第4話 混沌の少女とその真意
「でも、どうする? 例え本当に無かったとしても、セルティは攻めてくるよ」
掃除の行き届いた廊下を客間に向かって歩きながら、リューンが溜め息混じりにこぼす。そのもっともな言に、エスティも思案顔で立ち止まった。
「……エインシェンティアがあったとしても、だ。ランドエバーでの連戦で、相当力を消耗してしまった。
渋面になる。その理由は、口にしたことだけが全てではない。他にも不安要素は尽きなかった。
まずこの街にエインシェンティアがあるのかどうか定かでない。あったとして、その制御状態もわからない。制御力を失ったエインシェンティアはその時点で暴発するし、失いかけているならば、近くで魔法を使うなどといったほんの少しの魔力の干渉によって制御力を乱され暴発する恐れもある。
市長は「暴発を誘ってみるか」と挑発してきた。それはただの挑発か、それとも後者のエインシェンティアの存在を暗示しているのか。
そして何より、セレシアは「カオスロードの部隊」と言った。
(……一体どこまで彼女と戦えるだろうか)
エスティは自問した。まだ自分は本調子でなく、リューンは前のように戦えなくならないとは限らない。
さらには、前回の戦いでは『ランドエバーの守護神』こと、アルフェス・レーシェルの加勢があった。それを欠いている今、もう勝算など無いに等しい。
(それに、次は……奴は本気で来る)
――次は必ず、お前を殺す。
不敵に言い放ったカオスロードの彫刻のような美貌が頭をよぎった――
刹那。
「!?」
戦慄が体を駆け抜け、とっさにエスティは近くの窓を開け放ち通りを覗いた。
銀の輝きが――見えた、気がした。
「エス? どうした――」
リューンがエスティの異変に気付いて声をかける頃には、既に彼は窓を乗り越え外へ飛び出していた。
「エスティ!」
叫んだ頃には、既に彼の姿は雑踏の人ごみに消えている。
「どうかしましたか?」
間延びした声にリューンが振り向くと、紅茶を乗せたトレイを持って、セレシアがこちらを窺っていた。そしてその後ろから、シレアがひょっこりと顔を覗かせている。
「お兄ちゃん。エスは?」
「……セレシアさん、すみません、お茶は後ほど。シレア、お前はここを動くな!」
シレアの問いには答えず、エスティの尋常でない様子を察知したリューンもまた、彼を追って窓を越えた。
※
その気配に向かい、エスティは駆けていた。
「カオス……いや、ラルフィリエル!! いるんだろう――、どこだ!?」
往来を行く人々の間を縫って、走り、叫ぶ。
その先で、今度は確かにはっきりと、シルバーブロンドの輝きが目に留まった。
一瞬人の流れが止まって見える。その人ごみの向こうに、彼女は居た。細身の剣を携えた、黒軍服の少女とそこに流れる長い銀髪。
「戦場の下見ってわけか?」
「…………」
肩で息をつきながら、エスティが皮肉めいた声を上げる。だが彼女は何も応えず、黙ったままで踵を返した。
「! 待て!」
焦って叫びながら、エスティが慌ててそれを追う。
見失わないよう細心の注意を払いながら彼女を追ううち、通行する人の数が減っていくことに気が付いて――エスティはいつでも取り出せるよう、剣の柄を握り締めた。
やがて景色は町外れへと移り、人の気配が完全になくなる。それを確かめて、エスティは剣を抜き放ち、走った。そしてそれを、真っ直ぐに――カオスロード、ラルフィリエルの後姿につきつける。
「何しに来たんだ」
相変わらず何も答えない代わりに、彼女は振り向いた。思わずエスティが剣を退いてしまった程に、無防備に。
そして、エスティの持つ剣の先を、左手でそっと押し返す。
「……ここはまだ戦場ではない」
「まだ――だと? やはり、攻め込むんだな」
