第3話 駆け引き
先に立って書斎へと案内するセレシアの、パタパタという気楽な足音の後ろにエスティとリューンが続く。シレアはセララのお守りという仕事を押し付けて客間に残してきたのだが、うるさそうだから置いてきたというのがエスティの本音である。それがバレたら張り倒されるのは必至だろう。
そんなことを考えて苦笑し、だがすぐにそれを収める。
「セレシア」
表情を引き締めて、エスティはセレシアに呼び掛けた。名を呼ばれ、セレシアが首だけでこちらを振り返る。だが歩きながら振り返った所為か、セレシアがつまづいてよろけた。
「っと、大丈夫ですか?」
慌ててリューンが支える。急に呼び掛けたことを若干後悔したエスティだったが、彼女の足元には何もなかったので振り向いたのとつまづいたのはこの際関係ないだろうと結論づける。ぼんやりのんびりしている彼女のことだ、日常茶飯事ではないかと思えた。
「あ、ありがとう……私、普段からよく転ぶんです。おかげで擦り傷が絶えなくって」
自らでそれを裏付けるような台詞を口にして、セレシアが気恥かしそうに笑う。つられて微笑みを返したリューンだったが、
「リューンさんは私と同じ年くらいの女の子なのに、しっかりしてますよね。見習わないと」
のほほんとそんなことを言われ、一気に脱力した。
「……ぼく、男です」
「! え? ……あら、まあ」
セレシアはぱっと顔を赤らめると、慌ててリューンから体を離した。どうやら本気でリューンを女だと思いこんでいたらしい。
「そ、そうだったんですか……」
何故かいやにがっかりした様子でセレシアが肩を落とす。その理由は不明だったが、反射的にリューンがすみません、と言いかけるのを、セレシアの呟きが遮った。
「そうだったんですね……じゃあお二人は親友同士と言いながらも実は恋人同士なんじゃないかなってウキウキドキドキしてた私ってちょっと馬鹿みたい……」
「それはちょっとじゃなくだいぶ馬鹿だ!」
聞きたかったことも忘れてエスティが思わず半眼で突っ込む。
「いや、エス、さすがにその言い方はちょっと失礼……確かにぼくもちょっとどうかと思うけど」
「だいぶどうかと思うぞ! っていや、オレが言いたいのはそんなことじゃなくだな……」
危うく言おうとしたことを忘れるところだった。いつの間にか彼女のペースに巻き込まれてしまい、エスティが苛々と頭を掻きむしる。
「セレシア!!」
「はっ、はいい!!」
思わず叫んだエスティに、セレシアが反射的に直立不動の姿勢を取る。咳払いをして平静を取り戻すと、エスティは先を続けた。
「……あのな。書状のことやエインシェンティアのこと。そんな大事なことを、見ず知らずのオレたちに話してしまって良かったのか?」
「あら、見ず知らずですか? 今、一緒にお茶を飲んだじゃありませんか」
心外だ、とでも言うようにセレシアが振り向いて答える。振り向いたことについては、すぐにリューンによって前を向かされたが。
「オレたちが悪い奴だったら、とか考えないのか?」
「エスティさんたちは悪い人なんですか?」
「あ……いや、違うけど」
「じゃあ、良い人じゃないですか」
「……」
エスティから見ると後ろ向きの彼女がどんな表情をしているかは見ることが出来ないが、恐らくきょとんとしているであろう事は、語調から容易に想像がついた。
見る限り、ただの街娘にすぎない彼女が、人をまとめる要職についているあの騎士のように人を見抜く力を持っているようには見えないし、何かの精霊に守護されている様でもない。
(恐らく、彼女は知らないのか――)
エスティが胸中で呟く。
疑うことを。裏切りを。
「ここが、父の書斎です」
セレシアの声にエスティは、はっと立ち止まった。その頃にはもう、彼女は扉をノックしている。
「お父様。お客様よ」
返事が返ってくる前にガチャリと扉を開け、セレシアがパタパタと足早に書斎に入っていく。そして、中にいた四十代そこその男性――恐らく、彼が彼女らの父なのだろう――に歩み寄ると、二言三言くらい会話を交わし、エスティたちを手招きした。
