ナモミハウス (後編)

 カーペットを敷いたリビングにペタンと座り込んで、お茶を一杯。なんでもないそんな一時をこうやって過ごせることの貴重さを噛みしめる。

 人間、その身の丈に合った生活というものもある。あたしにとってはまあ、こういう生活がピッタリなんだ。さすがに贅沢すぎる気がしないでもないけれど。

 テーブルの上、カゴに入った煎餅を一つ取る。パリパリッとした硬い歯ごたえ。醤油の香ばしい味。なんともはや懐かしい味がする。

 プニー、というかα2の方はといえば、ソファに腰を下ろし、マグカップに入ったココアを飲みながらクッキーをもぐもぐとほおばっていた。かわいい。

 クローンなのだから当然ではあるのだけど、プニーそのまんまだ。まるで挙動が小動物のソレで、プニーのソレだ。

 端から見たら異様な光景ではある。宇宙人がリビングのソファでくつろいでいるワンシーンだ。地球人の食べ物をいただいてご満悦といったところか。

 ちなみに、お茶や煎餅の方はお口に合わなかったらしい。

 単なる緑茶だったのだけど、この渋さがお気に召さなかったようで、なんかもう毒物を口にしたかのようなそんな反応だった。

 煎餅に至っても似たようなもの。しょっぱくて最後まで食べられなかった。

 前々から思っていたけれども、プニーって甘いものが好きすぎなのでは。普段飲んでるあの何とも言えない色をしたココアも舌が狂いそうなほどに甘さが襲いかかってくる味だし。

 人の好みは人それぞれだしそれをいちいち本人に突き詰めてしまうのもよろしくはない。というか、あたしもこんな家を建てさせている時点でそれを言う資格はない。

 一番わがまま言っているのはおそらくあたしだろう。

 七十億年前に滅んでなくなった文化、生活環境をそっくりそのまま再現させることのその手間を考えてもみれば、それがどれだけ規格外なことか。

 お茶をもう一口。ほっこり。そしてお煎餅ポリポリ。ああ、和む。

 ゆったりとした時間が流れていく。

 うとうととしてきた、そんな矢先に、ピンポーンというインターホンの音が聞こえてきた。来客のアレだ。

 あたしは手を宙でくるっと回す。するとリビングのテレビの電源が入り、そこに映像が流れてきた。玄関前の光景だ。

 本当はプニーとかがいつも出しているような空中にディスプレイを出す方式でもよかったのだけど、気分を出すためにこういう感じのものを用意してもらった。もちろんやろうと思えば空中ディスプレイも出せる。

 誰がやってきたのかと思えば、なんとゼクだった。

 あたしは半ば慌てるようにリビングを飛び出していた。

「や、やあ、いらっしゃい」

「お、おう。随分と様変わりしたもんだな」

 玄関の扉を開けるとゼクがいた。そらまあ当然なんだけど。

「それにしてもここは暑いな。空調の調整が上手くいってないのか?」

「ああ、それはね、今は夏だから」

「ナツ?」

 きょとんとした顔をされてしまった。さすがに物知りのゼクでもこれは知らなかった感じなんだろうか。

「季節というのをね、再現してもらったんだ」

「キセツ……」

 知らない単語、聞き慣れない言葉にゼクの僅かな戸惑いが見てとれた。

「ほら、あたしのいた地球ってね、太陽の周りをくるくると回っていたわけなんだけど、地球が太陽を公転して一周する周期が一年なの。で、それとともに地球自身も自転してるんだけど、この自転軸っていうの、ちょっと傾いてて、それで地球上の気候が変わっていっちゃうんだ」

 プニーみたいに博識じゃあないけど、こんくらいのことはあたしでも分かる。

「温かい気候や暑い気候、涼しい気候や寒い気候。こういうのを季節って区分けしてて、大体おおまかには春、夏、秋、冬と四つ。四季って呼ぶんだけど、この家の付近では四季が訪れるようになってるの。で、今は暑い季節の夏なわけ」

「シキ……四季、そうか、季節か。なるほど」

 納得してもらえたみたいだ。ゼクは関心深そうに空のスクリーンを見上げる。

 太陽……を模したライトがギンギンに照りつけてくる。まさに真夏の暑さそのものだ。勿論このまま季節は移り変わって秋にもなるし、冬になれば雪だって降る。

「それよりさ、どうしたの急に」

 結婚したばかりの旦那が家にやってきたときに言うセリフではないなコレは。

「ま、まあ、新築した家を見ておこうと思ってな」

「うん、どうぞどうぞ。上がってよ」

 そういって、ゼクを家へと上げる。ハッとして気付いたけれども、ゼクは土足だった。そういう文化の違いを言っておくのを忘れてた。

 改装する以前のあたしの部屋に入ったときも平然と土足でズカズカ踏み入ってたな。何の説明もしていなかったあたしも悪いんだけど。

 言わなきゃ、と思って振り返り、ゼクの足下を見ると、素足だった。

 あ、あれ……?

「ニッポン人のホームではブーツは脱ぐもの、なんだろう?」

 唖然と驚いた顔をしていたら「事前に調べておきました」みたいな顔で返されてしまった。この男、意外とやりおる。

 というか、こんな知識もわざわざ調べてきたのか。季節のことはまだ勉強不足だったみたいだけど、生活する上での風習みたいな知識なんてそうは分からないもののはずだ。人によって、土地によって、時代によって異なるのだから。

 ひょっとしなくても、あたしのことを考えて勉強してくれたのか。

 今もこのときも、ゼクは考え、勉強して、あたしのことを想ってくれている。

 そう理解してしまった途端、胸の奥がどうしようもなくキュンと来てしまった。

「あはは……」

 なんでか顔が耳まで熱くなってきてしまった。ちょっと夏の気温調整間違っちゃったかな。また少しお茶をいただこう。


 それからほんの短い間、あたしはゼクとどんな会話を交わしていたのか、どのようなことをして過ごしていたのか、驚くほど覚えてはいなかった。

 少なくとも光のように早く、一瞬で過ぎ去ってしまったように感じていた。それくらいに、途轍もない多幸感に包まれていたのだと想う。

 マイホームで過ごす、そんな一時を、こんなにも噛みしめたことはない。

 ほんの僅か、ほんの一握りの幸せだったのかもしれない。それでも、間違いなくあたしはこの家で、ゼクと夫婦としての幸せな時間を過ごしていた。

 それだけは間違いなく、確かに言える。

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