第80話 禁忌に触れる
滅亡した世界の調査を終えて、魔王城に帰還した魔王と勇者アキ。
魔王城に待ち受けていたのは、カニを二人占めしていた魔王軍幹部、トーカとビュワの姿であった。
コタツの上の七輪やカニの殻を片付けて、魔王、勇者アキ、トーカ、ビュワの四人がコタツを囲む。
それぞれの前にお茶だけを置き、魔王城には妙な気まずさが漂っていた。
(こいつら……許せん……!)
魔王は怒っていた。
実は魔王フユショーグン、カニは大好物である。
普段はお高いので中々食べられない、たまに食べられると朝から一日ご機嫌になるくらいにはカニが大好きなのである。
そんな魔王の目の前で、トーカとビュワ、二人の部下はカニを二人占めにしたのである。
二人は魔王の禁忌に触れたのである。
しかし、表立って怒ることはできない。
カニはビュワが持ってきたお土産だった。
別に最初から魔王のものという訳でもなく、調理に困ったから魔王城に持ってきただけで、魔王に持ってきた訳でもないので、別に魔王のカニを取られたという訳ではない。怒るのはお門違いだという自覚は魔王にもある。
だが、食べられたかも知れないものを、こっそり二人占めされたのを見てしまった。
やり場のない怒り、というより憤りで魔王は目を瞑り渋い顔をしていた。
(クソ……! ここは俺の城だぞ……! 城主を差し置いてカニ食いやがって……! そもそも、こっそり食うならバレないように食えや……! 見せつけやがって……!)
何とか怒りの向け先を探しつつ、魔王は静かに怒りを噛み締める。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!)
ビュワは焦っていた。
別に魔王に隠れてカニを食った事をやばいと思っている訳ではない。
元はといえばビュワの持ってきたカニなので、まるで悪気はないのである。
ビュワが焦っている理由は、魔王が伴って連れてきた勇者アキにある。
デッカイドーで一番と噂される占い師、全てを見通す"万里眼"ことビュワ。
彼女は魔王軍幹部であると同時に、売れっ子占い師なのである。
人間嫌いで客を舐め腐っている彼女だが、一応魔王の配下となって以降は大人になって、占い師としてのキャラクターを大事にしている。
神秘のベールに包まれた謎多き占い師。そんなイメージが世間に浸透する程度には、ミステリアスな占い師としてのキャラクターをビュワは確立していた。
しかし、魔王城に訪れるビュワは完全にオフモードである。
黒いヨレヨレのジャージ(魔王に提供して貰った異世界の服。めっちゃ楽)、後ろで邪魔にならないように結んだ黒髪、普段は黒いベールで隠している素顔も丸出し(すっぴん)……完全に近所のお姉ちゃんといったスタイルである。
魔王軍関係者にこの姿が見られる事は慣れている。
しかし、この場にいる勇者アキにこの姿を見られる事は訳が違った。
この世界でビュワに負けない程の影響力を持つ勇者という役職。彼女に真の姿がバレる事はビュワの積み重ねた占い師像をぶち壊す最悪の事態なのである。
アキはビュワの禁忌に触れたのである。
(クソクソクソクソ……! 魔王様ふざけやがって……! お前が連れ回してるから私の"万里眼"に引っ掛からなかったんだ……!)
ビュワは単によく当たる占い師という訳ではない。
彼女は実際に訪れる未来を視る事ができる。
その力を買われて魔王軍に加わったビュワだが、この力も決して全てを見通せるという訳ではない。
実はこの力、あくまでこの
実際、ビュワの死の未来は、様々な世界を渡り歩く魔王によって変えられた。
この魔王が、勇者アキを、異世界に連れて行っていた。
故に、ビュワの未来視には魔王とアキの帰宅は映らなかったのである。
アキは立場ある勇者であり、ビュワの立ち位置を知らなかった外部の人間であり、更にはビュワの結構なファンだった。
その相手に気の抜けたオフ姿を見られた事は自身の評判を損なう危機であり、更に言えば単純に死ぬほど恥ずかしいのである。
(いや……こんな格好してたらまだバレてないのでは……? いつもと雰囲気違うし……。下手な事喋らず黙ってれば誤魔化せるのでは……?)
ビュワは気付かれていない事にワンチャン賭ける事にした。
(……これ見てしまって良かったものなのでしょうか。)
傍に居るのはアキもファンであるデッカイドー随一の占い師ビュワ。
しかし、今日はいつもの彼女とは違う。
ミステリアスな空気を演出していた黒いローブもなく、ベールで隠していた顔も丸出し。更に言えば、明らかにゆるゆるな服装にノーメイク。明らかに完全にオフで過ごしているお姉さんといった風体である。
アキは別にそれを見て失望した訳ではない。しかし、わざわざキャラを作っていた人の舞台裏を見てしまったという気まずさから目を逸らした。
アキは天才美人占い師の禁忌に触れたのである。
魔王城に居る事自体も、以前に魔王が紹介してくれた時から何らかの繋がりを持っているとは思っていた。
しかし、まさかこんな気の抜けた格好で魔王城で飲み食いするくらいに気兼ねない関係だとは思っていなかった。
別にこれを暴露しようだとか失望とかもしないのだが、何か見てはいけないものを見てしまったような気分になってしまうのである。
(魔王とビュワさん……どういう関係なんでしょう……?)
