第1章 扉の向こう側(2)

 ソルはドアノブを握ったままの体制で静止していた。無言でドアノブを凝視する姿が異様だったので、エルカはその顔色を伺うように見上げた。


 ソルは不安そうなエルカに、何と伝えればよいのか悩んでいた。口を開けば、先ほどのように彼女に当たってしまうような気がした。


 ソルが何やら悩んでいることに気付いたエルカは小首を傾げる。


「もしかして、鍵……閉まっているの?」

「みたいだな……力づくで開けても良いか?」

「力づく?」

「拳を握ってバンって殴る」

 それが最良の方法であるかのようにソルは言う。エルカの意見は違っていた。

「これ、鉄の扉だよ。ソルの手が砕けちゃうよ。力づくは良くない」

「……鉄なのかよ」

 ソルは両手を上げてお手上げのポーズをとる。鉄を拳で殴るなんて無謀なことはしたくないらしい。

 エルカも試しにドアノブを回したがビクリともしなかった。

 鍵が閉まっているのでは仕方がない。


「……残念……」


 エルカは目を閉じて考える。この扉の先に行かなければ……そう、思ったけれど、扉が開かなければそれは不可能なことだ。


 目を閉ざしたまま振り返る。


 そこに暖炉があって、そこからソルが出て来た。その記憶に間違いはないはずだ。


 そして、ゆっくりと目を見開く。


 やはり、そこに暖炉はなかった。わかっていたことなのに、肩を落としてしまう。


 最初に目覚めた時、扉以外は何も見えない闇の空間だった。まるで自分が闇に浮いているような感覚にあった。

 だけど、少しずつ見覚えのあるものが目に映るようになる。床も壁も天井も机も椅子も、あの地下書庫と同じものが、そこに在った。


「………あ……れ?」


「どうした?」

 首を傾げるエルカにソルの声がかかる。何で、不思議に思わなかったのだろう。エルカは慌ててソルの顔を見上げた。


「ないの……」


「え?」


 エルカは視線を落として、周囲を見渡す。

 地下書庫なのに、大事なものがなかった。

 どうして、それがないのに地下書庫だと思ったのだろうか。


 背筋が冷やっとするのを感じた。


 何で自分は、地下書庫に見えたのだろうか。

 バッと顔を上げてソルの目を凝視する。


「ここ、本がないよ。書庫なのに……本がないの」

「え……」


 言われて、ソルが周囲を見渡して目を瞬かせた。


 視界に映る世界はぼんやりとしている。

 目に映るものは限られていた。


 床と壁と天井、机と椅子……あとは引き出しのついた棚。


 それ以外は、闇色に染まっている。


 どうして、本がなかったことに今まで気づかなかったのだろうか。

 ソルは椅子に近づいて、その肘掛けに触れる。


「…………本当だな。でも、雰囲気は地下書庫と変わらないよな。この臭いも覚えている。鼻が痛くなる臭いだ。この椅子だって、あのじぃさんのお気に入りのやつだ。ほら………ここの肘掛けの傷、俺を叱ってくれたときについた傷だよ」


 ソルには叱ってくれる親がいなかった。怒りをぶつけてくる親しかいなかった。

 だからソルは何が正しくて、何が悪いのか分からない子供だった。

 そんなソルを叱った、唯一の大人がエルカの祖父グランだった。

 ソルにとっても、グランの存在は大きかったのだ。聞き流されそうな些細な不満さえもグランは聞いてくれた。そして、褒めたり、叱ったり、ソルの為の言葉を投げかけてくれた。ソルは当時を懐かしむように、椅子に触れる。


 エルカも椅子を見る。確かにそれは祖父のものだった。祖父がそこに座って、その膝の上にエルカが座った椅子だった。

 祖父が亡くなった後は、誰も座っていない。


「じゃあ、お爺様の書庫で間違いはないのね」

「……そう思うよ。じぃさんが亡くなってからは入ってないけど……お前はどう思うの?」

「私も、お爺様の書庫だと思うよ。でも………」


 ここは祖父の地下書庫。


 そう思っていたけれど肝心の本が見当たらない。

 じゃあ、違うのか。

 いや、そんなはずはない。エルカが地下書庫から出て他の部屋に滞在することは有り得ない。


「仕方ないね。場所を移動して本を探してくる」

「場所を移動するって?」

「私、本が読みたいの。さっきまで、机や椅子も見えなかったの。それが、今は見える。だから、あの闇の中をよく見れば……きっと、本棚も見える」


 闇が深まっている方向に向かって歩き出す。闇に近づけば、見えなかったものが見えるかもしれない。


 そう思って、慎重に歩き出す。


 ふいに腕を掴まれた。


「おい!」


「……っ」


 突然のことだった。


 エルカは、驚いて彼を見上げる。

 ソルも自分の行動が意外だったのか、見開いた目を少しだけ反らした。

 腕を掴んで引き止めたのは、ソルの手だった。


「いつもと違うんだろ? 闇雲に歩くのは危険だ……」

「そうだけど。お爺様の書庫なら、危険はないはずよ」

「お前に何かあったら殺されるのは俺なんだぞ!」

「お、大袈裟だよ」


 でも、何も起こらないとは限らない。

 気が付いたら、ここに居た。

 気が付いたら、ソルが降って来た。

 また、何かが起こるかもしれない。


「歩き回る前に、この鍵を試してみないか?」

 そう言って、ソルは首に下げていたペンダントを取り出す。

 それはペンダントではなかった。シルバーのチェーンの先にあるのは、鍵。

「鍵?」

「ああ、お前のじぃさんから………亡くなる前に御守り代わりだって言われて貰ったんだ」

「お爺様の鍵? だったら魔法の力で扉が開くかもしれないね」

「ああ」

 二人は鍵を手に再び扉の前に立つ。

 息を飲み、呼吸を整えて、視線を交わす。

「それじゃあ試してみようよ」

「いくぞ」

 ソルは鍵を鍵穴に差し込んだ。

「入ったね」

「ああ」

 綺麗にはまった………そして、それを回すと、


 カチッ


 とした音がどこからか聞こえた。

 それは、目の前の扉からなのだろう。


 二人は視線だけ交わして、頷き合う。

 ソルの手がドアノブを握る。

 静かに回す。


「………回った」

「回ったね」


 ガチャっと音がした。


 あとはこの扉を押すか、引けば良い。


「いいか? まずは見るだけだぞ」

 ソルが確認する。ソルが慎重なのは珍しい、だからエルカも気を引き締めるように深呼吸をして頷いた。

「わかっているよ。入った瞬間に扉が閉まったらここに戻れないものね。先に扉の先を確認して……大丈夫そうなら入る」

「扉の先が、家の廊下かもしれないしな」

「そうだね」

「じゃあ、扉を開くぞ」

「うん」

 鈍い音を立てて、扉が開かれた。


 ギギギ


「!!」


 眩い光が視界を覆った。

 眩しさに目を閉じてしまう。

 ゆっくり、慎重に瞼を開く。


 そこで出迎えてくれたのは巨大な本棚だった。


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