第131話 魔王と剣姫
魔王城のドアがノックされる。
長い時間の中で、その荒々しいノックの音にすっかり慣れた魔王は扉を開ける事なく声を掛けた。
「入って良いぞ。」
返事をすれば、ドアがガチャリと開かれる。
姿を現したのは、私服姿の勇者"剣姫"ハルであった。
本来魔王城にまで来るには途中で危険な魔物が出る事もあるので、装備もなしに来る事はできないはずなのだが、素手でも倒せる彼女からしたら散歩気分なのだろう。
「お邪魔するぞ。あれ、
「遊びに出てるぞ。何だ、アイツに用があったのか?」
魔王城に訪れたハルの目的はその四季なのだという。
ハルは「ああ。」と小さく頷く。
「女神様に言われてな。これからは巫女として神様達との交流はしていった方がいいって。今日は挨拶回りしてたんだ。」
「そうなのか。大変だな。」
「いや。楽しいぞ。」
ハルは無邪気に笑って言う。
神様との交流自体を楽しんでいるらしい。人(この場合は神と言うべきか?)当たりの良い彼女らしいと魔王は思った。
それはさておき、今日の彼女の目的は四季にあったらしい。魔王城を訪れたかった訳ではないという事に若干の寂しさを覚えつつ、魔王は尋ねる。
「あまり遠出はしていないと思うが……何なら呼び戻そうか? 一応連絡を取れるようにはしてるが。」
「いや、大丈夫。顔を見に来ただけで別に急ぎの用事じゃないから、好きにさせてやってくれ。」
そう言って魔王城から出ようとするハル。
「待て。」
「ん?」
魔王に呼び掛けに、ハルは足を止めて振り返る。
「どうした?」
「いや……せっかく来たんだし、少しくつろいでいったらどうだ?」
魔王も言ってから、何故呼び止めたのか分からなくなる。
最初の頃は図々しい奴とさえ思っていたのに、いつ頃からかむしろ進んで迎え入れている。
「あ、いや、すまん。忙しいなら良いんだ。悪いな、急に呼び止めて。」
「いや。忙しくはない。それなら、お言葉に甘えてお邪魔する。」
呼び止めてから遠慮する魔王に対して、ハルは以前までと変わらぬ様子でにっと笑って再び魔王城の中に向き直る。
靴を脱ぎ、慣れた様子ですすっとコタツに滑り込む。
「ふぅ。最近暖かくなってきたとはいえ、流石に走ると寒いな。」
「その格好で走ってきたのか……。」
ハルはひらひらとしたワンピースを着ている。
比較的薄手に見えるその装いで、走ってきたという。
流石にそれを聞いた魔王は困惑した。
「厚着しろよ。風邪引くぞ。」
「風邪引いた事ないから大丈夫だ。それに、女神様がお洒落は我慢だって言ってた。」
「我慢にも限度があるだろ。あの女神様もまた変な事教えて……。」
女神オリフシ。ハルも懐いている泉の女神。
シキとの決戦において大地の神々との橋渡し役にもなり、魔王達にも助力した功労者……ではあるが、ハルに色々と変な事を教えているらしい。
実際は変な事ばかりという訳ではなく、一応ハルにお洒落等を教えたり、色々と趣味や娯楽についても助言はしているらしいが、若干私欲混じりなのでハルの常識がおかしな事になっている。
女神オリフシも雪の積もる寒さの中で薄着しろ、とまでは言っていないのだが、ハルが取り違えている。
どうせそんなところだろうと思った魔王は、傍らにゲートを開いた。
「なんだ? 何か美味しいものでもあるのか?」
「相変わらず食い気が先走るんだな。逆に安心するわ。」
魔王が取り出したのは一着の女性もののコート。
手に取ったそれをコタツの上に横たえれば、ハルは不思議そうにそれを眺める。
そこから更に魔王はゲートから手袋やマフラー、帽子等も取り出してコートの上に並べた。
「帰りはこれでも着ていけ。」
「え?」
「お洒落するにしても気温に合わせていくらでもやりようがあるだろ。まだ寒いんだからちゃんと着ろ。」
