第86話 事件バブル
帰宅すると、電話が鳴った。楽香からの電話かと思ったが、山田からだった。
「大変なことになっているなあ。集団自殺に教祖自ら地下鉄爆破とか、あいつら本当にいかれているぜ。俺も殺されかけたから、やばいのは知っていたけどな」
山田が挨拶も無しに喋り出した。かなり興奮しているようだ。
地下鉄爆破を防いだのは僕自身だし、穴に飛び込む集団自殺の現場も目撃している。さらには「彼方への道」の黒幕桜木甲斐人が殺されたのも見た。これらのことを告げたら、山田はさらに興奮するだろうが、僕は情報を隠すことにした。携帯電話で喋ることに抵抗を感じたからだ。
「俺の命をかけた取材が報われる日が来たようだぜ。しばらくは「彼方への道」バブルで食っていけるぜ。まあ、生き残った残党とかに殺されなければだけどな」
電話口の山田が笑った。とらぬ狸の皮算用なのだろうが、山田の頭の中は、取材したものがもたらす富の想像で満ち溢れているようだ。
「浮かれているところすまないが、平地天回の爆弾がどうなったかわかっているのか?」
「ああ、爆弾ね。警察関係の人に聞いた情報では、平地天回が持っていた爆弾は、教団が独自に作った爆弾だとか、旧日本軍の遺物だとか、色々な情報が錯綜している。とにかく、あと一歩で爆発するところだったらしい。まあ、爆発してもそんなに威力がなかった説もあるけどな。高温になって外側が溶け出して、座席にくっついてしまっているから、爆破処理班がいまだに格闘中みたいだぞ」
桜木甲斐人の手下は、爆弾を回収出来なかったようだ。ボスが死んでいるので、回収出来ても仕方ないのだろうが、第二の危険は無さそうだ。
「マンホール殺人事件も「彼方への道」の仕業という路線で捜査が進んでいるらしい。被害者に共通点があったんだ。平地天回、本名は斉藤重雄が「カナタ」に遭遇したという地下鉄脱線事故があったのだが、マンホール殺人の被害者は、その脱線事故の生き残りだったんだ。正確に言うと、生き埋めになって数十時間後に救出された先頭車両からの生き残りだ。俺が枢名にあげた本には出てこなかったが、事故の生き残りは、平地天回だけではなかったのだよ。殺害動機は、まだはっきりしていないが、「カナタ」の存在を否定するようなことを言ったとか、そんなことじゃないかな。本当にいかれているぜ」
平地天回自身も、「何人もの人間がカナタを見た」と言っていた。地下鉄脱線事故の時に、一緒に見ていたということなのか。見たと言っているのは平地天回だけで、他の人は存在を否定しているから、殺してマンホールに入れたのだろうか。あの時、平地天回は、「境界の番人に殺された」と言っていた。自分が殺したとは言っていなかった。狂信的な弟子の暴走か。いや、そんな感じでもなかった。本当に境界の番人を恐れているようだった。
「警察も「彼方への道」に近々強制捜査する予定だったらしいが、間に合わなかったな。まあ、強制捜査の情報が洩れて、地下鉄爆破テロとか、集団自殺という破滅的な行動に行ってしまったみたいだけどな」
穴に飛び込む信者の姿を思い出した。こちら側に絶望してしまった人々の、力なく澄んでいた瞳。穴に飛び込む寸前の線の細い背中。地面にぶつかる鈍い音。地下に充満した死臭。僕は何も出来ずに見ていた。
「山田。桜木甲斐人は、どうなっているんだ」
「桜木甲斐人か。裏で糸引いているはずなのだが、情報が全然出てこないのだよな。自分のところには被害が及ばないように、関係があったことすら闇に葬るのだろう。桜木なら、そのくらい簡単に出来るからな」
情報通の山田のとこにも、桜木甲斐人殺害のことは伝わっていない。知っているのに隠しているだけか。そんな口調でもない。
「さっき言っていたけど、マンホール殺人事件の被害者は、昔の地下鉄脱線事故の生き残りなのだろう。まだ殺されずに生き残っている人はいるのか?」
「おお、良い所に目を付けたな枢名。それは既に調べてある。まだ一人生き残っている。今すぐにでも取材したいのだが、連絡がつかないのだよ。他にもやることたくさんだし、大忙しだ。代わりに取材に行ってくれるかい」
「取材なんて、されたことはあるがしたことはない。お役には立てない。だけど、何か気になる。マンホール殺人と、昔の地下鉄事故で知っていることを教えてくれ」
山田はさすがに渋った。それが飯の種なのだから仕方ないが、命の恩人ということと、情報漏洩は絶対しないということを約束し、調べたデータをメールで送ってくれることになった。
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