旅へ

 二十六日、私の旅は太陽が昇る前から始まった。朝早く起きてごはんを作ってくれた母さんに感謝の言葉を伝えてから家を出て、岩彦駅に向かった。


「おはよう!」

「おはようございます、お待たせしました」


 駅舎でにニット帽姿の美和先輩が、Pコートのポケットに手を突っ込んで待っていた。


「今日も寒いですね」

「風吹いてないだけマシだよ。まず目覚めの一杯をどうぞ」

「ああ、ありがとうございます、いただきまーす」


 先輩が自販機で買ってくれたのは熱い缶コーヒー。しばらく湯たんぽがわりにして手を温めてからいただいた。


 午前五時台、ホームには私たち以外誰もいない。下りの電車がやってきて、中に入ると暖房が程よく効いていてありがたかった。しかしやはり、人は全く乗っていなくて、私たちは遠慮なく二人がけの席に座った。それでも窓側は先輩に譲る配慮は忘れず。


 旅費は全て先輩のおごりである。最初は先輩が全部出すと言っていたけど、金額が金額だけにあまりにも悪いと思って「いくらか私が出しましょう」と申し出た。でも「後輩に負担かけたくない」と言い張って聞かず、結局私は折れてしまった。全く恐れ多いことだけれど、先輩は気にすることを許さないぞとばかりに他愛もない話をどんどん私に振ってくる。そうしているうちに眠気も取れてきて、半時間弱で桃川駅に着いた。


 次は新幹線「のぞみ」に乗り変えて名古屋まで向かう。いったん西に進んでから東に向かうという形になるが、乗換案内のサイトで調べた結果によるとこっちの方が早く着く。


「はい、千秋の分の切符ね」


 乗り換え口の前で渡された新幹線の切符を見て、私は目玉が飛び出そうになった。


「ぐっ、グリーン車ですか!?」

「せっかくだからね、奮発しちゃった」


 私は先輩を拝むように、両手を合わせた。「ありがとうございます」と「勘弁してください」という両方の意味を込めて。もはや買ってしまった以上は「遠慮します」なんて言えないので、私は恐る恐る、生まれて初めてグリーン車に足を踏み入れることになった。


「うわー、フットレストがあると快適さが全然違う!」


 窓側の席にいる先輩はフットレストに足を乗せてご満悦の様子だ。


「先輩ってお金持ちだったんですね……」

「ちょっと小遣い稼ぎしたからね」

「小遣い稼ぎ? 何かバイトをしてるんですか?」

「うん。ちょっと口では言えない内容だけれど」

「口では言えない!? まさかその……」

「エンコーとかパパ活とかじゃないからね」


 私が言いにくいことを代弁して、笑い飛ばした。


「じゃあ何です?」


 先輩はどうしようかなあ、と首をかしげた。


「教えてくださいよ。気になるじゃないですか」

「仕方ない、特別に教えてあげよう。防災倉庫の話は聞いたことがあるよね? 生徒の間で目的外に使われていること」

「え、ええ。それこそ口で言えないことをしているんですよね」

「そう。だけど防災倉庫は建て替えになって年明けからは使えなくなっちゃうんだ。それを見越して、私はちょっとしたビジネスをやったの」

「ビジネス?」

「うん。そういうことをしたい子たちのために、自分の部屋を賃貸してあげたの」

「そんなことして良いんですか……?」

「寮則には自分以外の人間を部屋に上げてはいれない、なんて書いてないし。利用者も倉庫より落ち着くって好評よ。完全個室のおかげで自分の部屋をどうしようが勝手だからこそできる商売だね」


