広島藩おかかえ絵師・おかみんざん(前編)
歩いて30分ぐらいの距離にある公民館で、今月14日に歴史講座がありました。
日記のネタに困っていることもあり、興味本位で参加しました。
それは江戸時代の広島藩(浅野藩)おかかえ絵師・おかみんざんというひとの話でした。
おかかえ絵師といえば、宮部みゆきの 『荒神』 が脳裏をよぎります。
『荒神』 には、のほほんとしている旅の絵師、菊池圓秀というひとが出てくるのです。
絵師って、いったいなにをしているのか?
どこを旅して、どうやって絵を保存しているのか?
影響を受けた絵の師匠は?
なぜ、絵を描いているのか?
おかみんざんとは、なにものなのか?
疑問はいろいろあるのですが、なんの勉強もせずに、唐突に参加しましたので、話がわかるかなぁと不安でした。
日本の歴史は、苦手なんでね。ごく最近、2・26事件の話を勉強したところ(その話はまた今度)。
去年、『広島学』 という本を借りて読んだら、宮島関連の話がほとんどわからんかったです(TT)
それはともかく。
公民館の講座は、10時から12時でしたので、昼食は前日から用意しておきました。
食事を作るのは、わたしの役目なのです。(義母は洗濯とそれを干す/片付けるのと、ざっと掃除をするのとをやってくれます)。
で、30分かけてお勉強の場へ。メモと筆記用具、録音装置を持って行きました。(録音はダメ元)
到着したのが10時きっかりに着いたので、一番前にしか席がなかった。
そこに座って2時間弱、しっかり聞いてきましたよ!
なんでも浅野が広島入りして来年で400年だということで、それを記念してイベントをたちあげよう、ということだったらしい。
絵図だけでなく、現代語に訳した冊子やマンガの紹介がありました。ちなみにプロジェクターでの説明でした。資料のほとんどは、原爆でやられてしまいました。
さてまず、岡みんざん、名前の由来です。
解説者の佐々木章さんによると、孔子の『荀子』が由来なのではないか、と。
みんざんの『みん』は外字なのですが、Wikiには載ってますね。岷山 と書きます。ここでは以降、敢えてこの字は書きません(読めない機種もあるかもなので)
こちらに、ちょっとだけ関連記事が載っています。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151128
『荀子』によると、揚子江は岷山 (みんざん)から流れるときは小さな流れだったけれど、下流に行くにつれて、舟が行き来したり、風が吹きすさんだりする……水が多いのは、自分がいまあるのは、自分ひとりではなく、いろんな助力があるからこそだ(よくわからん説明ですが)。
この絵師は利源太という通称で、浅野重晟(しげあきら)に仕えたそうです。
絵を描くきっかけが、広島には豊平(とよひら)にどんぐり村ってところがあるんですが、おとのさまが、そこの有名な滝を見に行たがったけれど、身分の関係で行けなかったため、代わりに行きました。
さて、その枕の話として、広島の歴史が語られています。厳島が平家に大切にされていた話、その後藤原が台頭してくるが、神官がやってきても地元がそっぽ向く話。武田がやってきて、神社側と戦う話。(境界をめぐって武田が領地を主張するあたり、中国の尖閣諸島問題や韓国の竹島問題を連想させてしまった……。いつの時代も、領土問題って、深刻だね)。
そして最初は弱かった毛利が大内にすりよっていったのを尼子が怒って大軍でおそってくる。それを少数で撃破して有名になる。と、そこへ大内さんところが内部分裂で家来の陶(すえ)ってのがトップになる。そいつを毛利が厳島の戦いでやっつける……。
駆け足の歴史勉強。こっちのほうが、プロジェクターで映された地図を見ながら説明されたので、『広島学』よりわかりやすかったです。
次回は、中国の昔話です。ちまきの由来など、創作のネタになるかもしれない話がどっさり!? 乞うご期待。
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