悪くないかもな人? (後編)

 しばらく半狂乱だったブロッサは、その事態の深刻さに冷静さを取り戻す。

「ダメだ、冷静になれ。冷静に冷静に、冷静になるんだ」

 自分に言い聞かせるよう繰り返し呟いて、両頬をパチンとひっぱたく。強く叩きすぎて若干赤く腫れてしまうが、いっそのこと痛みでどうにか思考が戻ってくる。

 ここは危険な状態と化している。いつ何処であの異邦人の仲間たちが現れるのかも分からないし、出会えば無事では済まされない。ブロッサはそう判断した。

 ならば、ブロッサが今すべき行動とは何か。

 階段を駆け上がり、見晴らしのいい場所から外を探る。だが、スラムを一望するには足りない。場所を変えて、窓からヒョイっと隣の建物に移り、また辺りを探る。

「みんな……何処だ……」

 できれば大声を出したかった。しかし、ブロッサは歯痒い気持ちで歯噛みする。

 例の連中に見つかったら何をされるのか分からない。

 殺されるだけでは済まされない可能性すらある。

 ブロッサは目を皿のようにして見渡し、言葉通りにスラムを飛び回った。

 何軒の廃屋の屋根を渡ったかはもはや分からない。普段通らないような廃墟の窓も何度もくぐった。緊張と疲労が足を痛めつけるが、それでもブロッサは止まるわけにはいかなかった。

 いくつもの建物を梯子して、ブロッサはオンボロなスラムの中でも一番見晴らしのよい場所に辿り着く。ここならきっと見つかるはず。そう確信して。

「うっ……」

 間もなくしてソレを認識した。遠くの方から移動してくる団体。この寂れたスラムの中で、賑やかな声だったから比較的早い段階で気付けたのだとブロッサは思った。

 ただ、ブロッサは困惑していた。

 幼い子たちには危ないから地下室にこもっているように言いつけておいたはずなのに、どうして地上でその子供たちの賑やかな声が聞こえるのか。

 窓を垂れ下がるボロ布の影から見下ろす。

 いた。

 そこには子供たちがいた。

 そして、異邦人もいた。

 さっき、ゼクラと呼ばれていた男だ。

『今度目の前に現れたら次はないと思え』

「……ッ!」

 声は出なかった。むしろ出せなかった。

 ブロッサは思わずボロ布を引っ張ってしまい、気付かれていないか不安になる。

 状況が分からない。今、どうしてこうなっているのか。

 自然と、ブロッサの呼吸が荒くなる。だが、必死で息を殺す。

 大丈夫、大丈夫。まだ気付かれていないはずだ。

 向こうとは距離がかなりあるし、ちょっと小声程度なら聞こえるはずもないし、例えカーテンが揺れたって風と思われるだろうから何の問題もない。

 考えなくたって分かる単純なこと。気付かれるわけがない。

「ツェリーお姉ちゃあん!」

 ブロッサは危うく飛び跳ねるところだった。そうでなくとも、心臓が飛び出しそうだったことには変わりないが。

 聞き覚えのある声。子供たちの声。間違いようのない声。

「お姉ちゃああぁんっ!」

「ツェリ姉ぇぇ!」

 もう一度、窓の外からスラムを見下ろす。そこにいたのは、さっきまで探していた子供たちの姿だった。何度も、何度も数えた。ちゃんと全員揃っている。

 その代わり、異邦人の姿は見当たらない。一瞬しか見てなかったからよく分からなかったが、何やら奇妙な出で立ちの男がいたような気がしていた。

 身体の半分が機械でできているかのような、異様なものが。

 だが、何度確認しても、そんなものはいない。ゼクラと呼ばれた男もいない。いるのは子供たちだけ。見間違いだったのだろうか。

 確かに子供たちと一緒に大人の男が三人くらい連れ添っていたように見えたのに。恐怖のあまり幻覚を見たのだろう。ブロッサはそう思うことにした。

 そんなことよりも、子供たちを迎えに行かなくちゃ。

 慌ててブロッサは降りていく。

 途中、階段で蹴っ躓きそうになったが、構わず急いで降りる。

「バカ! お前たち、あたいを心配させやがって! 何処行ってたんだよ!」

 危うく涙声になりそうだったのを堪え、渾身の怒りを込めて叫ぶ。

 対する子供たちは、直前まで何故か上機嫌だった様子で、突然冷水をぶっかけられたかのように表情が一変する。

「ふぇぇ……ツェリ姉ぇ、ごめんなさい……」

 一斉に子供たちが泣き出す。

 危ないから隠れるように言っておいたのに、外で遊んでいるなんて。自分の教育がまだまだ足りていなかったのか。と、ブロッサは自分を恨むように顔を伏せる。

「いいから早く、隠れるよ。ここは今ヤバいんだ」

 今はこんなところで騒いでいる場合じゃない。そう切り替えるように、ブロッサは子供たちに言い聞かす。カッとなって大声を出してしまったことも遅れて後悔。

 もう見つかったのかもしれないと思うと、ブロッサは気が気でなかった。


 とかく、ブロッサは散らばっていた子供たちを撤収させ、アジトまで戻った。

 これまで命がけの死闘じみたやりとりがなかったわけではないが、今回ばかりは異例と言わずにはおれない事態だった。

 ところが、幼い子供たちのグループの話を聞いて、状況が困惑しだした。

「ズー兄がおやつくれたの」

「ガチャガチャおじちゃん、やさしかったぁ」

「ズッカイあんちゃんどこー?」

 ブロッサは、子供たちが何を言っているのかよく分からなかった。知らない人たちのことばかり喜々として話すものだから。なんとか話を掘り下げて聞いてみると、とんでもないことを知る。

 なんと、幼い子たちだけで異邦人の乗ってきた船に向かったのだという。それで無事で済んだだけでなく、食べ物まで恵んでもらえたのだとか。

 スラムまでは一緒に帰ってきたという話も聞き、さっきの人影も幻覚なんじゃないということも分かった。つまりは子供たちを送り届けてくれたということだ。

『勝手に縄張りに入って悪かったな。俺達は何も危害を加えるつもりはないんだ』

 そういえば、そんなことも言っていたような気がする。ブロッサは異邦人の言葉を今一度反芻した。

 確かに何の危害も加えられていない。それどころか食べ物まで恵んでもらえて、遊んでもらえたりもしたらしい。ブロッサの中で認識がブレ始める。脳を揺さぶられるほどの混乱に塗りつぶされる。

 ひょっとして、もしかして、あるいは。

 ブロッサは何か一つの答えを弾き出す。

「悪くないかもな人?」

 緊張が解かれて全身から力が抜けるのを感じた。

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