最終話 冬来たりなば

冬のある日

 平成二十九年が終わろうとしている。


 私の一年を振り返ると、緑葉女学館に入学してからの八ヶ月は、感覚的には八年ほど過ごしてきたんじゃないかと思うぐらい一日、一日が濃厚だった気がする。


 このような学校生活を送る原因となったのは、やはり生徒会活動だ。クセの有りすぎな今津陽子会長、濃すぎる同級生のサブたち、そして私を引きずり込んだ高倉美和先輩……。


 みんなとは良いこと悪いこと含めていろいろあったけれど、人と人との関わりを生徒会活動の中心に据えて、その中で教科書で学べないことをたくさん学べた。それが人間的な成長に繋がっているかどうかは、正直わからないことはあるけれど、きっとこれからの人生においても緑葉の生徒会活動で学んだことが活かされる機会があるに違いない。


 今年度の生徒会活動もそろそろ終わりのときが近づいてきたけれど、私の中ではまだその意識が薄かった。


 *


 文化祭が終わった後はまるで時間の流れが急に早送りになったようだった。期末テストはひーこら言いながら勉強してどうにか全教科平均点付近を確保。直後の冬季生徒総会も荒れた夏季生徒総会と違って無風で何事も無く終えることができた。

 

 終業式までは消化試合のようなもので、少し気の緩んだ日々を過ごしていたが、生徒会の仕事も今や簡単な業務処理ぐらいしか無く、役員が常駐することも少なくなった。下敷領先輩はソフトボール部の練習に励み、河邑先輩は遺跡の研究成果をまとめるために郷土研究会の方に顔を出し。今津会長は毎日生徒会室に来るけれど、「ちょっくら精神と時の部屋に入るわ」と言っては給湯室兼控室にこもって分厚い問題集を解いている。本人曰く、旧帝大を目指しているらしい。さすが国立コース。


 美和先輩はというと全く姿を見せなくなった。ただ何をしているかはわかっていて、古川さんが言うには寮の自習室で勉強しているという。美和先輩も今津会長と同じく五年北組、文系国立コース所属だし、勉強量も会長と同じかそれ以上になるのは必然だ。


 そんな先輩と今朝、ちょっとした事件があった。私はお通じが良すぎたのが祟って、普段より家を出るのが遅くなった。橋を渡って土手を下りたところの市道、いつもならカクちゃんと古徳さんに会うのだが、この日は彼女たちより遅めに登校している美和先輩と会ったのだった。


「先輩、おはようございます」


 と挨拶したら、「おはよう」と、覇気のない声で短く返された。


「何だか元気ありませんね。どうしました?」

「別に」


 あまりにも素っ気ない返事に、虫の居所が悪そうだと思いそれ以上喋らなかったが、先輩からもエントランスで分かれるまで何も話しかけてこなかったから、気まずさだけが残ってしまった。合宿直後に一時期仲がおかしくなっていたことがあったけれど、その時以来の気まずさだった。


 放課後、朝のことについてさりげなくサブの仲間に話してみた。すると団さんが、知っている美和先輩の事情を話してくれた。


「勉強漬けで疲れてるんじゃない? 先輩、今桃川の予備校で冬期講習受けてるから」

「予備校?」

「この前たまたま駅前で先輩を見かけて、本人から話を聞いたから間違いないよ」

「マジか。てっきり自習室にこもってるばかりかと思ってたぞ」


 古川さんは驚きを示しつつも、アメ玉を口に入れて私たちにも一個ずつ配った。私も早速口に含む。


「高倉パイセン、期末でクラス内トップってチラッと聞いたけどなあ。しかもこの前の校外模試でも東大の文一でA判定出したとか」

「文一?」


 団さんが首を傾げた。


「文科一類。平たく言えば法学部予備軍だな」

「法学部!」


 大学の法学部は数あれど、我が国の最高学府の中の最高学府である東京大学の法学部の名を聞いて畏怖しない高校生はいないだろう。


「東大法学部かあ……私の頭じゃ逆立ちしたって無理だろうなあ」


 期末テスト全教科平均点の私は嘆息した。


「テストで意外と上位の古川さんだったら可能性あるんだろうけど」

「おい、『意外』は余計だろう」


 漫才のツッコミみたいに手の甲で胸を叩かれた。


「ま、ここでも東大や京大に行けるのはほんの一握りしかいねーし。パイセンはすげーと思うわ。ところですがちーはもう志望大学決めてんの?」

「まだ先のことだしわかんない。でも来年は文系を志望しようかな、と」

「そっかー。私も大学決めてないけどとりあえず文系志望だ。一緒のクラスになれるといいな」


 緑葉では文系理系の選択はできても、国立コースになるか進学コースになるかはテストの成績によって決められる。どっちに振り分けられるかは、冬休み明けの実力テストと三学期の期末テスト次第だ。