 先輩には悪びれる様子は一切ない。好きなものどうしでするのは自由として、金銭が絡むとなると看過できない。生徒寮はいかがわしいホテルではないのだ。


「その、こういうのはよくないと思います」

「わかってる。だから今はもう店じまいした。あまりやり過ぎると寮監から目をつけられるからね。こういうのは引き際が肝心よ」

「私だったらそもそも思いついてもやろうとしません」

「ホント、真面目さんなんだから」


 仕方ないなあ、という感じのため息をついて、先輩は車窓から外を眺めた。


「だからこそ、千秋が会長になったらみんなから頼りにされるだろうね」


 不意に自尊心をくすぐってきた。もしも古川さんが私だったら胸を掴んでうっ、と唸るオーバーリアクションで返したかもしれない。気恥ずかしさを隠すために、私は先輩から渡された旅先のパンフレットに目を通すことにした。観光サイトのページに載っていたのをそのまま印刷したものだ。


 行き先は長野県の諏訪地方。諏訪大社と諏訪湖、そして全国屈指の温泉地として有名な地域である。


 *


 名古屋駅に着いた私たちはきしめん屋に目もくれずホームの階段を降りて、次に特急「しなの」に乗り換えるべく乗り換え口の改札をくぐった。


「あーっ!」


 私たちが彼女たちの存在に気づくほんの一瞬前に、向こうが私たちを認識して驚きの声を発した。


「菅原さん、それに高倉先輩。奇遇だなあ」

「私もこんなところで真奈さんたちと遭うと思ってなかったよ」


 クールビューティーにイメージチェンジした黒部真奈さんの姿は二度と見間違えなかった。周りには姉の真矢先輩、そして清原さんと古徳さんがいた。みんな面食らいながらも、私たちと挨拶をかわした。


「一緒の新幹線に乗ってたんだろうけど、今まで全然気づかなかった。どこに行くの?」

「下呂温泉まで。菅原さんたちは?」

「諏訪の方まで。真奈さんと一緒で温泉に浸かりに行くの」

「わ、目的まで一緒だ」


 名古屋駅からは岐阜方面に特急「ひだ」が出ていて、それに乗っていくとのことである。「しなの」の10番線と「ひだ」の11番線は同じホームなので、みんな一緒になってホームの階段を上った。すでに「ひだ」が先着していたが、ホームでしばしの歓談となった。


「真奈さんたちも年末旅行で温泉かあ」

「うん、姉さんの卒業旅行と古徳さんの進級前祝いも兼ねてね。それと操の……操の話はもう聞いた?」

「うん、外部進学するんだよね」


 美和先輩が「えっ」と軽く声を上げる。古徳さんから聞かされたことは美和先輩の他、誰にも言いふらさなかったから当然の反応だ。


「知らなかった。どうして?」


 清原さんが申し訳なさそうに頭を下げた。


「隣県の高校から剣道でスカウトされたんです」

「スポーツ推薦?」

「はい。すみません、せっかく入った学校を離れることになってしまって……」

「全然謝ることじゃないよ。凄いじゃん」


 美和先輩の言うことに私もうなずく。


「もっともっと強くなって、ライバルに負けないよう全国を目指して頑張って欲しいな」

「ライバル……? ああ、なるほど。そりゃもちろん。一年目から公式戦に出てインターハイで優勝してやるぐらいの気概を持っていきますよ」


 清原さんがライバル、真矢先輩を横目で見る。


「推薦と言っても入試があるのに、余裕かまして落ちなきゃ良いんだけど」


 真矢先輩のちょっと意地悪そうな笑みに対して、清原さんは歯をむき出しにしてやり返した。怒っているようにも笑っているようにも見える。


「面接と実技だけだし、楽勝だっつーの!」

「そう言ったら落ちるのがお約束パターンよね」


 美和先輩がにっこり笑いつつエグいことを言ったが、清原さんは大笑いして受け流した。


「何もしないわけじゃないっスよ。先生が面接対策してくれますし、こいつとも毎日面接の練習してますから」


 清原さんが古徳さんの肩を叩いた。


「面接は大丈夫だろうけど、実技が心配」

「だから体がなまらないよう、向こうでも練習するんだろうが」


 私は清原さんが担いでいる細長いバッグに気づいた。どうやら中に竹刀が入っているらしい。大きな試合の前には山ごもりするぐらい稽古熱心な彼女にはゆっくりするという選択肢はないようだ。


