ブレイクタイム

 昼休憩の時間。弁当は食堂を運営している業者が作ったものが用意される。保護者や招待客にも同じ弁当が用意され、生徒たちから予め配られていた引換券を使って受け取ると適当な場所を見繕って生徒たちと一緒に食事を始めた。


 大半がグラウンドの隣にある芝生の広場に移動して食事を取っていたが、私はスタンドで茶川家のみなさんと一緒になった。


「千秋さん、足速かったですよね~。私も思わず動画撮っちゃった」

「もういつ抜かれるかと思ってヒヤヒヤしたけど、うちの娘がこんなに根性あるとは思わなかったわ~」


 茶川さんの母、百合子さんと私の母さんはすっかりママ友の間柄になっている。一方、父さんの方もやはり茶川さんの祖父である慎太郎さん、父親の慎一郎さんと一緒に話に花を咲かせていた。


「へえ、大学で日本史の教授を!?」

「ははは、そんなに大した研究はしていませんよ」

「いやいや、学者は誰しもが憧れる職業でそれで食べていけるのは立派ですぜ。どうです、お近づきの印に一杯、つってもノンアルコールですがね」

「頂きます」


 ノンアルコールビールの缶のプルタブが開けられるとプシュッ、という音がした。実は一度だけ飲ませてもらったことがあるけれど、苦いだけで何が美味しいのか良くわからなかった。アルコールが入っていたらまた違うのだろうけれど、飲んで確かめられるまではあと四年待たなくちゃいけない。


「……塩サバ、やろうか」

「……ありがとう」


 慎一郎さんが塩サバを一つ、娘の弁当箱に移す。百合子さんはちょっと呆れた感じで、


「二人とも、こういう時ぐらいもうちょっと愛想よくしたら?」

「……」

「……」


 それでも二人の顔のパーツはどれもぴくりとも動かない。百合子さんは何とかしゃべらせようとしてか、


「陽菜、次は何の競技に出るの?」

「……部活対抗リレー」

「部活対抗リレー……ああ、午後の部の一番最初にやるやつね。科学部を代表して頑張らないとね」

「……違う。生徒会チームで出る」

「え、生徒会も出るんだ。てことは千秋さんと一緒だね」

「……それも違う」

「?」


 言葉足らずで終わるものだから、百合子さんが首をかしげている。ということで私が代わりに説明した。


「生徒会は二チームに分かれての出場で、私と陽菜さんは別チームなんです。でも一緒に第三走者で走ることになります」

「へー! じゃあどっちも応援しなきゃ!」

「……負けない」


 茶川さんはボソっと口を動かした。母親に聞こえていたかどうかはわからない小さな声だったが、私にははっきりと「負けない」と聞こえていた。


 茶川さんに意識されているという事実。それは私のやる気をさらに燃やす燃料になった。


「私も負けないよ」

「……うん」


 お互いに健闘を祈る中で、「お邪魔しまーす」という呑気な声が私たちに向けられた。


 宮崎杏樹さん。私のクラスメートで報道部写真班に所属するカメラマン、いやカメラガールが高級カメラを手にして立っていた。


「おー、珍しい組み合わせだね。いや生徒会どうしだからそうでもないか」

「まさか食事中の写真を撮るつもり?」

「そう! 一番良い写真は『突撃!あの子の昼ごはん』のタイトルで来月の『GLタイムス』に載せてあげるからね。あ、お父様お母様方もご一緒にどうぞ」


 撮っていいか、と聞きもせずシャッターを切り出す宮崎さん。


「そのでっかいエビフライを口に持っていってくれる?」

「しょうがないなあ」


 私はエビフライをつまんで、かぶりつく仕草をしてあげたら「おおーいいねいいね!」と、これまたいろんな角度からカシャカシャとやるのだった。


「一家団らん仲良く、って感じの良い写真が撮れたよ! お礼に取っておきの秘蔵写真を見せてあげる!」


 宮崎さんは何やらボタンをいじってから、カメラのモニターを私たちに見せてきた。


「!! あはははははは!! な、何これ!!」


 本当に腹がよじれるぐらいのネタだった。頭に深緑色のボンボンをつけた小さい女の子にチョークスリーパーをかけられて、苦しそうに白目をひん剥いて舌を突き出している古川さんの変顔を見て笑わない人間などいようか。茶川さんは表情こそ変わらなかったものの、「ふふんっ」と鼻だけで笑っていた。


「この女の子ね、うらんちゃんって言うんだけど河邑先輩の親戚で今小学六年生だって。来年緑葉に進学するらしいよ」

「あー、聞いたことがあるけどこの子か。確かに河邑先輩に似てる」


 しかし口では笑って目は座ったままで古川さんの首をシメるという、そのサディスティックさは今津会長の方に似ている。なぜ古川さんを攻撃しているのかわからないが、長期休暇中は河邑先輩と一緒に過ごしている以上、顔を合わせる機会があってもおかしくない。そのたびに多分「お姉ちゃん」を巡ってバトルになっているとかあり得る話だ。これはいろんな意味で来年が騒がしくなりそうだ。


「こういうのもあるよ」


 次に見せられた写真は今津会長だったが、隣にいる眼鏡の女の子と一緒に不敵な笑みとともに中指を立てていた。会長はサングラスをかけている分、余計に悪そうに見える。


「これは新聞に載せちゃダメでしょー」

「だから『秘蔵』にするの。で、この子の正体は会長の妹さん。公立中学校に通ってるけど見た目そっくりでしょ。性格もそっくりだよ」


 パワフルな人間が家の中に二人もいたら親御さんは大変じゃないかな、と失礼なことを考えてしまった。


「はい、無料サンプルはここまで。ここから先は有料でーす。見たかったら一枚あたり百円かジュース一本で見せてあげる。ムフフな写真もいっぱいあるから声かけてね。んじゃ!」