 団さんが「私は理系志望!」と手を上げた。


「だって就職に有利って聞くし」

「即物的だな、おい。茶川は聞くまでもないか」

「……理系志望」


 やっぱり。ものづくり大好きな茶川さんだし。ちなみに文化祭では、彼女が科学部の出し物として作ったペットボトルロケットが子どもに大好評だったそうだ。


 いつしか美和先輩の話題がフェードアウトしてしまったものの、雑務を終えた帰り道、岩彦橋を渡っていたときに美和先輩から電話がかかってきた。私は自転車を下りて通話ボタンを押した。


「もしもし」

『もしもし千秋? あ、今朝はホントゴメンね』


 挨拶もそこそこに、いきなり謝られた。


「え、何がです?」

『ほら、せっかく朝一緒になったのに冷たい態度取っちゃって』

「あ、ああ! そのことですか。いえ、全然気にしていませんから。先輩こそ体調は大丈夫ですか?」

『うん、実は寝不足と生理が重なってね。学校休もうかと思ってたぐらいだったよ。でも今は落ち着いた。心配かけさせてゴメン』

「いえいえ! お大事になさってください」

『ありがとう。ところで、今日のお詫びも兼ねてだけど、冬休みに二人で遊びにいかない?』

「二人でですか?」

『そう。一泊二日で温泉にでもどう?』

「泊まりでですか!?」

『うん。千秋も勉強に生徒会活動にと疲れたでしょ? 一緒に癒やされようよ』


 とは言うものの親以外の人間と二人きりで旅行だなんてしたことがないし、何より先輩、水に流したことだけれど生徒会合宿で私に襲いかかろうとしたことがあるのだ。今でも私に好意を持っていると明言している以上、また同じことをしでかす可能性は限りなく低いにしろゼロとも言い切れない。

 

 だからといって先輩のお誘いを無下に断ることもそれはそれでどうかと思うし、この寒い時期に温泉という単語の響きはたまらなかった。私は迷った。


「いつ行くんですか?」

『二十六、七日で。中途半端だけどここが一番都合いいから』

「わかりました。でも返事は明日で良いでしょうか。親に話をしないといけないので」

『いいよ。明日は生徒会に顔を出すから、その時にね』


 お互いお疲れ様、とねぎらいの言葉をかけあって電話を切った。


 親の話云々は半ば口実だ。私は一日かけてじっくりと考えることにした。


 *


 温泉の件を父さんと母さんに話したらあっさりと認めてくれた。だけど私はまだ行くべきかそうでないか迷っていた。


 この日は最低気温が氷点下という寒さで、私はダッフルコートを着込んで、さらにマフラーとニット帽を身に着けて重装備で登校せざるを得なかった。いつもの市道に出るとみんな重装備モードで、中にはスカートの下に体操服のジャージを履いている子も多く見かける。冬の女子中高生のあるあるファッションだ。


 いつものタイミングでツインテールの小さい子、古徳さん姿を見つけたけれど、相方のカクちゃんの姿はなかった。


「おはよう!」

「おはようございます」


 古徳さんはマスクこそしていたものの、防寒具の一切は身につけていなかった。スカートの下はもちろん生足だ。


「寒くないの、その格好?」

「心頭滅却すれば火もまた涼し。逆もまた同じです」


 言葉では簡単に言えるけれど、実践するのには勇気がいる格好である。


「カクちゃんは?」

「風邪ひいちゃってお休みです」

「あらら、やっぱり」

「菅原さんも気をつけてくださいね。同じクラスだったらうつされているかもしれませんよ」

「もう、脅さないでよー。ていうか一緒に暮らしてる古徳さんの方がヤバイでしょ」

「ふふっ、私は生まれてから一度も風邪を引いたことが一切ないのです。一応マスクはしてますけどね」


 羨ましい限りの健康ぶりだなあ。


 私たちはダベリながら校門に続く道を歩いた。


「古徳さんもそろそろ後期課程だね」

「ええ、かえでちゃんと一緒の校舎になるから楽しみです」


 と言った直後、古徳さんは天を仰いで物凄く大きなため息をついた。


「どうしたの?」

「ええ、これでキヨちゃんも一緒に進級できてたらもっと楽しかったのに、って思って」

「清原さんが? え、どういうこと?」

「内緒にしてるけれどどうせ近い内ににわかることですので、もう菅原さんには言っておきます」


 一呼吸置いて、古徳さんは続けた。


「キヨちゃん、来年はよその高校に行くんですよ」

「ええーっ!?」


 私の頭の中に「肩たたき」という不吉な文字が思い浮かんだ。緑葉に限らず中高一貫校の進学校によく見られることだが、前期課程での成績があまりにも良くないと後期課程に進学できない。それはいわば戦力外通告であり、俗に肩たたきと呼ばれている。