「エスティさん、リューンさん。どうぞ入ってきてください」
その言葉に、エスティとリューンは顔を見合わせ、そして少し遠慮がちに――もっともそれはリューンだけで、エスティは至って平然と、書斎に足を踏み入れた。
広いその部屋は、書斎だけあってそのほとんどが本で埋め尽くされている。少しも散らかっておらず、整然と並んでいる本、そしてこれもまたきちんと整頓された机はまるで図書館の様だ。
二人が入室すると、セレシアの父は軽くエスティ達を一瞥し、そしてすぐに娘へと視線を戻した。
「セレシア。お客様にお茶を」
だが、セレシアはきょとんとして動かない。
「お茶ならもうお出ししたわ」
そんな彼女の様子に、市長は苛々とした様子で髪を掻き揚げた。
「セレシアさん。ぼくもう一杯頂きたいんですけど、いいですか?」
そんな父娘のやり取りを見て、リューンが口を挟む。市長が、娘を遠ざけたがっている気配を感じたからだ。
「あ、はい。待っててくださいね」
客に頼まれてはセレシアも断れず、彼女はパタパタと足早に出て行った。エスティが彼女の開け放した扉を閉めるのを確認し、ようやく市長が口を開く。
「……セララが失礼をしたそうだな」
感情の籠らない、低く冷たい声。
同じなのは髪の色くらいで、セレシアやセララとは欠片も似ていない。
「私はエルザス・バーミントン。この自治都市、レグラスの市長を――」
「挨拶はいい。ストレートに言おう、オレたちは――」
その声を遮ってエスティは本題に入ろうとした。だがその言葉もまた、冷ややかな声に止められる。
「目的は、エインシェンティアか?」
「……おおむね、そうだな」
偽らずエスティが応える。
「セルティ軍か?」
市長の目が鋭利に光る。――威嚇しているのだ、とリューンは気が付いた。
娘たちとは違い、彼は騙されることも裏切りも知っているだろう。
(ぼくたちを、セルティの密偵とでも思っているのかもしれない。……無理もないか)
エインシェンティアを話題に出され、警戒しない人間の方がむしろ危険とも言える。
「……市長さん。ぼくたちはセルティ軍じゃありません。といっても特に証拠はないですが」
「では、話にならんな」
穏やかにリューンが切り返したが、一蹴される。だが、彼らに退く様子が無いのを見受け、彼は嘲るような笑みで言葉を返してきた。
「どちらにしても、この街にはエインシェンティアなどない」
「……何」
エスティが表情を動かす。
「疑うなら、お前のその魔力で干渉してみてはどうだ? エインシェンティアの制御に影響を与え暴発を誘うように」
バン、と、書斎中に響く様な音をたてて、エスティが机を叩く。瞳に強い警戒を宿してエスティはエルザスを睨みつけた。
「古代秘宝をエインシェンティアと呼ぶこともそうだが……やけに詳しいな。お前は何者だ」
今にも胸倉を掴みそうな勢いのエスティにも、エルザスは特に動じることはなかった。エスティから目を背け、スッと立ち上がって奥の本棚の方へと歩き出す。
「調べようと思えば調べられないこともないだろう? エインシェンティアと名づけたのは学者どもだし、彼らももうそれについておおよその見当はつけている。一般人が誰も知ろうとしないだけだ。学者でなくとも、魔法を少しでもかじっていればそんな仮説は容易に立つがな」
「それは、博識なことで」
珍しくリューンが皮肉めいたことを言う。
「だけどぼくたちは貴方のご高説を聞きに来たわけじゃないんです。そこまでお解りになっているならば、エインシェンティアの恐ろしさについても充分ご存知でしょう」
市長は軽く息を吐き出すと、肩をすくめた。
「ああ。だが、この街にはないと言っているだろう?」
エスティは長い溜息をついた。そしてくるりと向きをかえ、扉のほうへと向かう。
これ以上の話合いは、無意味だ。そう判断せざるを得なかった。
「……言っておくが、そんなのはセルティには通用しないぜ」
言い捨て、退室するエスティに、リューンも続いた。
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