勝手に家に上がり込んでオフスタイルで好き勝手する、余程親密でないと有り得ない行動である。
此処に来て、魔王の良く言えば気兼ねなさ、悪く言えば威厳のなさが悪さをした。
ビュワを始めとした魔王配下の者達は、魔王と気さくに接している。悪く言えば舐めている。その為にこういった友人や実家に帰ったみたいな気軽な態度で過ごすのだが、それを知らないアキの目には完全に「親密な何か」に映ったのである。
(…………男女の関係?)
一番勘違いしたらマズイ方向に話が転がっている。
占い師ビュワは地位のある人間達にも需要が高い他、一般人にも芸能人的なファンが多い。
そんな彼女の一応表向きは世界の敵とされている魔王との男女関係。とんでもないスキャンダルを目撃してしまったような気分になって、アキはコタツでぽかぽかになりながらも冷や汗を流した。
魔王の方をちらりと窺えば、深刻そうな表情をしている。
カニを勝手に食われて怒っているだけなのだが、そんな内心を知る術はアキにはない。
見られてはいけないものを見られてしまった。そんな感情をアキは勝手に汲み取った。
(何か面白そうな事になってきた……!)
唯一、この場に居る全員の内心を知る術を持つトーカは心の中でほくそ笑んだ。
トーカはこういう下世話な話が大好きなのである。
カニに怒る魔王、自身のオフスタイルを見られて焦るビュワ、推しの占い師のスキャンダルを見たと勘違いして困惑するアキ、三者三様別方向を向いている三人。
このカオスな状況がトーカの琴線に触れた。
故に、トーカは事の成り行きを楽しむ為にあえて放置する。
その気になればテレパシーで個々に対して色々とフォローが出来る立場なのだが、そんな親切な事は絶対にしないのである。
四人が黙りこくっている。
何を言うべきか考えている者、周りの出方を窺う者、各々別の思惑を持って、口を噤んで様子を見ている。
最初に口を開いたのは魔王であった。
「…………カニは美味かったか?」
トーカとビュワにカニの話題を振る魔王。
ビュワは声を出さない。声を出したら自身が占い師ビュワである事がバレるからである。実は既にバレているのだが、まだビュワはワンチャンに賭けているのである。
トーカはそんなビュワの悪あがきをニコニコしながら眺めつつ、魔王に元気に返事をした。
「はい! 美味しかったですよ!」
嫌味のつもりで言った魔王に、トーカは元気に答えた。
嫌味を真っ直ぐに返された魔王は、頬をひくつかせつつも怒らない。
トーカは心の中が見えている。魔王のやり場のない怒りにも気付いているのである。それにも関わらず返された今の言葉は、明らかに魔王への挑発であった。
(コイツ……! 俺がこの場で怒れない事を良いことに……!)
別に元々魔王のものではなかったカニ。それを羨んでキレるのはお門違いであるという事は魔王も理解している。
しかし、それはそれで「お前らだけズルいぞ!」とこの場で怒る事もできるのだが、それはあくまで普段の身内だけの話。
今日は客人、勇者アキがいる。
ある程度親しくなったとは言え、そういうところを見せるのは魔王には抵抗があったのである。
「……そいつは良かったな。」
「はい! 魔王様にも食べさせてあげたかったですよ!」
追い討ちを掛けるトーカ。
魔王は頬をひくつかせながら、続けて口を開く。
「俺もカニは好きなんだよなぁ。……いやぁ~、羨ましいよ本当に。」
声のトーンを明らかに一段階落として、魔王がトーカを目を見開いて睨んだ。
そんな嫌味を口にした魔王に、思わぬ方向から声が飛んでくる。
「カニが好きなんですか? でしたら今度持ってきましょうか?」
「え?」
声の主は勇者アキである。
「家と付き合いのある漁師から時折贈られてくるんですけど。持て余す事があるので好きでしたら持ってきますけど。」
「……マジ?」
魔王はよく知らないが、アキはデッカイドーでも有名な領主の娘だという。
一応、この世界でもカニはそこそこ高級食材である。それを持て余すというエピソードで改めて魔王はアキが結構な身分なのだと思い出した。
「ええ。もっと早く教えて下さいよ。前は好みが分からないから酒の肴なんか持ってきたんですし。」
「いや、でも……え、本当にいいのか?」
「まぁ、お世話になってる部分も無きにしも非ずですし。何だかんだ色々と御馳走になってますし。あと、さっきも言ったけど持て余すので別に遠慮しなくても。」
「そ、それなら是非……。」
「じゃあ、アイスを一個貰いましょうか。」
「二個でも三個でもどうぞどうぞ!」
思わぬ役得に魔王の機嫌は見る見る内に良くなっていく。
