メグと姉ちゃん
河邑家は代々女系家族ということを知った。撫子の母、桜子さんの妹の松美さんは家を離れて大阪に住み、そこで私と同じ名前である
また、河邑家の女性は緑葉女学館に進学するのが習わしのようになっている。恵もまた緑葉への進学を決めていて、小学校を卒業した後に河邑家に住んでそこから通うはずだった。しかし卒業式の前日に、恵は交通事故で突然この世を去ったのである。
撫子は唐突の死に打ちひしがれてしばらくはまともに通学も出来なかったという。しかし緑葉の模範生として、河邑家の未来の当主として振る舞わねばならないという使命感が再び学び舎に足を運ばせた。それでも喪失感は簡単に埋められるわけがなく、周りからは芯の強い女子だと褒められていたものの、実情はただ勉強してただ家に帰るという空虚な学校生活を過ごしているだけだった。
そこに現れたのが私、古川恵という後輩だった。体育祭の練習で見かけた時の第一印象は良くなかったけれど、飼い犬のいたずらが運命じみた出会いを与えてくれた。
「天国にいるいとこが引き合わせてくれたのかもしれないわね」
と口癖のように言っていたし、私も同じく天国にいる母が撫子に引き合わせてくれたのかもしれないと思っていた。
出会ったその日から私は撫子と二人で行動することが多くなり、少しずつ本来の自分を出せるようになった。そうすると今まで敬遠していた同級生も近寄ってくるようになって、会話をすることが多くなった。真っ暗闇の学校生活に、わずかながら日が射し込んでいくのを感じた。
また、撫子にも変化が現れた。いとこの死以降、顔を出さなかった郷土研究会に再び参加するようになったのだ。そのついでにどの部活にも、委員会にも所属していなかった私を無理やり誘ってきたが、たまたま顔を出していた研究会のOGに「お宝を見つけられたら大金持ちになれるかもよ」という甘い言葉で誘われて即入部を決めてしまった。
そして冬休みに入る前のこと。郷土研究会の部室で白沢市で見つかった数々の古墳の資料を読んでいた私は酷く陰鬱な気分になっていて、撫子に心配された。
「どうしたの?」
「家に帰りたくないんです」
撫子に学校ではきちんと先輩後輩のけじめをつけるようにと言われていたから、敬語で答えた。
家庭事情はすでに撫子の知るところだった。夏休み、閉寮に伴って仕方なく帰省した時は継母に相手にされなかったのは当然ながら、父親も仕事で全くと言っていいほど構ってくれなかった。まるで古川恵という人間が端からこの世に存在しなかったかのような仕打ちは私の心の傷をさらに深く抉った。
撫子は言った。
「じゃあ帰らなきゃいいじゃない。私の家で過ごせばいいわ」
「え、そんなの悪いよ……いや、悪いですよ」
「下着を洗ってあげたぐらいなんだし、一緒に住むぐらい何てことないわよ」
お漏らししたことを思い出してしまった私の頬がカーッと熱くなった。
「冬休みは私の家! これは先輩命令です。いいわね?」
「はい……」
私はただただ、うなずくしかなかった。
そして迎えた冬休み。撫子は私を快く迎え入れてくれた。最初はかしこまっていた私だったが、撫子と家族の歓待を受けて緊張感が和らいでいった。そのタイミングで撫子が言い出した。
「前から思ってたけど、髪をどうにかした方がいいわね」
ひとつ結びにしているだけの髪が、伸び切ってボサボサになっていた。
「うーん、今まで伸びたら自分で切ってたけど暇が無かったんだよな……」
「よし、おばあちゃんが切ってあげよう!」
そう言い出したのは撫子の祖母、梅乃さんである。
「わたしゃこれでも美容師免許を持ってるからね。いつも撫子の髪を切ってあげてんのよ」
撫子の前髪はキチッと切り揃えられ、清潔感で溢れている。腕前は確かなのは明らかだったから、私は「お願いします」と返事した。
早速、居間の一角が即席の美容室となった。椅子に座り、カットクロスを着た私に梅乃さんが話しかける。
「どんな髪型にしたい?」
「えーと……パッと思いつかないですね。今まで髪型に気を使わなかったですから」
「じゃあ、思い切って短くしてみようかい?」
「短くですか?」
「年末だから、ここら辺でイメージをガラッと変えてみるのもいいかもしれないよ」
私には年末だからという理由がよくわからなかったが、今までの自分を変えることに前向きな気持ちになっていたから、「お願いします」と返事した。
「じゃ、はじめるよ」
梅乃さんは霧吹きで髪の毛に水を吹きかけた。はさみが入ってカットクロスに、畳の上に敷いた新聞紙に毛がハラリハラリと落ちていく。
数十分後。
「よしできた! これでどうだい?」
手鏡を渡された私は自分の顔を覗き込む。途端に、もう何年もの間忘れていた笑いがこみ上げてきた。
「あはははははは!!」
「お、おおう。どうしたんだい?」
髪切りが終わるまで席を外していた撫子が居間に入ってきた。
「何? 何笑ってんの?」
「キ、キノコっぽくて……あはははは!!」
髪は耳にかかるところまで短めに切られ、前髪は撫子みたいに綺麗に切りそろえられている。しかし全体的な形がキノコの傘に見えて仕方なかったのだ。撫子も言われてみてキノコのように見えてしまったのか、思わず吹き出す。
「ありゃ、お気に召さなかったかねえ。ボブにしたつもりだったんだけど」
私は首を横に振った。
「いえ、逆ですよ。何だかこっちが私っぽい感じがします!」
