第12話 外で拳を使う時
不安を抱えながらも練習は続けた。時折入ってくる情報では、HOHは無くならず、興行は続いていくようだ。噂の域は脱していないが。
練習後に新宿の定食屋で夕食を食べた。基本的には自炊だが、今日は作る気がしなかった。
今日はさんま定食を食べた。肉も好きだが、魚も良い。
食べ終わって路地裏に入った。最近はバイクでも駐車禁止の取り締まりが厳しい。気を付けないとすぐに取り締まられてしまう。かといってバイク駐車場は少ない。安全そうな裏道にバイクを停めておいた。
新宿といえども賑わっている場所からは外れると、結構寂しい路地が広がっている。眠らない街も、少し休憩中のようだった。
ふと前を見ると、暗い道に人影が立っていた。顔が白い。仮面を付けた男だった。相変わらず手には長い円筒状のケースが握られていた。
「お前はいったい何者なんだ?」
「ロイトだよ。こちら側では
ファンタジーな夢を思い出した。僕と仮面の男は仲間で、怪物と戦っていた。そのことを言っているのか。
「俺たちは、あちら側から来た。均衡を崩そうとする者の企みを阻止する為に」
何を言っているのか理解出来なかった。こいつは危ない奴だ。それはわかる。しかし、親近感というか、懐かしさというか、そんな感情が、僕をこの場から立ち去らせないようにしていた。仮面から覗く目は、やけに澄んでいた。
「変な夢を見た。お前と、もう二人の仲間と一緒に怪物と戦う変な夢だった」
「それは夢ではない。記憶だ」
記憶。あんな荒唐無稽なのが記憶。そんな馬鹿な。
「残念ながら、ゆっくり話している時間がない」
呂井人が手招きした。
ついて来いということのようなので、歩き出した呂井人の後をついていった。
呂井人は足音を殺し、身を隠すように進んでいく。何故そんな歩き方をするのかわからないが、僕も真似してひっそりと前に進んだ。
物陰に隠れながら呂井人が指差した。指の方向には数人の人影が見えた。暗くてはっきり見えないが、そのうちの一人は様子がおかしく、まわりの人間に引きずられて歩いているようだ。
「なんだありゃ」
小声で呂井人に問いかけた。
「あの引きずられている奴。さっき他の奴に殴られていた。多分殺されるな」
急な展開に言葉を出すことも出来なかった。
そのまま複数の人影は、古びた雑居ビルの中へ消えていった。かなり古く、誰も使っていないような建物だ。
「本当に殺されちゃうのか?」
「殺されるな」
どうする。正直言って面倒事は避けたい。僕は殺されたくないし、怪我もしたくない。そして怪我をさせるわけにもいかない。格闘家が試合場以外で力を出すのはご法度だ。呂井人の馬鹿野郎。余計なもの見せやがって。でも殺される人を見過ごすわけにもいかない。
「警察は?」
「間に合わないだろう」
相手は四人。やれるか。
「顔を見られたくないならこれ使え」
呂井人が仮面を差し出してきた。
「スペアも持ち歩いているのか」
仮面を装着して、尻ポケットからハンカチを取り出し、右手に巻きつけた。拳の怪我を防ぐためだ。
呂井人は足元にあった棒を拾った。
「いつも持っているそれは使わないのか?」
前にも呂井人が持っていた、円筒状のケースを指差しながら言った。
「これはとっておきだ」
そう言って、呂井人は円筒状のケースを、背中に括り付けた。
呂井人は、目で合図して雑居ビルに入っていった。鉄製のドアが嫌な音を立てながら開いた。
中は完全な暗闇ではないが、何がどうなっているのかわからない。
横を見ると、暗闇に呂井人の仮面がぼんやりと浮かんでいた。
「こっちだ」
呂井人は夜目が利くようだ。恐怖心を押し殺し、呂井人の後に続いた。
廊下を歩き、階段を上がった。自分の呼吸がやけに大きく聞こえた。
一枚のドアから光が漏れていた。なにやら声が聞こえてくる。
「もう一つの世界が近付いているのだ。地球を蝕む科学文明の「コナタ」とは違う法則の世界がな。わかるか。お前は我々の邪魔をし、大いなる前進の妨げとなろうとしているのだ。死んで償うのが当然と言えよう」
漏れてきた声を聞く限り、おかしな宗教絡みのようだ。死ぬほど関わり合いになりたくない。
呂井人が問答無用でドアを開けた。まだ心の準備が出来ていなかったのに。
狭い部屋の真ん中に一人の男が倒れこんでいた。そのまわりに四人の男が立っている。僕たちが部屋に進入すると、驚いた顔でこちらを見た。
呂井人が一人の叫んだ男に棒を振り下ろした。鈍い音がして男は倒れた。
僕も一人の男に殴りかかった。右の拳が顎に入り、男は倒れた。男の持っていたナイフが床に転がった。
次に懐中電灯を持った男の顎めがけ拳を振るった。男は倒れ、部屋が暗闇に包まれた。
呂井人も二人目を倒していた。
僕は殺されそうになっていた男を引きずり起こし、肩に担いだ。意識はあるようだが、かなり痛めつけられていた。
部屋を出て、階段を下った。肩に担いだ男が重い。階段を下りきったところで転びそうになった。後ろから呂井人が支えてくれなかったら、豪快に転んでいただろう。
建物の外に出た。男達が追ってくる気配はなかったが、僕達は全力で走った。
さすがに大人一人を担いで走るのは辛い。呼吸が乱れ、脚も腰も悲鳴を上げていた。
バイクのところまで走ってきた。
「おい。バイクで逃げるからな。絶対落ちるなよ」
傷だらけの男に話しかけた。
「あ、ああ、大丈夫だ」
喋るのも辛そうだ。血まみれの顔が痛々しい。
「俺はここから別にいく」
呂井人がそう言って、どこかに消えていった。
一応ナンバープレートを折り曲げて番号を読めなくした。暴走族みたいだが、念の為だ。
後ろに男を乗せてバイクを発進させた。
人気が多そうな道は避けて行ったが、それなりに通行人や車がいた。すれ違う車や通行人が追っ手に見えて冷や汗が出た。
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