「ま、キヨちゃんのためならおつき合いしますけど」

「古徳さん、剣道できるの?」


 私は聞いた。


「ほんのちょっとだけかじったことがあります。キヨちゃんと本気でやっても絶対に勝てませんけど、練習台ぐらいにならなれますから」


 古徳さんは竹刀で面を打つフリをした。学び舎を去ろうとする友人に対して協力を惜しまない姿勢。果たして私が古徳さんの立場だったら同じことをできただろうか。


「ところで菅原さんと高倉先輩だけですか? 他の生徒会の方々は一人も?」

「え、うん」

「ふーん、二人きりとは珍しいですね」


 生徒会に入ってからはほとんど集団行動だったから、確かに二人きりだと周りからは珍しいと映るかもしれない。でも古徳さんの私たちを見る目つきは、物珍しさとはどこか違っているような気がした。


 真矢先輩が電光掲示板の時計をちらりと見た。


「あ、そろそろ出発の時間ね。ごめんなさい、私たちはこの辺で失礼するわ」

「わかりました。みなさん、良い旅を」


 美和先輩が挨拶すると、真矢先輩も「二人とも良い旅を」と返してくれた。


「じゃあね清原さん。健闘を祈るからね」

「私も菅原先輩の健闘を祈りますよ。会長選の」

「えっ、何で知ってるの?」

「いや、勘ですよ勘。先輩だったら出るだろうなと思って」

「菅原さん、やっぱり出るんだ。私もそうだと思ってた。ふふっ、次の会長選は去年よりも面白いことになりそう」


 真奈さんは目を細めた。総勢二十人が立候補した大乱戦状態の選挙戦よりも面白い選挙。実現しようとさせるなら相当高いハードルを越えないといけないかもしれない。


「まあ、期待に添えられるようできるだけ頑張るよ」


 最後に古徳さんが、私に握手を求めてきた。


「頑張ってくださいね」


 私は古徳さんの手を握り返したら、何か不自然にひんやりとした感触を覚えた。その正体は茶色の小瓶だった。ああ、これは例の……。


の特級品です。この前かえでちゃんと一緒に飲んだのですが、もうお互いケダモノになっちゃって朝までぶっ通しでした。うふふ……」


 うっとりとした顔で、耳元でぼそりとささやいてきた。


「頑張ってってまさか……いやいや先輩とはそんなんじゃないから!」


 私も小声で必死に否定したけれど、古徳さんはニヤケ顔で小瓶を私のダッフルコートのポケットの中に押し込んだ。


「何渡したんだ、聖良?」

「ちょっとしたお餞別」


 古徳さんはとぼけて、清原さんもそれ以上深掘りしなかった。古徳さん、私たちについて曲解してみんなに伝えなきゃいいんだけど……。


 四人が「ひだ」に乗り、出発するのを見送った後、案の定、美和先輩が古徳さんと何を話ししたのか問うてきた。


「こんなの渡してきたんですけど」

「何これ?」

「スッポンの生き血ドリンクです。古徳さん、大好きなんですよ」

「物好きだなあ。あっ、そういうことか。ふーん……」


 古徳さんの意図に感づいてしまったようだ。


「あ、あのっ」

「そういうことしないから。心配しなくていいよ」

「本当ですか?」

「本当に本当だよ」


 美和先輩は右手の小指を立てて私に突き出した。


「指切りげんまんしよう」


 先輩の笑顔には、以前よく見られた「怖さ」が全く無い。


「わかりました。先輩を信用しますからね」


 私は小指を絡めた。「嘘ついたら針千本飲ます」のまじないは高校生がやるには恥ずかしいから省略した。


 しばらくしたら10番線に「しなの」が入ってきた。私たちの旅はまだ序の口も序の口である。

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