「あ、『肩たたき』ではないですからね。キヨちゃんはおバカだけど勉強面ではそれ程おバカではないですから」


 古徳さんによって即座に否定された。


「え、じゃあ」

「日昇学園って知ってます? 隣県の招木市にあるスポーツ強豪校ですけれど、そこからスポーツ推薦のお誘いが来たんです」

「推薦! はあー……」


 こっちの方がびっくりした。日昇学園にはスポーツ推薦でしか入れない体育科があり、そこに入るのだという。地方大会で一回戦負けはしたけれど、がむしゃらに相手に向かう姿勢がたまたま日昇学園の剣道部監督の目に止まったのがきっかけだそうだ。


「悩みに悩んだ末、キヨちゃんはより高いレベルの剣道部で剣の道を究める方を選んだのです」

「そうかー……でもせっかく進学校に入ったのにもったいない、って気もするけど」

「私も正直、そう思います。実は私も日昇の柔道部から誘いを受けたんですけれど、丁重にお断りしました」

「ええっ、古徳さんも?」

「はい。私、県大会優勝して地方大会でも準決勝まで行きましたからね。実績ではキヨちゃんより上ですよ」


 うふふ、と笑い声を上げてはいるけれど、目は笑っていなかった。


「友達と離れ離れになるの、寂しくない?」

「寂しいですよ。だけどいくら友人でも、人生を賭けた選択まで束縛できませんし、意志を尊重します。でも、私よりももっと寂しい人がいますよね。その方を心配してあげてください」

「あっ」


 頭の中に、清原さんの恋人である黒部真奈さんの顔が浮かんだ。


 私はこの地方に引っ越してきて一年以上経ち、周辺の地理はだいたい把握したから招木市の場所だってわかる。招木市はここ岩彦駅から電車で一時間弱、桃川駅からだと一時間半以上はかかるところにある。会えない距離ではないけれど、頻度はかなり下がるだろう。だから清原さんもかなり悩んだと思われる。


 まだ清原さんの進路が公になっていないにしろ、真奈さんは知っているはずだ。ショックを受けていないだろうかと、私はそれとなしに様子を見に行くことにした。古徳さんと別れた後に、私は早足で四年東組まで向かった。


 教室の中から何やら色めき立った声がしている。私は訝しく思いつつ、中に入ってみた。すると一人の顔立ちの良い生徒が教壇のところで取り囲まれていた。七三に分けたショートヘアでノンフレームの眼鏡をかけていて、まさに「クールビューティ」という言葉が似合う人だが、はて、この生徒はいったいどこのクラスなのだろうか。少なくとも東組にはいなかったはず。


 後ろの席に気だるそうに机にもたれて喧騒を見物している茶川さんがいたから、挨拶を交わしてから聞いてみた。


「あの人、だれ?」

「……黒部真奈」

「……………………ウソでしょ?」


 私の記憶にある黒部真奈さんは、三つ編みで黒縁眼鏡で垢抜けてなく、まさに読書が似合いそうな人物だった。それがまったく別人と化している。


 いや待てよ。確か決闘騒ぎのとき、お姉さんの真矢先輩に小学生時代の真奈さんの写真を見せてもらったことがあった。子役かモデルかと思うぐらい綺麗で美しくて、真矢先輩曰く県内一の美少女で芸能界からも誘いがあったぐらいだ。


 つまり元々、顔立ちはかなり良いのだ。別人と化したのではなく、三つ編みと黒縁眼鏡という野暮ツールが取れて本来の美しく綺麗な姿を見せた、というのが正確だろう。


「あっ、菅原さん!」


 真奈さんが私に気づいた。声は確かに真奈さんそのものだった。


「びっくりしたでしょ? 自分で言うのも何だけど」

「うん。誰この人、って思っちゃった。どうしたの?」

「ちょっと思うところがあってね。あっ、操と別れたとかそんなんじゃないからね。みんな心配してくれているんだけれど……」


 喧嘩別れという最悪の結果にはなっていなかったことにホッ、としたものの、やはり髪切りは清原さんの進路がきっかけではあるだろうなあ、と邪推してしまう。


「ところで、東組に何かご用?」

「ううん、何か凄いキャーキャー聞こえてたから覗いてみただけ」

「ごめんね、騒がしくて」

「仕方ないよ、誰だって声出したくなるって。とびっきりの美人に変身したんだし」


 私はお世辞ではなく本音を言うと、真奈さんの顔がみるみる赤くなった。見た目クールでも性格はシャイ。そのギャップがたまらんとばかりに周りが騒ぎ出す。騒がしくしてごめん、と心の中で謝った。


 真奈さんのあまりにもの変わり様の衝撃で、朝の間はついに、旅行について美和先輩への返事をどうしようかと考えることができなかった。

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