お見舞い
「おおう、マジかよ」
今津陽子生徒会長は驚愕した。
朝の
だけど「マジかよ」という言葉は美和先輩の報告を受けて出たものではない。団さんがこの場にいない理由を問い正された私は病欠だと答えたのだが、「昨日まであれだけ元気だったのに病気ってどういうことだ?」と、やや不機嫌になったため、しどろもどろになってしまった。会長の圧迫を見かねてか、美和先輩がやむなく事情を話したら「マジかよ」と驚かれたのである。
「まあ、あいつの異性に対する執着は度が過ぎてたからな、
その通りだと思った。富士山のように高い理想の相手を見つけたのに、その頂上から一気に滑落したようなものだから。
LINEでメッセージを送るよりも、一晩過ぎて落ち着いたところで直接言葉をかけて元気づけようとしていたのだが、団さんは朝方になって『調子悪いんで休みます』とメッセージを送ってきた。私は慌ててフォローのメッセージを送ったが、既読すらつけられなかった。ショックの度合いは私の想定以上だったらしい。
「すがちー、今日の授業が終わったらお見舞いに行ってやれ」
「仕事はいいんですか?」
「仲間を元気にするのも仕事のうちだ」
しかし黙っていられないのが一人。そう、古川さんだ。
「御大、仕事は適材適所っつーのがありましてね……ここは元気印の私の出番っしょ!」
「お前だと不安なんだよなあ、余計なことしそうだから」
「何で!? こちとら団六花と三年以上一緒に学んでるんスよ!? 一年も経ってないすがちーより私の方があいつのことを知ってるんスよ!」
古川さんはなおも食い下がろうとする。彼女も団さんのことが心配でたまらないのだ。
「……会長、古川の言うことも最もだと思います」
ついには寡黙な茶川さんまで意見を言った。会長は腕を組んで首をひねる。
「しゃーねーな。わかった。お前もすがちーと一緒に行け」
古川さんの顔つきがパアッと明るくなった。
「さすが御大! サイコー! 愛してる!」
投げキッスをする古川さんに対して会長は露骨に眉間にシワを寄せた。
「……すがちーよ、こいつが少しでも何か変なことをしたら目一杯しばき倒していいからな」
「はい。目一杯しばき倒します」
私が答えたら、古川さんは「ひえー、大人しくしとこ」と、わざとらしく身震いするのだった。
そういうわけで午前で学校が終わった後、私と古川さんは一旦それぞれ自宅と寮に帰って昼食を取り、岩彦駅で落ち合って団さんの実家のある桃川まで電車で向かうことにした。
私は制服のままだったが、古川さんは黒いパーカーとジーンズに着替えていて、ニット帽を被っている。キノコ頭が見えない古川さんはどこか新鮮に感じた。
「お前なあ、何で制服のままなんだよ」
再会するなり、古川さんに苦笑いされた。
「だってこれは仕事だもん」
夏休み前の連休に、報道部のカメラウーマン宮崎さんが見せたプロフェッショナル精神のリスペクトである。……というのは半ば冗談だけれど、お見舞いだったらフォーマルな格好が一番無難だと思ったからだ。
下り線の中は混雑とまではいかないが、座席は全て埋まっていたから立ち話になった。麗泉から馬術部がゲストで来ることに関連して、古川さんは馬についてやたらと熱弁を奮った。彼女の実家は競走馬の牧場だから、それなりに知識があるのだ。
「すがちー、馬の好物といえば何だ?」
「そりゃあニンジンでしょ。あとリンゴもだよね」
「普通はそう答えるよな。だけど実際にはニンジンやリンゴを食わない馬だっている」
「へー、変わった馬もいるんだね」
「馬
古川さんは吊り革を両手で掴んで、ねじったりひねったりして弄んでいる。
「
古川さんの言いたいことは何となくわかった。
「でもニンジンを食わないからってどうってことはないし、みんなそれも個性の一つだと受け止めてきた」
まあ、古川さんのような超個性派が受け入れられている学校だし。
「ま、ニンジン食わない奴は少数だが他にもいる。あいつの場合、周りに自分の好きな食べ物をアピールしまくってるから目立つだけなんだよな」
「だよねえ。ところでそれ、中に何が入ってるの?」
古川さんはビニール袋を手にしている。
「ニンジンじゃないが、下手な慰めの言葉よりこいつを渡した方が効くだろ」
「わ、柿だ」
中にはオレンジ色の柿が数個入っていた。古川さん曰く、河邑先輩が自分の家の庭に生えている柿の木からもいで持ってきたものとのことだ。
「大きくて甘そう。これで『柿食えば元気出るなり団六花』といけば良いんだけれど」
「お、今の五・七・五でちゃんとまとまってたな」
それから古川さんは『茶川陽菜古川恵団六花東京から来た菅原千秋』という変な短歌を即興で作って、一人でゲラゲラ笑った。こんな調子で桃川駅までの三十分を過ごした。
*
私たちはスマートフォンの地図アプリを頼りに、団さんの家であるマンションにたどり着いた。ここの五階の一番端が団さんの部屋だ。
