第9話 虚無の少年とその願い

 故郷を奪われた日から、セルティ帝国と、カオスロードを憎み続けて生きてきた。

 全てのエインシェンティアの消滅と、自らの手でカオスロードを殺すことを誓い、旅を続けた。

 だからランドエバーで彼女と出会ったとき、やっとそれが果たせると正直心が沸いた。


 だが。


(数え切れない人々を無残に殺めて来た彼女を、冷徹で感情のない殺人機械だと思えばこそ、オレは――お前を殺すという目的を糧に、過酷な日々を生きたのに)



 エスティはただ呆然と立ち尽くし、ラルフィリエルは涙の溜まった瞳で彼を睨み続けていた。だが、急に彼女は咳き込み体を折った。咳と共に鮮血が飛び散り、華奢な体がぐらりとかしぐ。咄嗟にエスティは手を伸ばすと、崩れ落ちる少女の体を抱きとめた。

 何故、宿敵に手を差し伸べるようなことをしたのかは自分でもわからない。だが、彼女を殺してはいけない、何故かそんな想いが頭をめぐったのだ。


「大丈夫か? ラルフィリエル」

「気安く呼ぶな……私はお前の、敵だ」


 苦しそうに喘ぎながらもなお、ラルフィリエルは睨むのをやめなかった。しかしそれが限界のようだ。

 憎み続けていた仇が、目の前で無防備な姿を晒している。なのに気は昂ぶるどころか穏やかで、そんな自分を不思議に思いながらもエスティは答えた。


「じゃあ、今まで通りカオスロードと呼ぶ」

「……その二つ名も、好きじゃない」

「我儘なヤツだな」


 溜め息と共に吐き出しながら、エスティは身に着けていた外套を外すとそれを引き裂いた。彼が止血しようとしているのに気付いて、ラルフィリエルが鋭くそれを止める。


「やめろ。自分で治せる」

「動くな。止血した方が回復呪リザレクトスペルだって早く効く」


 淡い光が彼女の体を包みこんでいる。それには気が付いていたが、エスティは手を止めなかった。どんなに強い魔力があろうが、この深手を完治するのには時間がかかる。応急手当でも、しないよりはマシというものだ。

 ラルフィリエルは抵抗するように身じろぎしたが、さすがにそれ以上は動けないようだった。


「私は、お前の仇なのだろう。何故……」

「知らねぇよ」


 ぶっきらぼうに答える。彼女を助けた理由など自分でもわからなかった。

 それからしばらく互いに沈黙したまま時間が流れ、やがてラルフィリエルは体を起こした。


「まだ動かないほうがいいんじゃないか」

「時間がない。……目覚めてしまったんだ。早く行かなければ、『あいつ』は人を殺す。私が……制御しないと」


 そう言った彼女の腕を、だがエスティは強く掴んで引き戻した。


「セルティに渡すわけにはいかない。そんなにエインシェンティアを集め、暴発したらどうなると思ってる!」

「では、この街を見捨てるというのか。今私がヤツを制御せねば、暴発はせずともヤツはこの街を滅ぼす。指令以外で人が死ぬのは御免だ!」


 叫び、彼の手を振り解こうとラルフィリエルはもがいた。

 だが、エスティは手を離さなかった。


「オレが消す」


 深紅の瞳が真っ直ぐにアメジストの瞳を捉える。見つめられてラルフィリエルは抵抗をやめた。


「……あの、聖域での力か」

「そうだ。オレはエインシェンティアを無に還す者。――デリート・システムを受け継ぐものだ」


 驚愕に、ラルフィリエルが双眸を見開く。だが、一瞬のことだ。


「……だが、聖域で見た限りでは、お前の力は足りない。それに、私が受けた指令は、レグラスの古代秘宝の奪取。邪魔をするならば、私は本気でお前を殺さなければならない」

「指令……ね」


 失望したようにエスティは彼女から手を離した。


「戦いを望まないくせに、何故お前はそんなに皇帝に付き従うんだ」

「話す必要はない」


 解放され、再びラルフィリエルは歩き出した。既に彼女はいつもの、何をも受け付けない無敗将軍の顔に戻っている。それに気付いてエスティは肩をすくめた。

 が、刹那とてつもない威圧感と殺気を感じ、身構える。当然ラルフィリエルも感じた筈だ。

 カシャン、と軽い音を立てて、中央に浮いていた蒼い球体が割れた。


 次の瞬間二人は飛び退り、幻視で守られた空間を出た。一瞬遅れて爆風が彼らを襲う。

 今まで彼らがいた空間が破壊される。

 それだけに留まらない。

 一気に書斎自体が大破し、空間があった場所を核に凄まじい威圧感が膨れ上がった。


『我が御名において命ず! 我を地の戒めより解き放て!』


 とっさにエスティは飛翔した。彼女は呪文スペルもなく、既に空に逃れている。


「なんて力だ……!」


 声こそ出さなかったが、彼女もその力に少なからず驚いているのが窺えた。


「……あのエインシェンティアをどうするかについては、オレとお前では平行線だな。だけど、少なくともこの街を護りたいのは同じはずだ」


 彼女がこちらを向く。彼が何を言いたいのか、ラルフィリエルには解った。

 自分だけの力でも、彼の力だけでも――この街を護り、このエインシェンティアを止めるのは難しいだろう。


「……手を貸せというのか」

「手を貸すと言ってるんだ。ご不満か? 将軍様」


 茶化すようなエスティの態度に、彼女はつと目を背けた。そして、膨れ上がる威圧に向かって、空を翔ける。


「……ラルフィリエルでいい。だが、これが終われば敵同士だ」


 彼女を追ったエスティの耳に小さな呟きが届く。

 再びエスティは肩を竦めたが、ふいに真顔に戻り剣を抜き放った。

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