カニを二人占めされたお陰で、思わぬところからカニを貰える話が舞い込んで来た。
ここまで来るとむしろカニを二人占めした二人に感謝したいくらいの気持ちになってくる。魔王は大概現金なのである。
魔王のやり場のない怒りは解決した。
それはそれとして、ビュワとアキの間に流れる気まずい空気は未だそのままである。
「ハハハ。それにしても、カニなんてどうしたんだ?」
上機嫌になった魔王が笑いながらビュワの方を見る。
トーカが自ら買ってくるとは思っていない魔王が、ビュワの方を見た。
「もしかして、ビュ」
パァン!と魔王の頬が叩かれた。
突然黒ジャージのビュワが身を乗り出して、魔王の頬をひっぱたく。
突然の事でひっぱたかれた魔王も、見ていたアキも、事態を面白がってみていた筈のトーカでさえ唖然としていた。
赤くなった頬を押さえて、しばらくぽかんとしている魔王。
ビュワはすっと元居た位置に戻って、スンッと真顔になった。
ひっぱたかれた事にようやく気付いた魔王。
頬の痛みに気付いて、困惑しながらビュワを見る。
「え? 何で今叩かれたの俺?」
「……。」
「なぁ、ビュ」
パァン!と魔王の頬が叩かれた。
今度は押さえている右の頬ではなく、空いている左の頬である。
あまりにも加減知らずの全力のスイングで、魔王の言葉は再び遮られた。
訳が分からないといった顔の魔王。痛みよりも疑問が先に浮かんでいるという顔である。
唯一人、ビュワの意図を理解したトーカがハッとした。
(ゴ、ゴリ押しッ……!)
ビュワは自分が占い師ビュワだとアキにバレていない事にワンチャン賭けている。
その可能性をただひたすらに信じて、ビュワがビュワであると確定させない為に魔王が「ビュワ」と名前を呼ぶのを力尽くで阻止しているのである。
トーカは想像以上の力業に面白がるよりも先に戦慄した。
そんな事情など知る由もない魔王。
両頬を赤くして、訳が分からないといった顔をしている。
そんな抵抗虚しく目の前の黒ジャージ女がビュワであると気付いているアキ。
ビュワと魔王が男女の関係にあると勘違いしかけていたアキは、突然のビンタ二発を見てマズイと思った。
(も、もしかして、私と一緒に魔王城に帰ってきたせいで浮気か何かと勘違いされているのでは……?)
とんでもない勘違いであった。
ぽかんとしていた魔王がハッと正気に返る。
叩かれて痛いという怒りよりも、突然ビンタされた困惑が勝る。
カニを二人占めされて腹を立てていたのは自分だったのに、いつの間にか立場が逆転している。
魔王は恐る恐るビュワに尋ねる。
「あ、あの……俺、何かした……?」
ビュワは無言で魔王を睨んでいた。
そして、スッとコタツを抜けて立ち上がる。
魔王をじっと睨み付けて見下ろしながら、スススと歩いて出口に向かう。
そして、最後まで魔王を睨みながら、後ろ向きで魔王城の出口から外へと出て行った。
バタン。
魔王城の扉が閉じる。
ビュワが魔王城から逃走した。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
取り残された三人が沈黙する。
魔王は困惑していた。何故叩かれたのか。何故何も言わずにビュワは帰ったのか。何か怒らせるような事でもしたのだろうか。
トーカは困惑していた。まさかの魔王の口封じという力業。そして、声を出したらバレるからと無言で逃走を図る切羽詰まった行動に唖然としていた。
アキは焦っていた。自分のせいで魔王が浮気疑惑を掛けられて、ビュワと破局してしまったのではないかと。恋がないとか言っていた魔王の言葉を思い出し、秘密の関係を暴いてしまった事に申し訳なさで一杯になっていた。
「……ほ、本当は調査内容についてお話したかったんですけど、今日はご都合が悪いみたいなので、わ、私は失礼しますね。」
アキは居心地が悪そうに苦笑いしてから、さささと荷物を纏めてコタツから出る。そして、そのまま振り返らずにたたたと魔王城から出て行った。
パタン。
最後に取り残された魔王とトーカ。
赤くなった両頬を押さえながら、魔王が目を白黒させている。
面白がって見ていたトーカも、流石に魔王を気の毒に思った。
「魔王様。今何が起こっていたのかお話しましょう。」
トーカが魔王にあの時各々が内心思っていた事を、あの場で何が起こっていたのかを説明してやった。
後日、アキには誤解について全部説明をして、今日の事は見なかったことにして貰うことになった。
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