第十八章
修羅場
「妾は帰国するぞ!」
「な、に……!?」
呼び出されたミーティングルームで、開口一番の姫の言葉にゼクが絶句していた。おそらく、これからお姫様をどのように説得しようか、何パターンかの話を考えていたのだろう。
まさか説得する前にお姫様自身から帰ろうなんて言い出すパターンまでは考えもしなかったに違いない。
「そ、それは願ってもないことだ。船の手配も済ませてある」
なかなか段取りがいいところを見ると、あたしのいない間に相当作戦を練っていたとみた。相変わらず真面目な男だ。
「多大な好意、感謝する。なぁに、案ずるな。妾の国のことじゃ。送り届けてもらえばそれでよい。後のことはこちらの問題じゃからな」
ゼクの表情が絶賛迷走中だ。あの顔は「なんでこんなにも聞き分けがいいんだ?」と言っている。気を失う直前がアレだったから仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
それにしたって、真横にいるあたしも少し驚いてしまう。これが姫というものなんだろうか。第一印象があまりにも野性的すぎてイメージがグラグラ状態なんだけど。
「じゃが、ゼクラ。おぬしのことを諦めたわけではない。いずれ国の情勢が安定し次第、改めて妾はおぬしの元に駆けつけるからの」
すりすりとすり寄る。ゴロゴロと喉まで鳴らして猫被りおる。あ、おい、今ゼクのほっぺ舐めたぞ、この猫。
「ふふふ、覚悟しておくのじゃな」
今、絶対こっちをチラ見してから言った。明らかにこっちを意識して言いやがった、この猫姫。
「ま、まぁ、その件はともかくとして、話が早くて助かる。出発の予定だがーー」
「妾は今すぐでも構わぬぞ」
逸る気持ちもあるのだろう。猫を被りつつも素を覗かせてくる。何処かのお姉様よりも分かりやすい。
あれだけゼクに言い寄っておきながらも、『ノア』への居住を最初っから選択肢の中に入れていなかったみたいだ。あくまで、世継ぎのためにゼクの子供を生みたいっぽい。意外としたたかだ。
お国が一番、ゼクの子二番。さすがはビリアはお姫様。
何が「このままおめおめ帰ったのでは面目が立たぬ」だ。国のことが心配で心配でいてもたってもいられなかったんじゃない。そのモフモフの尻尾を見れば本音が見えちゃうよ。
「それでは、姫君にもこちらをお渡しするであります」
「ふむふむ、なるほど、これで姿を消せるのか」
いつの間にか向こうの方に移動していたビリア姫が何やらジェダちゃんから受けとる。何が起きたのか分からないが、シュンと姫の姿が消失する。
「こちらからは見えているのでイタズラはできませんよ」
急にゼクが腕を伸ばしたかと思えば、消えた姫が出てくる。首根っこを捕まれてまさに猫。何やってるんだあれ。
消えた位置と現れた位置が大分離れている辺り、何かイタズラしようとしていたっぽいが。
「で、ナモミだが」
「あたしも行くからね」
「なっ……!」
食い気味に言ったらまたゼクが絶句する。あの顔は間違いなく『ノア』に置いていく方針で考えていた顔だ。そのくらい分かる。
「番いがこう言っておるのだ。雄ならば黙って受け入れるもんじゃぞ」
ゼクに首根っこ捕まれたまま姫が言う。
「いや、だが、しかし……」
いつぞやの『エデン』でのときのことを思い返しているのだろうか。今回は下手したらあのときよりもずっと危険なのは分かっている。
「あたしだって自衛くらいはできるよ。それに、ゼクのそばにいないといつまた無茶なことするか分からないもん」
縦横無尽に無数の機関銃が狙いを定めてくる、そんなときに一人で立ち向かうアホンダラだよ、この人は。自己犠牲でどうにかしようと考えるような人を放っておきたくない。
「足手まといにはならないように努力するからさ。ね?」
それに何より、ゼクのそばにいないと不安を覚えるようになってきた。目を離したらそのまま消えていってしまうような、そんな不安。ゼクに限って、そんなことはないと思いたいのだけれど、前科持ちじゃあ仕方ない。
あと、猫姫がゼクのそばにいるのが危険な気がした。それだけ。他意はない。そう他意はない。
「うちも行くからな!」
「なに……っ!?」
振り向けば、お姉様がふわふわ浮かんでいた。ちょっと不機嫌そう。その要因を作ったあたしが言うのもなんだけど、まだ機嫌なおってなかったのか。
「なんじゃ、おぬしは。おぬしもゼクラの番いか?」
「せやで!うちはキャナ、よろしゅうな!」
浮かんだまま両腕を組んでドンと胸を張る。
ふわふわしてないなぁ。ピリピリしてるなぁ。なんかヤバいオーラを放ってるなぁ。ピリピリお姉様だよ、どうしよう。
「アンタがお姫様やな。これから丁重にお国まで送り届けたるさかい、大船に乗ったつもりでうちらに任せてな」
うーん、笑顔なのに怒りの文字がにじみ出てるよ。
いつものふわふわフェイスお姉様は何処に行ってしまったのだろう。やっぱり流石にラウンド5は調子に乗りすぎたか。
散々なことが立て続けにあった挙げ句、新たな泥棒猫の襲来とあってはお姉様も黙っていられなかったのだろう。
いつ、誰にゼクを横取りされるかも分からないような状況だし。
『……うち負けんから』
不意に、何処からともなくお姉様の声が直に頭に響いてきた。
それは聞き逃してしまいそうなほどに小さい声だったのに、心の奥底からひりだされたかのような力強い言葉だった。
いっつも何考えてるのか分からないふわふわモードでお茶を濁し続けていたお姉様がついに、本気でゼクを狙いに来ているという明確な意思表示なのでは。
ここにきて、対等にして同じ土俵に乗ってきたとでもいうのか。あのポーカーフェイスじみた、ふわふわフェイスを捨てて、素の自分、ありのままの自分で勝負にかけてきたのか。
これはなんだ、一体なんなんだ。ゼク争奪戦か?
緊張感が猛烈に走ってくる。
きっと、ゼクの目には映っていないだろう。今、このとき、苛烈な稲光が迸っていることを。そして、この場にバチバチと雷鳴が轟いていることを。
「私は管理者として『ノア』に残ります。先日のようなことがもうないとは言い切れませんしね」
そしてここでプニーが自ら戦線離脱を宣言かよ。本当に空気読めてないんだなプニー。これから熾烈な戦いの火蓋が切られるというのに。
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