第2話 自治都市の姉妹
「どうも、失礼致しました」
女はセレシアと名乗った。結局セララが自分の勘違いだと認めたので、お詫びにと彼女らの家へ招待されたのである。
そんな悠長なことをしている時間もなかったのでエスティは遠慮したがったのだが、セレシアがあまりに熱心に勧めるのと、「何か聞けるかも」というシレアの提案もあって、彼女の言葉に甘えることになったのだった。
「スティン、ランドエバーと、リルステルも次々に攻め込まれ……次はこの街ではないかと皆脅えているのです」
湯気の立つ紅茶のカップをテーブルに並べながら、セレシア。
彼女らの恐れていることが、間もなく実現されようとしていることを知りながら、だが誰もそれを口にはできなかった。ここでそんなことを言っても彼女らを恐怖させ、混乱を招くだけだ。
「……ああ、わかった。セララちゃん、印の切り方が間違っているわ」
いきなりシレアが素っ頓狂な声をあげたので、他の三人はそちらを振り向いた。見ればセララとシレアが熱心に話し込んでいる。どうやら先刻、突如効果の切れた魔法の事についてらしい。
「だから、精霊の力が十分に増幅されなかったのね。木の精霊魔法の印の切り方は、こうよ。……そう、そこが縦じゃなくて横。次はこう」
セララは夢中でシレアの動きを真似ている。
精霊魔法を使いこなすにはその原理を学び、理解する事が必要だが、初歩の魔法の具現ならば印とスペルの暗記のみで誰でも使えるものだ。
「そういえばシレアって、木属性の魔法も使えるんだな」
何気なくエスティが呟く。火、水、風、地の精霊魔法は相性こそ存在するが、それこそ初歩なら見よう見まねでも具現できる一般的な魔法である。だが光や闇の属性になると扱いが難しく、またそれ以外の属性はマイナーな精霊魔法とされ、いまや使い手はほとんど見られない。
「まあね。と言っても原理を押さえて無理に具現する程度にしか使えないけど」
「へえ。何においても乱暴なヤツだな」
紅茶を一口啜って、エスティがシレアをからかう。それを聞いて、シレアは小さく舌を出した。
「べーっだ。大きなお世話よ! 乱暴者のエスにそんなこと言われたくないよーだ」
いつものように勝気に言い返し、シレアはまたセララに向き直る。だがその瞳にいつもの様な元気がないことがエスティの心に引っかかった。口に出すようなことはしなかったが。
「……それはともかく、セレシアさん」
紅茶をひと口飲んで、受け皿に戻しながらリューンが口を挟む。
「ランドエバーやスティンは軍事力の大きい大国です。そこならともかく、自治都市にまで攻め込むことはないんじゃないですか?」
丁寧に尋ねる。もちろん、リューンはセルティが純粋に領土を広げるために戦争をしているわけではないことなど解っている。ラティンステルの名もないような小さな村でさえ攻め入られた事実だって知っている。セルティの狙いは、エインシェンティアだ。
知っていて、知らぬふりをして聞いている。
つまり、リューンは無知な振りで油断を誘いながら探りを入れているのだ。この街に、エインシェンティアがあるのではないか――と。
しかして、存外あっけなくセレシアは答えてきた。
「知らないんですか? セルティの狙いは、エインシェンティアと呼ばれる古代秘法なんですよ。だから、セルティはこの街に来るんじゃないかって。この街には、エインシェンティアがあるから」
エスティがピタリとカップを動かす手を止める。リューンの瞳から笑みが消える。セララと話していたシレアでさえ、一瞬口をつぐんだ。
だがそんな些細な変化に気付くことなく、セレシアは話を続けた。
「……ここだけの話、セルティからこの街への宣戦布告があったんです。きっと街の人は、そのことも、この街にエインシェンティアがあることも知らないと思うけれど」
「じゃあ、どうして君がそれを知っているんだ」
瞳に警戒の色を宿しながら、エスティ。だがその問いにも、セレシアはあっさりと答えた。
「父のところに書状がきたからです。あ、父は市長なの」
エスティがカップを下ろす。視線を感じて振り向くと、シレアが「あたしの言ったとおりでしょ」とでも言いた気な表情でこちらを見ており、彼は苦笑した。
「書状の内容は」
「明日使いを送ると。そのときにエインシェンティアを渡せば良し、渡さねば……」
そこで初めて、今までのんびりしていたセレシアの声に、恐怖めいたものが宿った。
「……カオスロードの部隊に総力を挙げて奪わせる、と」
エスティは今しがた飲んだ紅茶を吹き出しそうになった。
それは何とかこらえたものの、思わず絶句する。セレシアに恐怖の様なものが見えたのは一瞬だけで、今はもうのほほんと紅茶を飲んでいる。あまつさえ二杯目を注ぎながら「もう一杯いかがです?」などと リューンにも聞いている始末だ。
「……あのなあ! 呑気に紅茶なんか飲んでる場合じゃないだろ! なんでそんな大事なことを住民に言わない? 明日、攻め込まれるかもしれないんだぞ」
その呑気さに、思わずエスティが叫んだ。対照的に、リューンは落ち着いている。
「でもねえ、エス。もう時間がないよ。今更そんなことを街の人に言っても混乱を招くだけなんじゃない?」
おかわりをもらいながら、リューンまでのんびりと答えを返してくる。独特の、のほほんとした雰囲気にエスティは頭を抱えた。
だが、やはりセレシアに気にする様子はなく、言葉を続ける。
「リューンさんの言うとおりですわ。父もそう言っております……エインシェンティアを渡せば済むことですから」
「……エス」
不安げにシレアがこちらを見ている。顔を上げると、丁度リューンが二杯目の紅茶を飲み干して立ち上がったところだった。
「お父さんに会う必要がありそうだね」
そう言うリューンの表情こそ笑みであったが、目は少しも笑っていない。
それを見て溜め息を吐きながら、エスティもまた立ち上がったのだった。
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