ドアホンを鳴らすと、男の声がした。
「緑葉女学館生徒会の菅原です。六花さんのお見舞いにきたのですが」
「お見舞い……? ちょっと待ってください」
すぐにドアが開いて、中学生ぐらいの男の子が姿を見せた。団さんには兄と弟がいると聞いている。
「こんにちは。弟さんですか?」
「はい」
「お姉さんの具合はどうです?」
「え? 姉貴は今朝ちゃんと学校に行ったはずだけど……来てないんですか?」
「ええっ!?」
私は確かに病欠の連絡を受け取ったと説明したが、弟さん曰く朝は別に変わった様子もなかったし、いつも通り家を出たという。
とてつもない不安が頭をよぎった。まさか……いや、絶対にあってはならないことだ。
「あいつ、どこにいるんだ」
古川さんが私より早くスマートフォンを取り出して、電話をかけた。
出ないだろうと思っていたがつながったらしく、古川さんは第一声で怒鳴りつけた。
「お前、どこにいるんだよ!」
「古川さん! 落ち着いて」
古川さんは声のトーンを落とした。
「悪かった、大声だして……公園? どこの公園よ。大手門公園? 結構近くにいんだな」
桃川駅の西側には桃川城というお城があり、その隣には大手門公園という観光名所がある。遠いところに行っていなくてとりあえずは良かったが、自宅近くにいるのは意外だった。
「うん、うん……すがちーか? いるぞ」
古川さんがスマートフォンを差し出す。
「お前と代わってくれって」
私は受け取った。
「もしもし?」
『菅原さん? 本当にごめん、心配かけて……』
「ううん。無事だったら良いの。学校に行かずに今まで何してたの?」
『レン君と一緒にいた』
「え!? レンく……狩野さんと?」
団さん、相当ショックを受けていたしまさか学校をサボってまで狩野さんと直接会うことなんか少しも想定していなかった。
とにかく、桃川駅で落ち合おうということになった。
*
セーラー服から打って変わり、黒い男物の服に身を包んだ狩野さんは美少年にしか見えなかった。初めて生で見た古川さんは「うひょー」と失礼にも変な声を上げたが、大概の女子は「うひょー」な気分になってもおかしくないだろう。
「六花さんを連れ出して、申し訳ありませんでした」
狩野さんは、謝罪のお辞儀とされる70°の角度まで頭を下げた。
「どうしても六花さんと話がしたくて僕が無理やり誘ったんです。六花さんを責めないでください」
「あの、私たちは怒っているわけではないんです。ね?」
「お、おう」
私は古川さんがまた怒り出さないように牽制した。
「ただ、団さんの身に何かあったらと心配してただけで。とりあえず、落ち着いたところで話をしましょう」
私たちは駅ビルの中にあるスターバックスに立ち寄った。客が多いから落ち着けるかと言われたら微妙だけど、雑踏の中で立ち話するよりはマシだ。
コーヒーを飲みながら二人から話を聞いて、経緯を最初から整理してみる。団さんはひょんなことから狩野さんと会い、連絡先を交換した。この時狩野さんは高校生だということは教えたのだが、どういうわけか学校名を名乗らず、それで団さんはずーっと男子だと思い込んでいたのだ。で、団さんも学校名は教えず、それでいてメッセージは今日何をやったとか趣味のことだとかは頻繁にやり取りしていたらしい。だいぶチグハグなことを二人はやっていた。
「生徒会の手伝いをしているとは聞いてましたが、まさか緑葉さんの生徒会とは知りませんでした」
「団六花、何で教えてあげなかったんだよ?」
「だって、深緑色のジャンパースカートといえば緑葉って言うぐらいだし、知ってると思ってたもん」
「恥ずかしながら、僕が緑葉女学館という女子校があることを知ったのは生徒会の方から連絡を受けた時なんです。僕、この辺の生まれではありませんから」
事情はわかる。緑葉の近所に引っ越した私ですら、初めは緑葉のことを全く知らなかったのだから。
「なるほど。ですが狩野さんがもし、麗泉女学院に通っている女子高生であることを教えてあげれば、誤解を生じることもなかったわけですよね」
「ええ。僕の性格のせいで六花さんを騙してしまうような形になってしまい、すみませんでした」
「教えなかったのは何か理由があるんですか?」
狩野さんは渋面を作った。
「僕、実は自分の学校が嫌いなんですよ。名乗るのも嫌なぐらいに」
「? どういうことですか?」
団さんが代わりに答えた。
「それは、私の口から話していい? レン君」
「うん」
麗泉女学院に通う生徒はいずれも名だたる家の生まればかりで、狩野さんの実家も旧華族系であり東証一部上場企業を運営している名家とのことだった。そして狩野さんは卒業後、業務提携を結んでいる大企業の社長の子息と結婚することになっていた。いわゆる許嫁である。
