アウト・オブ・ザ・トンネル

「なかなか良い面構えをしてやがる」


 今津会長が嬉しそうにスマートフォンで「顔」を写真に収めるもんだから、私はつい声を荒げた。


「ちょ、ちょっと! 何してるんですか! 呪われますよ!」

「ハハハ、こんなのタダのシミだろう」


 三つの点があれば顔に見えるとはいうけれど、壁の点は五つあってそれぞれ両目と二つの鼻の穴と口にしか見えないのだ。偶然の産物にしては出来すぎている。


「後ですがちーのスマホにも送りつけてやろう」

「いりません!」


 きっぱりと拒絶した。


「こんなのまだまだ序の口でしょうね。この先、もっと良いものが見られますよ」


 狐塚先輩も何だか嬉しそうだ。私はちっとも嬉しくないのだが。


 だいぶ長い間歩いたように思えるけど、自分のスマートフォンで時計を確認したらまだ十分ぐらいしか経っていない。出口の光もまだ見えてこない。


 そして例のカーブに差し掛かった。左曲がりになっているが、仮に真っ直ぐ進めば女学生たちの心中現場の真下にたどり着くと言う。天井には県境を示す標識が吊り下げられていた。


「何か嫌な気分がする~……」


 唐突に朝永さんが口にした。


「朝永さんってこういうの平気じゃないの?」

「平気だよぉ。でも怖いんじゃなくて、何だろう、モヤモヤしてるみたいな? いろんな心霊スポットに行ったけどこんな嫌な気分になったのは初めてよ」

「それって、霊感ってやつかな」

「霊感は強くない方なんだけどねぇ」


 私も朝永さんが伝染したようで、変な不快感を覚えだした。


「私もよ」


 と、河邑先輩。


「本当は足を踏み入れるべきではない場所に踏み入れているという不謹慎なことをしているのだし、亡くなった女学生たちの立場にしてみれば良い気分ではないわね」

「一理ありますね。土足で家に上がり込んでいるようなものですもんね。怒って祟りを起こしてもおかしくないかもしれません」


 しかし下敷領先輩がいやいや、と反論を始めた。


「勝手に山に入って勝手に心中したのに、そのツケを何で後世の人間が払わなきゃいけないんだ」

「本当に心中したのなら、ね」

「ん? どういうことだ?」

「これ、ひいばあちゃんから聞いたのだけれどね。実はは親に殺されたって説もあるの」

「ええっ……」

「ふむ。それは初耳です。詳しく聞かせてください」


 狐塚先輩が興味を示した。


「ひいばあちゃんの後輩に事件を再調査した物好きな生徒がいて、その結果『駅で電車を待っている女学生らしき二人組を見た』という人がいたらしいんです」

「ここからずっと北側にある北山きたやま線の駅でしょうか?」

「ええ」


 北山線というのは桃川市と県北部最大の都市である北山市を結ぶJRの鉄道路線だが、北の隣県まで延伸しているので南北の交通の要になっている。


「ですが、目撃された時間帯が事件が起きたとされる時間と三十分ほどの違いしかなかったんです。駅で追手に見つかったにしろ、走って紫雲山まで逃げられる距離ではありません。車でも使えば話は別ですが」

「女学生が車を運転できるはずがありませんものね。仮にそうだとしたら親の車に乗せられて山に連れて行かれて殺されたか、あるいは車中で殺されて山に捨てられたか……というところでしょうか」


 河邑先輩は首を縦に振った。


「おいおい、ホラー話が急にミステリーじみてきたな」


 今津会長が揶揄まじりに言った。


「でも、二人は亡くなった時に幸せそうに笑っていたんですよね?」


 私は狐塚先輩に質問する。


「私は『幸せそうに笑っていたそうです』とは言いましたが断定したわけではありません。この点だけは伝聞なのですから。もしかしたら苦悶の表情か、怒りの表情だったかもしれませんよ」

「よくよく考えたら、幸せそうに死んだなら成仏してなきゃおかしいよな。なのにいまだに出てきたり祟ったりするんだったら……やっぱ殺されたんじゃないか?」


 今津会長がもっともらしいことを言うから、空気が一気に重たくなった。


「こ、この推理は後でやりましょうか」

「そうだな。何だか喉乾いてきたし、早く道の駅に行こう」


 私達はカーブを早足で歩き過ごした。曲がりきった所に白く明るく点灯している箇所がある。そこは非常電話ボックスだった。


「ここも噂がありましてね。一人で自転車で走っていた人がいたんですが、突然電話が鳴り出しまして。不審に思って出たら女のすすり泣くような声が聞こえてきたというのです。慌てて電話を切って自転車を走らせましたが、後ろから女学生の霊が猛スピードで追いかけてきて……」

「ううっ、その先は聞きたくないです……」


 私はすっかり怯えきっていた。しかしその時、


 


――ジリリリリリリリン!!