魔王は今まで世界を渡り歩いた中で、生計を立てる為に、活動資金を集めるために交易のような事をやっている。その中でどの世界でも価値を見出せて、尚且つ食料品などと違い保存の利く物品の一つとして衣類も取り扱っている。
取り出したのはその中で適当に見繕った女性ものの防寒着。お洒落等には疎い魔王の目で見ても、多少はお洒落だろうと思えるものを取り出した。
思わぬものを渡されて、ハルはきょとんとして魔王の顔を見る。
「……いいのか? こんな高そうなもの……。」
「お前の功績に対したら安いものだろ。」
「私は別に見返りが欲しくて何かした訳じゃ……。」
「いいから。俺からの気持ちだ。受け取ってくれ。」
ハルは少し遠慮気味に辞退しようとしたが、魔王からの気持ちと言われて少しだけ困った様に、照れ臭そうに、しかし嬉しそうに笑った。
「ありがとう。」
がさつな女戦士からは掛け離れた顔を見せられるのに、魔王は未だ慣れない。
少しどきりとしつつ、ゲートを改めて開き直して手を突っ込む。
「あと、何か美味いものが欲しいのか?」
「何かあるのか?」
照れ隠しのように食べ物に話題を振れば、そちらは遠慮するつもりもなさそうにハルは早速食いついた。
その顔こそが魔王の見慣れたハルの顔で、期待に輝く目を見て魔王はほっと一安心する。
「まぁ、今日お前が来るとは思ってなかったから特別なものという訳ではないが……。」
魔王はゲートから今日たまたま用意していたお菓子を取り出す。
取り出したのはパック詰めのお菓子。
「お茶も出すからコートとかそっちに降ろしてくれ。」
「ああ。」
魔王に貰ったコート等防寒着を持ち上げて、ハルは自分の後ろの方に丁寧にそれを置く。そして、コタツに向き直れば、魔王は手早くお茶を淹れ、パックから取り出したそれを更に乗せてハルに差し出す。
始めて見るそれをハルは不思議そうに眺める。
「なんだこれ? 葉っぱがくっついてるぞ? 色がピンクで綺麗だし……中身は……あんこ?」
「桜餅だ。」
「さくら……?」
餅はハルも知っている。
その頭に付く"桜"というものがピンと来ない様子のハルに、魔王は説明する。
「俺の故郷を象徴する、春に咲く花の名前だ。その餅のような、ピンク色の花を咲かせる。」
「春なら知ってるぞ。寒い冬の次に来る季節だろ?」
「ああ。そうか。ここには冬しかなかったか。よく知ってたな。」
「女神様から教わったんだ。私の名前の由来だろうって。」
「なるほど。」
ハルが得意気に言えば、魔王は微笑ましげに頬を緩めた。
ハルは続けて話し出す。
「冬、春と移り変わるのを四季って言うんだろ? だから、私はシキに四季と名付けたんだ。この世界にも四季があればいいなって。」
「そうなのか。」
「女神様が、多分四季が生まれたからこの世界にも四季が、春がやってくるだろうって。元々人から離れていた神様とも仲直りできたから、っていうのもあるみたいだけど。」
「そうなんだな。最近暖かくなってきたのはそれでか。」
シキを止める事にしか意識が向いていなかった魔王だったが、その為の戦いはこの世界に思わぬ副産物をもたらしていたらしい。
神々と人々の仲違いからこの世界には長い冬が訪れていた。
シキとの戦いの中で勇者であり巫女の末裔でもハルが神々との絆を取り戻したことで、また四季を象徴する神、四季を生み出した事で冬は終わりを迎えようとしているのだという。
ハルは嬉しそうに言う。
「なぁ、春が来たらデッカイドーでも桜は見られるのかな?」
「どうだろうな。」
魔王はこの世界に桜があるのかは知らない。
神々が影響して季節すらも変わるという世界は、魔王の知る世界の常識とは掛け離れている。桜が咲かないとも言い切れないし、咲くとも言い切れない。魔王がどっちつかずの返事をすれば、ハルはにかりと笑った。
「見られるといいな。」
「そうだな。」
「故郷の花を見られれば、魔王も少しは寂しくなくなるだろ。」
魔王がぴくりと頬を引き攣らせる。