「指令が下れば」
感情のまるで無い声でラルフィリエル。
「だがそれまでは事を荒立てたくはない。お前も死に急ぐことはないだろう」
「指令、ね。さすがは幾つもの街や国を滅ぼした、皇帝直属の無敗将軍様だ」
彼の皮肉に、彼女は言い返しも睨みもしなかった。動揺もない。ただ真っ直ぐにこちらを見つめていた。――邪気の無い瞳で。
まるで闘志のないラルフィリエルに拍子抜けすると同時に、嘆息しながらエスティは剣を引いた。
「……前に、うやむやにされたよな。確か」
剣を収めながら、エスティが呟く。
「お前は、戦いを望んでいるのか」
「……」
「応えてくれ……ラルフィリエル」
あのとき――責められて、傷付いたような顔をした彼女を見たときから、心に引っかかっていた疑問。
泣き出しそうな彼女の顔が、ずっと頭から離れなかった。
エスティが歩き出す。一歩一歩、彼女との距離を詰める。ラルフィリエルは、動かない。
無敗将軍と謳われる彼女は、だが間近で見れば見るほどだたの小柄な少女だった。こうして近づいて話すと、エスティは彼女を見下ろさねばならない。
その美貌は冷めているがあどけなさを隠せず、体は抱きしめたなら折れそうなくらい華奢だ。
「何故お前はそんなに殺戮を繰り返すんだ。本当はお前だって、こんな戦を望んでなんていないんじゃ」
「――違う!」
唐突に、ラルフィリエルが叫び声をあげる。細く、だが鋭く、そして悲痛な声で。
「私は、数え切れない程に人を殺めてきた。そしてこれからもだ」
彼女の白い手が剣の柄にかかったのを見、反射的にエスティは飛びのいた。
「市長がエインシェンティアを渡す気がないのは分かっている。予定通り、明日ここを攻める。邪魔をするならばお前も殺す。覚えておけ」
「待て! まだ話は……!」
だがエスティが言葉を終えぬうちに、ラルフィリエルの姿は銀色の風と共に消え去っていた。いつの間にか夕闇が立ち込める中、瓦礫に腰を下ろし、エスティは深い溜息をついた。
何をしたというわけでもないのに、異様に疲れていた。ランドエバーでの連戦の影響も要因ではあるだろうが、それ以上にカオスロードと対峙したことで、独特の緊張や疲労が体を支配していた。
――が。
「……?」
かすかな気配と物音を間近に感じ、再び彼は全身を緊張させた。
ただならぬ気配。カオスロードとよく似た威圧感。
ほとんど無意識に、エスティはそれに向かって、剣を突き出した。
「……エス?」
だが耳に飛び込んできた声は、よく聞き慣れたものだった。喉元に剣を突きつけられて、少し驚いたような目で、隻眼の少年はそこに立っていた。
「……リューン……か。悪い」
急な脱力に、頭がぼうっとなる。もう気力も限界で、視界がぐらりと歪むのを感じた。
「エス!? 大丈夫?」
ぐらりとかしいだ彼の体を慌てて支え、リューンが問う。
「……少し休む」
「ちょっ、エス!?」
急速に彼の体から力が抜け、全体重がリューンにのしかかる。たまらず彼はエスティを瓦礫の上に座らせた。そして自分も溜息をつきながら座り込む。
「お兄ちゃ~ん? エス~? どこぉ~~?」
近くで、シレアの声が聞こえる。探しに来たのだろう。
「シレア」
呼ぶと、間もなく闇を縫って小さな影がこちらへ近づいてくるのが見えた。
「お兄ちゃん! 探したよぉ~」
「動くなって言ったのに……まあいいや。それより」
駆け寄ってきたシレアに、隣を指で指し示しながら、
「お前のボードにさ。コレ、乗らない?」
笑顔で言う。問われてシレアは眠りこけているエスティを一瞥し、
「……乗らないわよ。こんな重いもの」
とてもあっさりと即答した。
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