「きゃあああっ!!」「うわあああっ!!」


 聞いてはいけない音を聞いてしまい、驚き叫んだのは私だけじゃなかった。朝永さんですらビビって狐塚先輩に抱きついたぐらいだった。動じなかったのは狐塚先輩と今津会長だけである。


 今津会長が頭を掻いた。


「おー、すまんすまん。昨日昼寝した時にセットしたアラームを解除し忘れてた」


 スマートフォンを操作したら、ベル音がぴったりと鳴り止んだ。「顔」の呪いじゃなかったにしろ、どれだけ寿命が縮んだか。


「ちょっ、てめーマジふざけんなし!」


 古川さんが怒り出した。敬語を使うのも忘れているぐらいだから本気で怒っているようだ。これは会長のグリグリお仕置きコースだと思っていたら、何と河邑先輩が古川さんの足をグリグリしていた。


「あだだだだっ!」

「あんたね、先輩に向かって『てめー』はないでしょ。謝りなさい!」

「すみません、すみませんでした!」


 河邑先輩に謝っているのか会長に謝っているのかわからないが、この場は収まった。これで私が知る限り古川さんに手を上げてないのは下敷領先輩だけだ。


「ちくしょー、カワムーのせいでグリグリしそこねた」

「しなくていいから。早く行きましょう」


 ちょっと進んだところで、また会長が何か見つけたようだ。


「おうおう、こりゃシャレにならんぜ……」


 そこには誰かがまだ供えたばかりであろう、カップ酒の空き瓶に生けられた新鮮な花とペットボトル飲料が置かれていたのである。


「あー、ここが開通直後に玉突き事故を起こした現場ですよ。遺族の方が置いたのでしょうか? まだ事故を忘れていない方がいらっしゃるんですね」


 私はもうここにいてはいけない気がした。怖いからではない。このトンネルで命を落としたのは女学生たちだけじゃない。その人たちを弄ぶような行為をしているのに耐えられなかった。


「手を合わせましょうか」


 私が申し出ると、みんな何も言わず花に向かって、事故で亡くなられた方の霊に対して合掌した。それからは無言で、早足で歩いた。先の方にようやく光の差し込む出口が見えた時は、足の動きがまるで競歩のようになっていた。そうして外に出ると、言いようもない安堵感に包まれたのだった。


「ようやく終わりましたね……」

「う~ん、外の空気がこんなに美味いもんだとは思わなかった」


 全く、今津会長の言う通りだ。きつい陽射しですら心地よく感じられる。


 左手には廃工場があった。もう稼働していないと断定できたのは外観がボロボロで人気が全く無かったからだ。ここも何かが出そうな雰囲気がある。そして右手には目的地である道の駅が。


 ようやく人心地がつけると思った矢先、異変に気づいたのは下敷領先輩だった。


「あれ、バスはどこだ……?」


 駐車場にはトラックと普通自動車の姿をまばらに見かけるが、私達が乗ってきたマイクロバスの姿がそこにはなかったのである。


「おいおい、こんな演出いらねーって」


 古川さんが乾いた笑いを含んで言うと、朝永さんは首を振った。


「鈴音は何も知らないよ……」


 顔はすっかり青ざめている。本当に何も知らないらしい。


「ってことは……置き去り!?」

「とりあえず、電話してみます」


 狐塚先輩はいたって冷静だったが、私達は冷静でいられなかった。


「まさか女学生の霊の仕業じゃ……」

「ん、んなわけないだろ団六花。バス会社とのやり取りで行き違いがあったに決まってる。うん、絶対にそうだ」

「古川さん、めっちゃ声震えてるよ」

「そういうすがちーだって……」


 すると今津会長が大きなため息をついてこう言った。


「とにかく、道の駅で冷たいモンでも飲んで落ち着こうや。どの道バス会社に連絡したらわかることなんだから」


 これが、現状でできる行動の中で最適解だろう。会長が一番冷静だ。


 だがしかしその時。


「う゛お゛お゛お゛お゛……」


 廃工場から聞こえてきた低いうめき声。見るとそこには、白い死に装束に顔がすっぽり隠れてしまう程の長髪の人間。そう、『リング』に出てくる貞子みたいなのが佇んでいたのである。


 その貞子が早歩きで私達に突進してきた!


「う゛お゛お゛お゛お゛!」

「きゃあああ!!」「出たあああ!!」「ひええええ!!」


 私達はたちまちパニックに陥って、蜘蛛の子を散らすように逃走した。


「あ、あ……」

「朝永さーん!」


 朝永さんは腰が抜けたのか、道路にへたりこんでしまっている。貞子が彼女に狙いを定めたようで、一直線に向かっていく。私はなけなしの勇気を振り絞り、心の中で念仏を唱えながら朝永さんを救出に向かおうとした。だけど狐塚先輩が押し止める。


「朝永さんは私に任せて、あなたは逃げてください!」

「先輩!」

 