狩野さんに限らず、麗泉女学院の生徒のほとんどは在学中に親によって結婚相手を決められてしまうらしい。大昔の女学校ではよくあることだったらしいが、いまだにその風習が残っているのにはびっくりさせられた。
「本人の意志に反して親の都合で遠い地の学校にに入れられて、将来も決められしまって、話を聞いてたら本当に可哀想だと思ったよ」
団さんは涙目になって鼻をすすった。
「外出も土曜日しか許されていなくて、その土曜日も馬術部の活動に当てる日が多くて、私と出会ったのはたまたま自由な時間があった時だったの」
「そのたまたまが無ければ団さん、どうなっていたかわからなかったよね」
「うん。命の恩人だし、一晩過ごしたら頭が冷えて、やっぱちゃんと会って話し合いをして、お礼もしようと思ったの。そしたらレン君の方から連絡してきてくれて」
「話し合いをしたんだよね。どう、良い方向に解決できた?」
「うん。これからも友達付き合いしようね、って」
団さんは笑顔を見せた。だけど目元は、口程に笑っていないような気がした。
「僕、六花さんと出会えて本当に良かったと思っています。窮屈で鬱屈した学校生活もこの子のおかげで乗り切れそうです」
「レン君、褒めすぎ」
団さんははにかんだ。
「ところで狩野さん、話は変わりますが、馬の件で会長からOKが出ましたよ。来週、正式に学校まで連絡が行くと思います」
「え、そうなんですか。正直言って本当に許可を出すとは思っていませんでした。でも会長さんが良くても学校はダメじゃないですか?」
「我が校の校風は自由闊達・自主創造です。法に違反しない限り、生徒のやることに干渉しない主義なんです」
「何でもありの学校なんですね……」
「はい、良くも悪くもですが」
団さんが続けた。
「特にウチの生徒会長はいろんな意味で凄いんだよ。会ってみたらわかるけど。いろんな意味で凄いんだから」
含みのある表現の繰り返しに、私はつい吹き出しそうになる。
「へー、どんな人だろうなあ」
コーヒー代は狩野さんがお詫び料として、全部出してくれた。
*
「また、文化祭の日に来られることをお待ちしておりますので。愛宕会長にもよろしくお伝え下さい」
「楽しみに待っていますよ」
狩野さんは手を振って、麗泉方面に向かうバスに乗って帰っていった。
三人切りになったところで、古川さんはずっと手にしていたビニール袋を団さんに渡した。
「河邑家で取れた柿。こいつを家族に渡してズル休みしたことをちゃんと詫びとけよ」
「わかった。ありがとう」
狩野さんがいたせいだろうけど、スタバでの古川さんはほとんど何も話さず、不気味なぐらいに大人しかった。その彼女が真剣な面持ちで、団さんに語りかける。
「お前、本音ではどうなんだ?」
「本音、って?」
「狩野さんと、友達のままで終わって良いのかってことだよ」
団さんは苦笑いを浮かべた。
「あのね、レン君って言っても女の人なんだよ?」
「つっても、今でも好きでしょうがないんだろ? 口で否定しても私にはわかるからな。お前、ウソついたら鼻の穴がヒクヒク動くし」
「えっ!」
団さんは慌てて鼻を押さえた。すると古川さんは今までと打って変わって、大爆笑したのである。
「ウソに決まってんだろ、バーカバーカ」
「なっ、騙したの!?」
古川さんは団さんに蹴りを入れられても笑いっぱなしだった。団さんは開き直って、ヤケクソ気味に吠えた。
「そうだよ! レン君のこと今でも大好きだよ! だけどどうしていいのか自分でもわかんないの! だって、だって……」
通りすがりの人たちが私たちの方を振り返るが、団さんの熱のこもった吐露が恥ずかしいと思う感情を打ち消す。
古川さんは団さんの肩の上に力強く手を置いた。
「月並みなこと言うけど、性別なんか関係ねえべ?」
古川さんからは、有無を言わせない迫力がにじみ出ている。彼女はたまにまともなことを口にするが、今がその時だった。
「文化祭の日に思い切って攻めてみろよ。骨はすがちーと茶川と一緒に拾ってやるから、な?」
「古川さん……」
団さんの目に、みるみると活力的な輝きが満ちていく。
「そうだよね。好きという気持ちを性別で否定しちゃいけないよね。私、清水寺の舞台から飛び降りるつもりでアタックしてみるよ!」
「よーし。上手くいったら祝勝会やろうぜ! こいつの奢りで」
古川さんが親指で私を指さした。
「何で私だけが……」
「ごちそうさまです!」
団さんは私に手を合わせた。ふざけているのではなく、絶対に成功してやる、という意思表示として私は受け取った。
とにかくこれで、団さんが元通りなってひと安心だ。
「ごちそうさまです!」
「古川さんもお金出しなさい」
私は便乗して手を合わせる古川さんのおでこを突っついてやった。
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