撫子も首を縦に振る。
「私もこっちの方がいいと思うわ」
撫子が近寄って、私の頭に優しく触れた。髪の毛と一緒に忌々しい感情も切り落とされたかのようで、実にスッキリしていい気分になったものだった。
その晩、私は撫子と一緒の布団に潜った。撫子は何度も私のキノコ頭をさわさわとなでてきたけど、それが心地よくてなすがままになっていた。
「いとこと一緒に寝た時はいつもこうしてあげたの」
「私も、小さい頃はよく母ちゃんに頭をナデナデされてたっけなあ」
お互い見つめ合ってフフッ、と笑う。
「なあ撫子、これからは『母ちゃん』って呼んでいい?」
「か、母ちゃん!? あのねえ……一つ違いで母ちゃんはないでしょう? せめて『姉ちゃん』にしなさい」
「わかった。『姉ちゃん』」
「良い子ね、『メグ』」
撫子はかつてのいとこの呼び名で私のことを初めて呼ぶと、額と額をくっつけておやすみ、と囁いたのであった。
* * *
「……そして今年で義理の姉妹生活四年目ってわけだ。出来の悪い妹で苦労かけちまってるけどな、あははは!」
「自分で言ってりゃ世話ないわよ」
あっけらかんと笑う古川さんに河邑先輩は「ホントしょうがない子ねえ」と諦め気味に笑う。
最初は重たかった話も、最後は河邑先輩に救われたようでめでたしめでたし、と言ったところだ。二人の関係がはっきりして(ついでにキノコ頭の理由まで聞くことになろうと思わなかったが)、すっきり納得したのも何よりだ。
河邑先輩はプレッツェルを摘み取ると「一つ暴露話をするわね」と前置きしてから、
「私ってメグのことよく怒るでしょ? で、メグはその時はすみませんって謝るんだけど、後で絶対に喧嘩になるのよ」
「えっ!? そんなの一度も見たことも聞いたこともないですけど……」
「お互い家と寮に帰った後にLINEや電話で言い合いするの。終業式の日でも私がキレて退室したことで逆にボロクソに怒られたんだから。でも言うだけ言って一晩寝たら元通りになるのだけれどね」
姉妹喧嘩というか親子喧嘩みたいなものだろうと思う。私だって二人程ではないにしろ、父さん母さんと喧嘩したことはあるし感情はわかっているつもりだ。
「それだけ言い合えるぐらい、お互いを信頼しあってるてことですよね」
私の言葉に二人は笑った。
「でも古川さん、私思うんだけど、いっそのこと寮から出て河邑先輩の家にずっと住めばいいんじゃないの?」
「それは敢えてしない」
「何で?」
「寮費を余計に払わせて親に迷惑かけてやるって決めてるからな。金だけは腐るほどあるから痛くも痒くもないだろうけどよ」
馬鹿にしたように鼻で笑うも、顔は引きつっている。やっぱり、相当恨んでいるようだ。
「もっとも、向こうが縁切りしてくれって言ってくれれば話は別だけど。そん時は本気で河邑家に入って正式に撫子の妹になるつもりだから」
そう聞かされた河邑先輩の表情は嬉しいのか悲しいのか、曖昧な感じだった。
「あの、また気分悪くしたらごめんなさいなんだけど、もう両親とは会わないつもりなの?」
「まあな。でも向こうからはどういうわけか時々、いい加減に帰ってこい、ってメールが来やがるんだよ。で、間の悪い時に今朝それが来やがってイライラしてた時にすがちーに出くわして……ま、八つ当たりしちまったってわけだ。ほんとゴメンな」
「うん、そのことはもう気にしてないけど……」
けど、の続きとして「嫌なら着信拒否すればいいのに」と言おうとした。しかしこれ以上深入りしない方が賢明かもしれないと思って喉元のところでとどめた。そうしたが最後、実家とは完全に縁切りになるだろうし、きっと古川さんも本音ではそれを望んでないのだろう。私はそう思いたかった。
「ちなみにこのことは他のみんなは知ってるの?」
「知ってるつーか、察してるつーか。まあすがちーは緑葉に来て四ヶ月だし、四年間一緒だった他のメンツと一緒のようにわかれ、ってわけにいかないっしょ。何で帰らないのか不審がって当然だわ。要するに、すがちーは何も悪くない」
「そう言ってくれてありがとう。じゃ、和解の証として改めて」
「うん」
私がもう一度手を差し出すと、古川さんはぎゅっと強く握り返してくれた。
「菅原さんの対応に心からありがとう、と言わせて頂くわ。今後はこういうことが無いようにメグをビシバシ躾けていくからね」
「え~?」
「変な声だしてもダメ!」
夫婦漫才、いや姉妹漫才が微笑ましい光景に映る。
「ところで話はガラリと変わるけど。菅原さん、十九日の土曜日は空いてるかしら?」
「十九日ですか? はい、その日何も予定を入れていませんが」
「私、この前の歓迎会に出られなかったでしょ? その埋め合わせでちょっとしたところに連れて行ってあげたいの。同じく来られなかった今津さんと下敷領さんも呼んでね。もちろんこの子も一緒に」
先輩が古川さんの肩をちょっと強めに叩く。それは拒否権はないと言っているに等しかった。
「どこに行くんです?」
「追って知らせるわ」
どこかぶらりと遊びに行く程度だろうと思った私は気軽に「わかりました」と返事した。
そして時は流れて八月十九日。この日は今まで過ごしてきた夏休みの中で最も濃密な日になってしまったのである。なぜ「なってしまった」という表現なのか、それは次回以降で。
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