 のっそりとした見た目とは裏腹に、機敏な動きで朝永さんの元に駆け寄っていく。しかしそこにもう一つの人影が、貞子めがけて突っ込んでいった。今津陽子会長である。


「これでも喰らえ!」


 会長は果敢にも貞子に足払いをかけた。貞子の体は宙を舞い、綺麗に一回転して腹からアスファルトに落下し、「ぐふ!」と呻く。


 すると何ということだろう。弾みで、髪がスポンと抜け落ちたのだ。中からは夏の太陽を浴びてテカテカと輝く禿頭が……。


「え、カツラ!?」

「やっぱりな。幽霊にしちゃ何かリアリティあり過ぎて変だなと思ったんだよ」

「うう……」


 禿頭が顔を上げると、その正体は何とバスの運転手だった。みんなは正体が幽霊でないとわかるや逃げるのをやめて、逆に運転手を取り囲んで非難の声を上げた。


「これは一体どういうことですか!」

「いや、その……」


 運転手は狐塚先輩をチラチラと見ている。先輩は眉毛をハの字にして、重たそうに口を開いた。


「申し訳ありませんでした。全て私が仕組んだことです」

「先輩が!?」

「本当は、幽霊退治の役は私がやる予定だったんですが……」


 私が何のために、と言う前に先輩は運転手に手を差し出し、何やら手紙のようなものを受け取った。


「どさくさに紛れて渡すつもりでしたが、もうここで読んでしまいますね」


 狐塚先輩は咳払いをした。


「朝永鈴音さんへ。あなたが超常現象研究同好会に入ってきた時、私が言うのもおかしいのですがちょっと変わった子だなと思いました。だけどあなたの独特の雰囲気は私にとって何よりの癒やしになりました。恋をしているのだと自覚するには時間はかかりませんでした」


 私達はポカーンと、口を開けた。


「あなたと活動するたびに想いは募っていきましたが、そのことを告げられずとうとう引退の日になってしまいました。だけど私は今日、勇気を出して伝えます。『あなたを愛しています』と。もう卒業が間近という時になって何を今更と思うかもしれません。だけどこんな根暗な私でも良ければ付き合っていただけませんか」


 みんな、何とも言えない目で狐塚先輩を見ている。多分、この心霊ツアーは最初から朝永さんに告白するための仕込みだったのだろう。じゃあ何も私達を巻き込まず二人きりで行けば良かったんじゃないか、と思う私は果たして意地悪なのだろうか。


 しかしそんな私の考えをよそに、朝永さんは目から滝のように涙を流しはじめた。それは朝永さんの片想いの相手が誰なのかという疑問の答えに他ならない。


「じ……実は私も先輩の何を考えているのかわからない感じがたまらなく好きでした!」

「朝永さん……」

「先輩……」


 二人はひし、と抱き合った。運転手さんだけが拍手して恋の成就を讃えたが、この微妙な空気はいかんともしがたいものがあった。


 *


「ホラーにミステリーと来て最後は恋愛劇で終わって、マジふざけんなって感じだよ」


 会長が毒を吐きながらアイスティーをストローでかきまぜる。私達は清和駅前のカフェでお茶し直していたのだが、狐塚先輩と朝永さんのカップルだけは先に帰ってしまった。彼女たちがこの場にいないのを良いことにツアーに対する愚痴がバンバン飛び出る。


「みんなごめんなさい。狐塚先輩のアレは想定外だったわ……」


 誘いの声をかけた河邑先輩が謝った。私はすかさず「先輩は何も悪くないです」とフォローする。


「事故みたいなものですから仕方ないですよ。ところで、何で狐塚先輩は河邑先輩に声をかけてきたんでしょうね。接点がよくわからないんですが」

「『緑葉女学館七不思議』の一つ『裏山の不気味な呻き声』の正体を突き止めたって言ってたでしょう? あれに私が一枚噛んでたからよ。裏山に関する資料を持ってたから見せてあげたの。私も実は裏山での心中事件はウソだって前からわかってたけど、七不思議は郷土研究のテーマにそぐわないし、狐塚先輩が発表した方が良いと思ってね」

「そうだったんですか」

「先輩も歴史に興味がある、って言ってたけど日ユ同祖論とかレイラインとか、眉唾ものオカルティックな話ばっかするのよ。やたら目を輝かせて」


 何のことだかさっぱりだ。でもきっと、朝永さんにだって生き生きとした目つきでそんな話をしていたに違いない。それが朝永さんにとって魅力的に映ったのかな、と思う。私には理解しがたいけれど。


「お、何か茶川が発狂してやがる」


 古川さんがスマートフォンを取り出した。


「帰りのバスで狐塚先輩と朝永がイチャついてるところを盗撮してやった。で、茶川に送ったら『おまえふざけるなばかあほしね』って返ってきた。何キレてんだあいつ?」


 LINEのメッセージを私達に見せつける。そして、画像の中に見てはいけないものを見てしまった。


「ふ、ふ、古川さん……これ、ヤバイやつだよ……」

「ケッ、無防備なのが悪いんだ」

「いや、そうじゃなくて……」


 肩を抱き寄せて幸せそうにくっつきあっている狐塚先輩と朝永さん。しかしバスの窓から、彼女たちをニッコリと笑って覗き込んでいる二つの女の子の顔が映っていたのだ。


 バスは人気のない道を走行していたにも関わらず。

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