第87話 地下鉄脱線事故

 久々にパソコンの電源を付けた。試合の対戦相手を調べることくらいでしか使わない、安物のノートパソコンだ。少し埃をかぶっていた。

 早速山田からメールが届いていた。添付されたデータを開いてみると、マンホール殺人事件について調べたことが出ていた。

 殺された被害者の名前は、小泉亮。柴田啓二。千葉一郎。佐々木智也。近藤義之。職業も年齢も様々だ。テレビを適当に見ていたので、詳しく把握していなかったのだが、五人も殺されていたのか。三人くらいの気がしていた。この五人全員が地下鉄脱線事故の先頭車両の生き残りなのだ。

 死体が入れられたマンホールの場所が詳細に記されていた。東京二十三区に散らばっている。地図に印がつけられていたが、山田も規則性は読み取れていないようだ。僕にもわからない。

 地下鉄脱線事故の情報を続けて読んだ。

 事故が起きたのは、僕がまだ小学生だった頃だ。三月九日午後二時三十分頃。場所は日比谷線神谷町駅と六本木駅の間。列車が脱線し、壁に激突。車両は崩れた壁に埋没し、取り残された人々の救助は困難を極めた。最終的に死者は十三人。負傷者は二百十四人の惨事となった。

 死亡者のほとんどは、瓦礫に埋まった先頭車両に乗っていた。事故発生から四十時間後に八名の生存者が、先頭車両から救出された(後に搬送先の病院で一名死亡)。当時は奇跡の生還と騒がれたものだった。

 生還した者の名前は、千葉一郎。佐々木智也。近藤義之。斉藤重夫。小泉亮。柴田啓二。常波高久。

 生き残りの七人のうち、五人は殺されてマンホールに入れられた。

 生き残りの中で殺されていない斉藤重夫は、後の平地天回だ。宗教組織「彼方への道」を作り、魔術爆弾による地下鉄爆破に失敗し、警察に捕まった。

 そして最後の一人、常波高久。常波高久? 僕の職場東都大学の常波教授か? 常波教授の下の名前は高久だっただろうか。高久だった気がする。常波なんて珍しい苗字そうそういるものではない。最後の生き残りは、あの常波教授なのか。どういうことなのだこれは。心臓の鼓動が速くなり、マウスを握る手に力がこもった。研究室のホームページで、常波教授の名前を確認してみた。やはり高久だった。常波教授が、最後の一人だ。


 山田のデータには、地下鉄脱線事故当時のニュース映像も付いていた。マウスをクリックし、動画を再生した。

 救出活動の様子。搬送される怪我人。事件の大きさを伝えるリポーター。事故車両に乗っていた人々のコメントなどが映し出された。画面の中に常波教授の姿を探した。いない。

 被害者の遺族の姿が映し出されたとき、何か引っかかるものがあった。巻き戻してもう一度見てみる。楽香だ。小学生時代の楽香だ。画面の中で、遠くを見つめ、消え去りそうなたたずまいで立っていた。横で泣いているのは多分楽香のお母さんだ。

 楽香の両親は離婚したのだと漠然と思っていたが、どうやら死別のようだ。

 事故の死者十三名の名前を確認してみた。佐藤はいない。佐藤は母親の姓のようだ。

 事故発生四十時間後に救助されたものの、搬送先の病院で死亡した男性の名に目が止まった。浮島孝彦。何か予感めいたものが、僕の中に沸いてきた。

 実家から持ち帰った小学生時代のタイムカプセルを調べた。

 女の子用の筆箱。中身はマジックマジック。筆箱に書かれた名前は佐藤楽香。しかし、別に塗りつぶされた名前がある。うっすらとだが、インクの下に潜む名前が読み取れた。浮島楽香。親子だ。

 小学生時代、楽香に初めて会ったとき、大きなスコップであちら側へ行く穴を掘っていた。その時「お父さんに言われた」と言っていたはずだ。楽香の父親浮島孝彦は、死ぬ間際、楽香に何を伝えたのだ。あちら側のの存在を伝えたのだろうか。それだけなのだろうか。救出されるまでの四十時間の間、地下鉄の先頭車両の中では、何が起きたのだろうか。


 楽香がマンホール殺人事件の犯人なのか。


 そんなこと楽香に可能なのだろうか。マンホールの蓋を開けるには専用の道具が必要だと聞いたことがある。そんなこと楽香なら当然知っているだろう。道具だってどうにかすれば手に入るはずだ。女性だから体力が無いなんて決めつけることは出来ない。重い物を運ぶ道具なんていくらでもあるし、被害者をマンホールの真上で殺せば、死体を運ぶ必要さえ無い。そういえば、小学生時代から、楽香は穴に落とすのが得意だった。

 まだ初対面に近かった頃に、マンホール殺人事件との関係について楽香に探りを入れてみた。楽香は、「境界の番人の仕業かもしれない」、みたいなことを言っていた。嘘をついているような感じは受けなかった。しかし、僕がマンホールに落ちた鍵を取りに行ったとき、「境界の番人なんていない」と言っていた気がする。あの時は気にも留めなかったが、楽香が犯人だったら、境界の番人なんていないことになる。本音が出てしまったということなのか。

 動機はなんなのだ。楽香に動機はあるのか。あるとするのならば、楽香の父親が関係しているのは、間違いないだろう。地下鉄脱線事故の時、瓦礫で埋もれた先頭車両の中で、何が起こったというのだ。救出されるまでの四十時間の間で、何が起こったのいうのだ。「あちら側」があるとか無いとかいう問題の他に、何かが起こったのではないのか。先頭車両から生き残った七人は、楽香の父親を犠牲にして生き延びたのではないだろうか。死ぬ間際に、楽香にそれを告げたのではないだろうか。もしそうだとしたら、動機はある。


 楽香は、挟間との試合の前、ぼろぼろだった僕に手を差し伸べてくれた。とても暖かく、心地良かった。もう一度触れて欲しい。もう一度抱きしめて欲しい。また、試合会場の空調設備が壊され、会場が蒸し風呂状態になりそうだった時、それを押さえてくれたのは楽香だったのではないだろうか。挟間を倒したパンチは、一瞬光ったように見えた。楽香がくれた魔法のバンテージのおかげだったのではないだろうか。僕は、楽香のことをとても愛おしく思っている。心の底から愛おしく思っている。しかし、一度頭にこびりついた楽香犯人説は、僕の脳みそに憑りつき、離れようとはしてくれなかった。


 楽香に再び電話をしてみた。出て欲しいような、出て欲しくないような。もし、楽香が電話に出て、「自分がマンホール殺人事件の犯人だ」と言われるのが怖かった。結論を先延ばしにしたかった。結局楽香は電話口に現れなかった。内心安堵した。

 楽香が犯人だとは決まっていない。犯人は「彼方への道」の信者かもしれない。全然違う犯人かもしれない。もしかしたら、境界の番人かもしれない。とにかく、地下鉄脱線事故で閉じ込められ生還した者達が次々と殺されているのだ。平地天回こと斉藤重夫が捕まった今、次の標的は確実に常波高久教授だ。何としても止めなければならない。

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