第5話 奸計と代償

「お前が、セルティの使いか」


 人を小馬鹿にしたような態度で、エルザスは嘲るように言った。


 だがそんな彼の態度にも言葉にも、彼女は表情を変えなかった。


「セルティも、こんな少女を使いによこすとはな。なめられたものだ」


 彼にもぞんざいな態度を改める素振りはなかった。やはり彼女は気にも留めていないようだったが。


 セルティの使者は、美しい、だがまだ幼いと言ってもいい少女だった。

 華奢な体に、長い銀の髪。

 彼女は彫刻のような唇を動かし、ただ一言問うてきた。


「古代秘宝を、渡してもらおう」


 エルザスは嘲笑するように、口の端を歪めた。


「この街にそんなものはない」


 だが、それでも、彼女の表情に動きはなかった。


「そうか……残念だ」


 その瞬間、エルザスの耳に轟音が届いた。


 ※


 夢は、見なかった。


 青空と淡い光が深紅の瞳に移りこむ。快晴とまではいかないが、よく晴れている。

 体が痛むと思ったら、何故か瓦礫によりかかって眠っていた。周りを見るに、どうやらスラム街のようだ。


「……なんでだ」


 そう呟きながら、エスティはむくりと起き上がった。何でこんなところで寝ているんだと言おうとして、途中で面倒になったのだった。そんなことを質問しても、辺りには答えてくれそうな人はいなかったからだ。というか誰もいなかった。


 火を起こした跡など野営した形跡はあるのだが、リューンやシレアの姿は見えない。


(確か、昨日……ラルフィリエルに会って、そしてリューンが来て……で、なんだっけ)


 首をひねる。もっとも実際はその後すぐ眠ってしまったのだから記憶がある筈もない。


「エス! 起きた?」


 突如降って来た声に、エスティは上を見上げようとしたが首が痛いのでやめた。見ずとも声の主くらいそれと知れる。


「もう昼過ぎよ? 何度起こしたと思ってんの。ほんとエスって良く寝るわねぇ」


 呆れ声のシレアに、エスティは怒声を返した。


「あのなあ……失われた古代呪文を使うのってしんどいんだぜ? 魔力も体力も極限に使うの。それでもオレは使ってんの。オレは凄いの。でも疲れてんの。……って、昼過ぎだって!?」


 ふいにエスティは言葉を止めてシレアを見上げた。


「そうよ。今日が、セルティの使いが来る日よ」

「な……何!? やっぱそうか!」


 緊張気味のシレアの声に、エスティは体が重いのも忘れて弾かれたように立ちあがった。


「お兄ちゃんはもう市長の家に行ってる。エスも急いで!」


 言うなりシレアは身を翻し、ボードを飛ばした。そのボードを追って、エスティも駆け出す。


 荒れ果てた旧市街を抜けると、やがて街の喧騒が聞こえてきた。

 物売りの声。挨拶を交わす声。走ってゆく足音――

 同時に二人の心に不安がよぎる。


「エス。断れば攻めるって、どういうことなのかな? エスが寝てる間、お兄ちゃんが何度か市長に探りを入れに行ってたんだけど、やっぱりエインシェンティアについては教えてもらえなかった。でも、どっちにしてもセルティの手にエインシェンティアが渡らなかったら、この街は……」


