終業式の日

 二学期終業式の日の朝、教室に入ったらマスク姿のカクちゃんに出し抜けに「スガちゃん、知ってる?」と聞かれた。


「何を?」

「防災倉庫、冬休み中に建て替えになるって」

「ふーん」

「リアクション薄っ」


 そうツッコまれても、私は防災倉庫を「利用している」生徒ではないんだし。緑葉がどういう所なのか思い知らされた衝撃の場所ではあったけれど。


「新しい倉庫は教職員の手で厳重に管理されるみたいで、今までみたいに愛を育む場所として使えなくなるのは間違いないの。生徒会としてどうにかできないの?」

「いや、愛を育むとか本来の使用目的と違うし……どうしてもそういうことしたいなら裏山に行ったら?」

「嫌だよ! マムシに噛まれたらどうす……ふぁっ、くしゅん! くしゅん!」


 まだ完全に風邪は治っていないらしい。お大事に。


「ああ、もう。この冬休みは実家で湯治しなきゃだな」

「この時期はやっぱり温泉だよね。カクちゃんの故郷の温泉、日帰りで行ったことあるけどなかなか良かったよ」

「でしょ? 冬休みも来たら良いよ」

「あいにく、別のところに行くの」

「どこ?」

「まだわかんないけど、遠いところ」

「漠然としすぎでしょ。泊まりで行くなら早いところ決めとかないと宿取れないかもよ? 最近は外国人観光客も多いんだし、早く動かないと高い宿しか残らないよ」


 そう言えば母さんに連れて行ってもらった日帰り温泉にも外国人向けの案内があったなあと思い出す。


「ところでさ話変わるけど、出るの?」

「何が?」

「スガちゃんが」

「何に? 主語と目的語をはっきりとお願いしますよー」

「決まってんじゃん、生徒会長選挙に」

「うん。出るよ」

「わー、やっぱり!」


 なぜか自分のことのように大喜びしている。私は理由を尋ねた。


「だって編入生が会長になったら面白いじゃん。しかも東京生まれの子がさ。東京ブランド背負ってるだけでもアドバンテージ凄いよ」

「今は白沢市民なんだけど……」


 私の周りには東京に対して過大評価に近い憧れを抱いているのが結構見受けられる。元東京人という理由で私に投票するのも少なからずいそうだけれど、生まれで生徒会長を決めてしまうのはちょっと、と言いたくなる。公約や姿勢で評価して欲しい。


 公約。そう言えば公約を全然決めていなかった。立候補〆切は来月の十七日まで。まだ先とはいえ今からでも考えておかないと。


「あのさ、私にどういう公約を掲げて欲しい?」


 率直に聞いてみた。


「そりゃあ『私たちの防災倉庫を返して』でしょ!」

「それだけは却下します」

「即答しなくてももうちょい悩んでくれても良いんじゃない?」

「はいはい」


 私はぶーたれるカクちゃんを適当に受け流した。ここはやっぱり自分の力で考えよう。


 *


 終業式が終わって昼前に学校は終了。私たちは納会と称して河邑家で昼食を取ることになった。メニューはもちろんきくさん特製のカレーライスだ。ほくほくのカレーを目の前にして胃袋が悲鳴を上げそうになるが、スプーンをつけるのは河邑先輩の乾杯の音頭の後だ。


「それでは皆さん、一年間お疲れ様でした。せわしない日々だったけど、個性的で楽しい仲間と一緒に仕事ができて嬉しかったです。特に菅原さんという編入生が来てくれたのは刺激で……」

「カワムー、なげーって」


 今津会長が茶々を入れた。


「ふふ、ごめんなさいね。じゃあこれ以降は食べながらということで。みんなグラス持って。はい、かんぱーい!」

「かんぱーい!」


 ウーロン茶が入ったグラスが合わさる音が和室に響いた。私は半分ほど飲んだ後、「いただきます!」と手を合わせて、大盛りのカレーライスをすくい取りにかかった。


 インスタントでは味わえない深いコク。甘すぎず辛すぎずの絶妙なバランス。これが本当にたまらない。多分食べられるのは最後だし、後で思い切ってきくさんにレシピを聞いてみよう。


「菅原と古川は、もう公約を考えたのか?」


 生徒会長選挙の話は確実に出るだろうと思っていたが、下敷領先輩が早めに私たちに話を振ってきた。


「私、全然考えてないっス」

「まあ古川はそうだろうと思ってた」

「うーわ、じゃあ最初から聞かないでくださいよー傷ついたー」

「菅原は?」


 下敷領先輩は古川さんを無視した。


「私も全然です」

「なに? 菅原もか」

「すみません。というわけで参考として会長に伺いたいんですけれど、どんな公約を掲げたんですか?」


 会長はドヤ顔で答えた。


「『明るく、楽しく、激しい学校生活』よ」

「あの、それって単なるスローガンでは……? しかもどこかで聞いたような」

「当たり前だ。某団体からパクったからな」


 悪びれもせず言うものだから、私はむせそうになった。


「あのな、私は広報委員会やってたからわかるんだが小難しい御託をベラベラ並べるより短くてわかりやすいのが印象に残りやすくてウケるんだよ。だから私は選挙運動ではスローガンだけをひたすら連呼して、裏でちょいと宣伝工作もしたけれど、それで立候補者二十人の大激戦を勝ち抜いたわけよ」

