第107話 20.キス

 晩餐会で食事の時間が終わると、次は舞踏会だった。


 ゲールノート先生が、僕が恥をかかないようにと、念のためダンスを教えてくれたけど、踊るつもりがなかった。


 もうそんな気分ではない。


 黒魔術(中級)の講義も終わった。


 僕は遠くからティアナが見れれば、もうそれでいいと思っていた。



 舞踏会では、最初の1時間は女性が壁際の席に座っていて、男性が声をかけるという仕組みだったが、僕は端っこの席に座って、酒を飲んでいた。


 ゲールノート先生は、知り合いの人がいたらしく、誘って少し踊ったりしているようだったが。



 次の1時間は、逆で男性が壁際の席に座り、女性が声をかけるというルールだった。


 音楽が変わり、ルールが変わった事がわかる。


 すると、僕の周りに女の子が10人くらい集まってきて、ダンスを踊らないかと誘ってきた。



「さすがベルギウスさん。


 勇者だし、甘いマスクでモテないはずがないです。


 講義に真面目なのは大事ですが、こういう所で羽目をはずすのも大事な事ですよ!さぁ!」



 ゲールノート先生が促すけど、僕はちょっと、そいういうのに興味がないんで…。


 っていうか、むしろ、もう帰りたいんだけど。


 そうやって不貞腐れていると、女の子たちが急に去っていた。なんだろうと思うと、ティアナが立っていた。


「ベルギウス様、大変おモテになるようですが、私もお声がけしてよろしいでしょうか。」


 と、いたずらっぽい笑顔で言ってくる。


 なんとか断ろうかと思ったが、情けないことに、僕は意思が弱い。


 僕はティアナの誘いを断ることができなかった。


 ティアナのダンスはふつうに上手ただった。


 レオンハルトの酒場で踊った時は、知らない曲だったのか、慣れない音楽だったからなのか、めちゃくちゃだったが、こういう社交の場でのダンスには王女だし慣れているのかもしれない。


「こうして一緒にダンスをしていると、あの時のことを思い出すね。」


「あぁ、レオンハルトの酒場で飲んだ事?」


「そうそう。」


「あの時の君の踊りはひどかったけど、今日は上手に踊れているね。」


「こういう場でのダンスは全然面白くないわ。


 だって、同じ動作の繰り返し。つまらないわ。」


 僕の目の前で、今までで一番綺麗なティアナが、曲に合わせて体を動かす。何をやっても本当に美しい。


 そして、その魅力的な真紅の瞳で僕を見つめないでほしい。


 僕の胸は苦しくなる。


 僕たちは決められたステップを踏み踊っていた。


 曲が終わりそうになると、またティアナが話し出した。


「シングルムーンの日の事、私忘れれないの。」


 僕だって忘れられないよ。


 でも、これ以上どうか、僕の気持ちをかき乱さないでくれ。


「今日は、キスできる?」


 僕は、その場から逃げ出した。


 キスしてしまいそうな自分から逃げ出すために、走ってヘレボルスの間から逃げ出した。


 ダメだ。耐えられない。


 僕はティアナの魅力から逃げられない。


 ティアナが好きだ。


 自分でも認めたくないけど、ティアナが好きでたまらない。



 僕は冷静になりたくて、熱くなった頭と体を冷やしたくてヘレボルスの間から外に出た。


 熱くて涼んでいる人が何人かいたが、僕は一人になりたくて、森の中に入った。



 舞踏会の音楽が遠くの方に聞こえる。ここで少し気持ちを落ちけよう。


 すると、ガサガサ草が擦れる音が聴こえて、人が来るのが見えた。


「ベルギウス!待って!逃げないで!


 私の事が嫌いなの?


 どうして私を避けるの?どうして私から逃げるの?」


 ティアナだった。


 目には涙を少し浮かべているようだったが、そんな涙さえも美しい。


「なぜ逃げるかって?それは君の事が好きだからさ!


 君を僕のものにしたいって心の底から思う!


 でも、君は王女じゃないか!


 僕のような地位の低い、しかもエルフじゃない人間と恋愛なんか許されないだろう?」


「そんなこと言わないで。


 私もこんなにあなたの事が好きなのに!


 ビーバーモンスター退治の頃から、あなたの事が気になっていたの!


 でも、あの時は遠慮してしまって、とても後悔したわ。


 だからもう後悔したくないの!」


 僕はティアナとの距離を一気に縮め、ティアナの頬を両手で挟み、勢いに任せてキスをした。


 息が続く限りティアナの唇に自分の唇を重ねた。


 それからティアナの細い腰に両手を回して強く抱きしめた。


「ごめん。これで僕たち最後にしよう。


 君は君に見合った人を選ばないといけない。僕じゃだめだ。」


 僕はその場を去った。



 そのまま晩餐会に戻らずに帰る事にした。


 もう戻る気分にはとてもなれなかった。


 僕のような末席の者が一人いなくなったとしても、なんの問題もないだろう。



 テーグリヒスベック城の出口に向かっているとミルコの姿見えた。


 ティアナを一人で置いて来てしまったのが気がかりだった。


 ミルコに迎えに行かせよう。


「ミルコ、あっちのほうにティアナが一人でいるから、迎えに…。ぐふっ!。」


 僕の説明が終わる前に、ボディーブローをくらった。


 そして、僕が指差した方向に走って行った。


 なんで殴られなきゃならないんだ。

 あの暴力エルフめ!


 でも、精神的に打ちひしがれているので、ミルコの相手をする気にもなれなかった。


 殴られてダメージは食らったが、そのままとにかく帰りたい。


 テーグリヒスベック城の出口に到着すると、ゲールノート先生がいた。


「走ってどこかに行ってしまったので、びっくりしましたよ。大丈夫ですか?」


 僕を探してくれていたようだった。


「先生、すみません。僕もう帰ろうと思います。」


「あ、大丈夫ですよ。もう舞踏会も終わって、みんな帰り始めたところです。


 残りたい人は残って話している人もいますけどね。


 では、途中まで一緒に帰りましょう。」


 歩き始めると、ゲールノート先生がハンカチを差し出して来た。


「なんですか?このハンカチは。」


「口のところ、その…拭いた方が良いと思います。」


「あぁ、さっき、ミルコが急に殴って来て…。」

 

 あ、まちがった。殴られたのはボディーだった。


「いえ、血じゃなくて、その…口紅を落とした方が良いかと思って。」


 僕は慌てて自分の唇を拭いた。


 さっきティアナとキスした時についた口紅がそのままだった。


 きっと、ミルコもこれを見て、僕を殴ったのだろう。


「ティアナ様は美しいお嬢さんですね。


 でも、エルフ国の王女様ですので…、こういう事を言うのもなんですけど、人間で王族でもないあなたと結ばれる事はありませんよ。


 のめり込む前に、気持ちを整理した方が良いと思いますよ。」


 ミルコと同じことを言われてしまった。

 

 ティアナのことは、あれでもう忘れる事にしよう。


 もう、黒魔術(中級)の講座もないし、会うこともないだろう。


 きっと忘れられる。大丈夫だ。

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