 良い天気にも関わらず、シレアの顔は青ざめ、声は震えている。

 エスティの頬を冷や汗が伝った。


 ――エインシェンティアを渡す気がないのはわかっている。明日、予定通りここを攻める――


 走るエスティの脳裏に、ラルフィリエルの声が蘇った、そのとき。


 突如轟音が響き渡った。

 とてつもなく強大な魔法によって、建物が崩れる音。悲鳴。あっという間に、火の手が彼らを、町人を、家を、街を包み込む。

 幾筋もたちのぼる白い煙。

 平和な街が戦場と化すのは一瞬だった。


「……奇襲……ッ」

「エスティ!!」


 呆然とする彼の名を呼びながら市長の家からリューンが走ってくる。


「やられた。市長の家の前で張っていたけど、使者らしき人なんて来なかった」

「関係ない。カオスロードならば市長の前に直接空間転移することもできるし、はじめから使いを送る気などなかったのかもしれない。こうなったら、もう今更関係ない!」


 瞳に紅く燃える炎を映し、悔しげに呻きながらエスティは拳を地面に叩きつけた。だが。


「エスティ!」


 咎めるようなリューンの声に、はっと顔を上げる。そして――叩きつけた拳をきつく握り締めた。


「ああ……わかっている。行くぞ、リューン、シレア!! 街の人を護るんだ……一人でも多く!」


 剣を抜き放ち、叫ぶと、彼はその身を戦場に投じた。セルティ軍はもう間近まで迫っている。


「……何故、何故だ……何故こんなことに……私の、私の街が」


 震える声に、リューンが振り向く。見ると家の中から市長が飛び出してきたところだった。その顔には濃い絶望が浮かんでいる。


「油断しました――ぼくたちも、貴方も。だけど言ったはずです、エインシェンティアがないと言い通しても、セルティには通じないと。こうなることは……避けられなかった」


 リューンの声は穏やかだが、冷たい。


「貴方は嘘をつきましたね。今の動揺しきった貴方の心など簡単に読める。エインシェンティアがないなんて嘘だ。そしてあなたは何か企んでいる」


 エルザスは何も答えず、がくりと地面に手をついたまま動かない。リューンは浅く息を吐いた。彼はまだ何か隠していそうだったが、リューンといえどもそれがなんなのかまで読み取ることはできない。


「……シレア、市長を頼む。無茶はしないで」


 シレアが頷くのを確認すると、リューンもまたエスティを追って飛び出した。

 一人残され、シレアは嘆息した。ちらりと伏せたままの市長に視線を投げる。そしてまた視線を戻すとすっと息を吸い、印を切った。


『清く流れる命の源! 寄りて集い、雨の如く成せ!』


 彼女のスペルによって、広範囲に雨のように大量の水が降り注ぎ、火の勢いを劣らせる。視界の端に市長をとらえてシレアは叫んだ。


「うじうじするのはやめてよね! あなた市長でしょ? あなたが街の人を護らなくてどうするのよ!」


 シレアの檄にも、エルザスに反応は見られなかった。だがそんなことに構っている暇はない。火の手を弱めるため、シレアは印を切り続けた。が、あることに思い当たって、ふとその手を止める。


「……そうだ。セレシアさんと、セララちゃんは……?」


 考えてみれば今日1日姿を見ていない。そう気付いたのと、弱々しい声が耳に届いたのとに、大した時間差はなかった。


「パパ……!」


 セララの声だ。


「セララちゃん!? どこ!!?」


 まだくすぶっている火の中からセララがまろび出てくる。だが現れたのはセララだけではなかった。その後ろから、複数の兵士が姿を見せる。


「セルティ軍……ッ!」

「セララちゃん!!」


 市長がかすかな呻き声を上げる前に、シレアはボードを飛ばしていた。最速で翔び、セララを横抱きにしてそのままボードから飛び降りる。


「うッ!」

「ぐあッ」


 僅かに失速しつつも、まだスピードを保っているボードは、そのまま翔んで兵士を薙ぎ倒す。もちろんそんな位で致命傷になるはずもないが、これで印を切る時間くらいは稼げた筈だ。


『地を駆る透明なる者よ! 寄りて寄りて集い、嵐と成し、雷と成れ!』


 転倒した兵たちが素早く起き上がり、駆けて来る。だがシレアは慌てずセララを後ろに庇い叫んだ。


 閃いた兵士の剣に雷が下る。体を駆け巡る強い電流に、たまらず彼らは倒れ伏した。


「セララちゃん、大丈夫!? 怪我は……」

「お姉ちゃんが……」


 かがんで怪我がないか確認するシレアに、セララは大粒の涙を見せた。


「セレシアお姉ちゃんが、いなくなっちゃった……きえちゃったの」

「え?」


 シレアの表情が、不安そうにかげる。しかし、みるみるうちにその表情は憤怒へと変わった。それは、場にまるでそぐわぬ笑い声が起こったからだ。


「……何が可笑しいの?」


 よく笑う半面よく怒るシレアだが、この時の怒りばかりはいつもの彼女のものではなかった。大人びた色を宿したムーンライトブルーの瞳が、冷たく市長を見下ろす。


「あなた、一体何を企んでいるの? ……言いなさい。エインシェンティアは? あなたが言った嘘って何? セレシアさんは、何処なの!!」


 煙でくすぶる空に、シレアの声が虚しく吸い込まれてゆく。

 市長はただ、得体の知れない笑みを浮かべるのみ――。

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