 宮崎さんは敬礼のポーズをして、別の家族のところに向かっていった。


「ムフフな写真て……」

「……ころも、ほっぺについてる」

「え?」


 茶川さんが言っていることが一瞬わからなかったが、ころもというのはエビフライの衣のことだとすぐに気づいた。撮影でポーズをとる時になんかの拍子でついてしまったのだろう。


 私が右頬を触ったら、茶川さんは首を横に振った。


「……こっち」

「あ」


 茶川さんは左頬に手を伸ばして、指についた衣をぺろり、と舐め取った。すると、


 カシャカシャカシャカシャ!


「うっわー、すっごいエロいのが撮れた。こいつは一枚千円の価値があるわ」


 今しがた別の家族のところに行ったはずの宮崎さんが、下卑た笑いを浮かべていた。


「……消して」

「消して!」


 私は茶川さんの思いを三倍ぐらいの音量で伝えたのだけれど、宮崎さんには全く届かなかった。


「やだねー」


 舌をべーっと突き出して、今度こそどこかに行ってしまった。


「もう、不意打ちみたいなことして……ごめんね茶川さん」

「……しょうがない」


 茶川さんは半ば諦めの境地に達したようだった。


「千秋、これも大切な思い出の一つよ」


 そう言う私の母さんはニコニコしているものだから、腹立たしい感情もにわかに鎮静化した。仕方ない、そういうことにしておこう。


 *


 昼休みも残り二十分というところで葛西先輩と矢島先輩が『菜々とあなねのKYラジオin市営グラウンド公開生放送』と称し、体育祭あるあるトークを始めた。疲労に加えて、お昼ご飯を食べて眠気が襲ってきている中での軽妙洒脱なトークは良い眠気覚ましだ。


『ここでお知らせです。明日八日は日曜ですが、正午から学校の食堂で体育祭実行委員会解散式を行います。生徒会、体育祭実行委員以外の生徒も飛び入り参加自由ってことなので皆さんお誘いの上参加してみてくださーい』

『菜々ちゃん、これって要するに打ち上げだよね?』

『そだよー。ヒャッハー! 明日まで待てねえ! って人は今晩にでもアンオフィシャルな打ち上げをやると思うけどね。特に六年生の先輩たちは大騒ぎするだけしてね、明日からまた現実に打ちひしがれて泣きながら問題集を解きまくるんだよね。ああ、辛いよねー』

『他人事みたい意地悪なこと言ってるけど、菜々ちゃんも来年同じ立場になるんだからね?』

『私? 私は早めにAO入試受けてみんながヒーヒー言ってる中高みの見物決める予定だから』

『うわ、サイテー。センセー、菜々ちゃんの評点をがっつり落としてあげてくださーい』

『おい、そんなことしたら呪うぞ! 私これでも般若心経を暗唱できるんだからね! かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー』

『お経を呪いに使うな!』



「じゃあ、これも葛西菜々あいつの呪いかあ?」


 今津会長が引きつった顔になったのも無理はない。先程部活対抗リレーの組み合わせが決まったのだが、掲示板に貼られた組み合わせの内容、生徒会が出場する一番最後の第五競走がこのようなメンツになっていたからだ。



 第一レーン:美術部

 第二レーン:生徒会(今津チーム)

 第三レーン:フェンシング部

 第四レーン:生徒会(高倉チーム)

 第五レーン:コンピューター部

 第六レーン:教員チーム



 生徒会は美術部と、現在は和解したとはいえ揉めた経緯がある。


 生徒会はコンピューター部とも、予算使い込み疑惑で一悶着起こしかけた経緯がある。


 美術部はコンピューター部と昨年の予算会議で大喧嘩して、活動停止の遠因を作った。


 事情を知っている人間からすれば、いろんな意味で盛り上がる競走になるだろう。


 加えて、全国大会優勝を決めて緑葉女学館の華の部活となったフェンシング部。そしてゲスト参加的扱いの教員たち。見応えがあり過ぎる組み合わせだ。


「あれ? リレーは四人だろ。フェンシング部は今、真矢パイセンが抜けて三人しか部員がいないのにどうすんだ?」


 と、古川さんが疑問を投げかけた。


「特例で参加するって今さっきちらっと聞いた。多分アンカーで出るだろうね」


 私が答えたら「うわー、こりゃやり辛れえなあ」と古川さんはうめいた。


「だって御大が空気読んで一着を譲るとは思えないし」

「当たり前だ。忖度レースで勝ったって真矢先輩が喜ぶわけないだろう。美和ちゃんごとブッちぎって圧勝してやんよ」

「陽子、体育の競走で私に勝ったことが一度もないのに」

「バーカ、今日初めて勝つんだよ!」


 会長は美和先輩のツッコミに対して強引な答えを返した。でも前のランナーである茶川さんが私より先にバトンを渡したら、会長が逃げ切りで美和先輩に勝てる可能性はある。


 でも、私は茶川さんに勝つつもりで挑む。


 掲示板を眺めている茶川さんに目をやる。すると彼女はふいにこちらを向いてきた。彼女は表情はやはり変わっていなかったけれど、瞳の中には確かに燃えるものがあった。

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