「ううーん……ちょっと私には真似できそうにありませんね」


 そうだろう、と言わんばかりに会長は胸を張った。


「丁寧に公約を掲げて負けた私には耳の痛い話ね」

「河邑先輩はどんな公約を?」

「ボランティア活動とエコ活動による社会への貢献でしょ。それと愛校心高揚のために毎月著名OGによる講義の開催。必死に訴えたんだけどねえ、今津さんに比べたら堅苦しい内容だったからウケはイマイチだったかな」

「つっても僅差の二番手だしな。立候補者が少なかったら私のアンチがカワムーの下に集結してこっちが負けてたかもしれん」

「ふふっ、多数の立候補が出たのはあなたが原因なのによく言うわねえ」

「どういうことですか?」

「だって今津さん、イロモノクセモノでしょ? そんなのが会長候補になるんだったら自分だって会長になれるはず。今津さんが会長になるのを阻止してやるって考える生徒が多数出てもおかしくないわよね」


 なるほど。「先ず隗より始めよ」みたいな現象が起きてしまったわけか。


「結構好き放題言ってくれるなあ。クリボーだったらグリグリしてやるところだぞ」


 今津会長は苦笑いした。


「立候補から当選まで、全てがあなたの手のひらの上だったわね」

「そいつは褒めすぎだ。結局は運だよ、運」


 今津会長は烏龍茶の入った大きなペットボトルを手にとって、自分のグラスに注いだ。


「だけど運を引き寄せたのは選挙運動で私が、美和ちゃんが頑張ったからこそだ。"Heaven helps those who help themselves"だよ。はいすがちー、この英語の意味を答えなさい」


 今津会長がスプーンで私を指し示した。


「あっ、えーと……」


 唐突のご指名に面食らった私だったが、英単語を頭の中で並べたら授業で習ったことわざだとすぐにわかった。


「天は自ら助くる者を助く、です」

「さすがすがちーだ。さすがちーだな! ハハハ」


 私は今津会長の渾身のダジャレに付き合って笑った。


「まっ、それが私が二人に言いたいことだ。そのためにまず公約をしっかりと作ること。そして生徒の耳から心にまで届かせること。私みたいに小細工するも良し。カワムーみたいに愚直に訴えるも良し。手段は何だっていい。後は精神論になるが、とにかく何が何でも当選するんだ、という気持ちで全力で望め。いいな? すがちーにクリボー」

「はいっ!」

「御大、まじかっけーわ。抱いて!」


 今津会長が両手の拳骨に息を吐きかけると、古川さんは「大変貴重なお言葉をありがとうございました」と丁寧に土下座したのだった。


「さあ真面目くさった話はここまでにして、みんな食おうぜ!」


 今津会長の一声で、みんなのスプーンが再び動き出した。


 歓談に興じている最中でも、私の頭の片隅には「公約」の文字が常に浮かびっぱなしだった。


 *


 公約。こうやく。コウヤク。KOUYAKU。


 ベッドの上で寝転がりながらスマートフォンを使ってネットの辞書で調べたら「公開の場で、また公衆に対して約束すること。特に、選挙のときに政党や立候補者などが、公衆に対して政策などの実行を約束すること」とある。


 私が通っていた東京の中学校の生徒会選挙を振り返ると、候補者はみんな似たり寄ったりで具体性の無い公約を掲げていた。どんな公約を掲げようと結局のところ教員が首を縦に振らないと実現できないのだから、差し障りのない内容になるのは当然だった。


 だけど緑葉ウチの生徒会は違う。教員の介入がほとんど無いから何でも自由にやれる環境が整っている。言い換えれば教員を言い訳にはできないということだから、公約の重みは石ころと岩ぐらいに違ってくる。


 実現可能な範囲で、かつ生徒の心を響かせるような公約。みんなが楽しい学校生活を送れるにはどうしたら良いか。八ヶ月も生徒会で仕事してきたのに何一つ良いアイデアが浮かばない自分がだんだん腹立たしくなってきて、身悶えした。


 途端、通知音と一緒にLINEの通知が表示された。


「お、美和先輩からだ」


 タップすると『公約どう?』のメッセージが。私は返事として泣き顔のスタンプを送った。


『焦らなくていいよ。それより温泉旅行の行き先決まったから教えるよ』


 というメッセージの直後に地図が送信されてきた。そこは有名な観光地であり、白沢市からは結構距離がある場所だった。


『旅費は心配しなくても私が出すから』


 私の懸念していることを、先取りする形で送ってきた。私が返信する前に、先輩は次々とメッセージを送りつけてくる。現地への交通手段だとかどこを観光するとか。通知音がずっと鳴りっぱなしだったが最後に、


『何もかも忘れてゆっくりしよう』


 というメッセージで一旦落ち着いたのを見計らって、私は『りょーかいです』というセリフとともに敬礼しているキャラクターのスタンプを送った。


「何もかも忘れて、か。その方がかえって頭の中がすっきりして思いつきやすくなるかな」


 そうひとりごちた。何にせよ冬休みは始まったばかりである。じっくり焦らずに。

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