ハルにはかつて、故郷に帰れなくなった事を話した。
ハルはそれを覚えていた。
自分が桜を見たいのではない。魔王に見せたいのだという意図を理解し、魔王は胸をぐっと締め付けられた。
その心遣いが、自然と魔王の口から話すつもりはなかったその言葉を引き出した。
「……実は故郷に帰れるかも知れないんだ。」
女神ヒトトセに世界を救った褒美として与えられたもの。
故郷への帰路と、失った歩むはずだった人生をやり直す機会。
それをハルに打ち明ければ、ハルは驚き目を見開き、少し遅れてにかっと明るく笑った。
「良かったな! でも、急にどうして?」
曇りのない笑顔の後に、ハルは不思議そうに尋ねる。
その無邪気な笑顔に嘘はつけない。
「……あのパーティーの日に、ある女神に会ったんだ。女神は俺に失った人生をやり直すチャンスをくれると言った。」
「やり直すチャンス?」
「あの日、はからずも世界を渡ってしまった日、その日から俺の人生をやり直すチャンスだ。」
ハルはきょとんとしている。今ひとつどういう事か理解できていないらしい。
「まだ若い子供だった頃に戻してくれる。そういう選択肢を貰った。」
ハルはそこまで言われてハッとした。
「……そうか。」
魔王の言っている事の意味。
魔王が故郷で子供の頃からやり直せる。
つまり、魔王は子供に戻り、故郷での、本来送るはずだった生活に戻る。
それは、魔王がこの世界からいなくなるという事である。
魔王は迷っている。
元居た世界でやり直したいとも思っている。
しかし、その世界からはぐれてからの人生も大切に思っている。
どちらを選ぶべきなのか。
誰かに答えを委ねたい。そんな甘えがあった。
だから、配下の者達や、勇者ナツ、アキにその答えの理由を探した。
しかし、彼らは答えはくれなかった。
「俺はどうしたらいいんだろう。」
ハルの前で思わず情けない質問が口をつく。
言ってから魔王は慌てて口を噤んだ。
他人に答えを任せられる様な話じゃない。
聞いても仕方が無い事なのだと理解したはずなのに。
魔王はハルの顔を見る。
ハルはふっと笑って答えた。
「私なら選べないな。」
それは思いも寄らぬ答えだった。
「私だって、お母さんにまた会えるならやり直したいって思う。でも、それと引き換えに今あるものを失うのも嫌だ。」
ハルは幼い頃に母親を亡くしている。
母への想いという点では、魔王とは似たものを持っているのだろう。
その上で、今ある関係性を失うことはハルも嫌なのだという。
「どっちも手に入れられたらいいのにな。……あはは。それはちょっと欲張りか。」
ハルは困った様に笑った。
どっちも手に入れられたら。
そんな事ができるのならどれだけ良いか。
それができたら……。
魔王はじっと考える。
「そうだな。欲張りだな。だが、お前らしいよ。」
魔王はふっと笑った。
ひとつ、魔王の中で答えが出た。
それはこの場では口にしなかった。
「すまんな。急に変な話をして。」
「別に変な話じゃないだろ。」
「まぁ、お茶も冷めるし話はこれくらいにしよう。」
魔王は話を打ち切った。ハルも投げやりな魔王の話の打ち切りに少しむっとしたが、それ以上深入りせずに目の前の桜餅に視線を落とした。
「……これ、葉っぱを外して食べるのか?」
「どっちでもいいぞ。一応葉っぱごと食べられる。」
「そうか。じゃあ、そのまま食べてみる。」
ハルは桜餅を手に取って、そのまま皮ごとぱくりと齧り付く。
ぷちりと葉を噛みちぎり、もむもむと餅を頬ばれば、たちまちその頬は幸せそうに緩んだ。
「甘くて……しょっぱくて……旨い。」
「口に合ったなら良かった。」
その幸福そうな顔を見て、魔王は微笑ましそうに頬を緩めた。
穏やかな時間が今日も流れる。
まるで今までと何も変わらないように。
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