている。エルカとソルは視線を交わしてため息をついた。

「大変そうね」

「他人事じゃないんだぞ」

 少年が苦笑を浮かべた。

「どういうこと?」

「彼の本を見つけないと、貴女たちが入って来た扉が開かないのよ」

「その扉が開かないとどうなるんだよ」

 ソルが眉根を寄せる。

「扉が開かないと、この図書棺から出られないの」

「それは困るだろ?」

 目を輝かせた少年がジッとエルカを見た。

 だけど、エルカの答えは少年の望むものではなかった。


「困らないわ」


「え?」

「私、どうして自分がここに居るのかも、それまでのことも良く覚えていないのだけど。これだけは、はっきりとわかるの……本を読んでいるときが、生きているって実感できるの。こんなにたくさんの本に囲まれていられるなんて幸せだわ」

 本に囲まれて死ねるのなら本望だ。

 そんなことを言えば兄に怒られるのだけど、今はここにはいない。

「そうね、ここには誰かの記憶だけではない。現実の本も、誰かの空想した物語もあるから飽きることはないでしょうね」

「空想の物語って……それってどういうの?」

「書いたり考えたりしたけど。世に出すことのなかった物語です。もしかすると作家の未発表作なんて本もあるかもしれませんね」

 少年の説明にエルカの目は次第に輝きを増していた。

 余計なことを言ってしまった……というように少年が口を手で押さえる。


 作家の未発表の物語には興味があった。

 作者が亡くなったことで未完のままの作品があったことを思い出す。探せば、その本も見つけられるかもしれない。


「何それ、面白そう!」

「では後ほど用意しますね」

「ありがとう。それで、貴方たちはなの? 私たちとは違う存在だよね」

「はい。僕たちは精霊。人間ではありません。何処かの本から抜け落ちてしまった物語の欠片ですよ」

「物語の欠片?」

「物語の登場人物ってことです。僕は主人公なのですよ。凄いですよ」

 少年が仁王立ちをして鼻を鳴らすが、すぐにコレットに頭を叩かれた。

「図書棺にある本は自由に読んで欲しいわ。読めればだけど。その代わり彼の本を探すのを手伝ってね。頼りないけど、主人公だから」

「うん」

「それと、帰れないのはエルカだけじゃないの。それを忘れないで」


 エルカは隣に立つソルを見やる。


「……」


 ソルは黙っていた。その横顔は、やや呆れた表情を彩っている。

「わかってるよ」

 ソルだって帰れなくなるのだ。忘れたわけではない。考えていなかっただけ。彼は苦手な人。だからって我儘に巻き込んではいけない。


「まずは、図書棺の案内ね。頼んだわよ」


 しんみりとした空気を立て直すかのように、コレットがパンパンと手を叩く。

 それと同時に少年が背筋を伸ばして立ち上がった。


「はい!!」


 非常に良い返事をする少年はコレットに逆らえないのだろう。引きつった笑顔で何度も頷く。そんな少年を先頭にエルカたちは棺内を歩き始めた。


***


 最初に訪れたのは食堂。


「これ全部、料理の本なの?」

「はい」

 その言葉を聞いても信じがたい。食堂と言われた部屋の壁一面は本棚だった。そこに並ぶ本は全て料理の本なのだという。

 ソルが近づいて一冊手に取ると何だか難しそうな表情を浮かべた。

「読めない字もあるな」

「それは、異国の料理本になりますね」

「え? 異国の本もあるの?」

「はい」

「料理の本があっても、作るのは難しいよね。食材はどうやって手に入れるの?」

「ああ、食材はありませんよ」

「は? 材料がないのなら料理なんて出来ないだろ」

 ここにはテーブルと本しか置かれていない。

 少年はフフフと笑みを深める。

「料理はしませんよ。ここは魔法の図書棺ですからね」

 意味深な笑みを浮かべて、少年が料理本を手に取りページを開く。


「ドーナツ?」


 そこにはドーナツの写真が写っている。

「二人共、このドーナツが食べたい!!って願ってください」

「え?」

「は?」

 突然、何を言い出すのだろう。二人は訝しげな視線を向ける。少年の真面目な視線が返って来た。

「目を閉じて、頭にこのドーナツを思い浮かべて、食べたいと願ってください」

「………わかった」

 言われた通りに目を閉じた。先ほどのドーナツを思い浮かべる。

 美味しそうなドーナツだ、


(このドーナツが食べたい)


 そう、願いを捧げると、ドーナツが現れた。

 それは、本に描かれていたものと同じドーナツだった。 


「え……」

「魔法ですよ。本を開いて、これが食べたいなぁって願うとその料理が目の前に現れるのです。どうぞ、食べてみてください」

「………」

「………」

 おそる、おそる、口に入れる。

 ほのかな甘い香り、柔らかな触感、優しい甘さが口いっぱいに広がる。

「ドーナツだ」

「ドーナツだな」


 食べ終わると、皿が勝手に消えてしまうので皿洗いの心配もいらない。何て、便利なのだろうと思わず感心してしまう。


 次に訪れたのは寝室。


 そこには本に囲まれた大きなソファーがあった。

 フワフワのソファーは座り心地がとても良い。どうやら、ここは本を読みながら寝る為の寝室らしい。


「本に囲まれて寝るなんて、なんて幸せなことだろう」

 エルカは思わずうっとりとしてしまった。

 背後で、ソルは呆れ顔を浮かべている。

「お前、相変わらずだな」

「エルカは変な子ですね」

「わからないの? インクの匂いって気持ち良いのに」

「いったい、どんな生活していたのですか?」

「ああ……どうだったかな」

 エルカは地下書庫に引き篭もっていた。

 インクの匂いと埃とカビ臭いあの地下で一日の殆どを過ごしていたのだ。

「すみません」

「気にしないで、私は変な子って自覚はあるもの。」

「………」

 ソルが何かを言いたそうにエルカを見る。

「? どうしたの」

「っ………ここにある本は見たことがある」

 視線に気付いたエルカと目が合ったので、目を反らしながら本棚を見上げた。

「ここに置かれているのは、子供向けの絵本です。眠れない夜に親が子供に読み聞かせるような物語。実在する本なので、二人も読んだことあるのではないでしょうか?」

「そうかもな。そんな時代が俺にもあったのかもな」

「………ソル」

 絵本をめくるソルの横顔は何だか寂しそうな目をしている。彼にもそういう時代はあったのかもしれない。パタンとソルは本を閉じる。

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