間章

それぞれの連休の過ごし方

【下敷領鈴の場合】


 桃川市営球場。最近になってネーミングライツ売却でサザンクロススタジアムなんて大層な名前に替えられたが(「サザンクロス」は桃川市にある人材派遣会社だ)古い球場に似合わないので私はいまだに市営球場呼ばわりしている。


 それはともかく、現在この球場ではソフトボールの社会人大会が行われている。ソフトボールといえば女子や子どものスポーツと思われがちだが、私が観戦しているのは男子の試合だ。女子の試合ではお目にかかれない豪速球がミットに吸い込まれていったり、弾き返されたりするたびに両軍のベンチから野太い掛け声が飛ぶ。


 監督命令で前期課程の子たちも含めて、ソフトボール部総出で試合の見学に連れて行ったはいいがレベルが高すぎてかえって参考にならないんじゃないかと思う。しかし質の悪いことにレポートを課されていたのでちゃんと見届けなければならない。


 ちなみに監督はインターハイ予選後の代替わりに伴って就任したばかりの、岡野という私の担任教師でもある。偏差値が高いからといって「シンキングソフトボール」を掲げて頭脳で勝つつもりらしいが、そもそも戦力が他校より乏しいという現実をどうにかして欲しい。後期課程チーム9人前期課程チーム11人で数はギリギリだし、グラウンドも狭いから環川の河川敷を使わざるを得ない。設備を揃える予算も少ない。生徒会会計の立場にある私だが、身内を贔屓ひいきして増額なんてことはできない。


 後期課程チームは実質的に私のワンマンチームになってしまっている。私が投げて私が打つのだが、ピッチングは他のチームメイトよりマシという程度なので恥ずかしながらよく打たれる。反面、打つ方は大の得意だ。予選では12点取られたが(私一人で取られたわけじゃないが)、私一人でホームラン2本を放ち6打点を上げてどうにかコールド負けは免れた。


 よくチームメイトから「他所の高校に行った方がもっと活躍できたんじゃない?」ってからかい混じりに言われるが、私はこのチームが好きだ。体育会系にありがちな先輩後輩間の理不尽な上下関係とは無縁で、ギスギスした雰囲気が全く無いからである。これは他校に勝るとも劣らない唯一の美点だろう。


 3回裏、後攻の大東洋製鉄桃川だいとうようせいてつももかわの攻撃が終わって0対0。


「シモ先輩、どうぞー!」


 一年下の後輩、井生いおうひかりがクーラーボックスから缶ジュースを取り出した。


「おう、サンキュ」


 井生はチームメイトにジュースを配り終えると、再び私の隣に座った。


「今日もとんでもない暑さですねー。いやー参った参ったー」

「井生、菅原はちゃんと元気にやってるか?」

「?? アハハッ! 先輩、生徒会活動で菅原さんとずっと一緒なのに何言い出すんですかー」

「生徒会活動でしか菅原のことは知らないんだ。その他の学校生活はちゃんとしているかって聞いている。クラスメートのお前ならわかるだろう」


 そう、井生は菅原と同じ四年北組の所属だ。


「元気にやってますよー。もう昔から緑葉ウチにいるんじゃないかって思うぐらいクラスに馴染んでまーす」

「そりゃよかった。あいつは常識人だから教室で孤立してるんじゃないかと心配してたんだが」

「何ですかー? 四年北組が非常識な生徒ばかりだと言いたいんですかー?」

「つーか全体的にそうだろう、この学校は」


 私はその証拠を見せつけるべく、「例えばアレ」と私の座っている席の列の端を指さした。そこには前期課程のチームメイト二人がイチャイチャしている姿が。


「コラーッ! 人前でいちゃつくなーっ!」


 井生が甲高い声で吠えると、二人はビクッと体を震え上がらせてそそくさと離れた。


「おい井生、注意はいいが大声出すなよ恥ずかしい。ユニフォーム着てんだぞ」

「あ、すみませーん……」


 声援がない分井生の声が丸聞こえで、グラウンドの選手が私達の方を怪訝な目で見たからたちまちいたたまれない気持ちになった。ユニフォームには校名でなく「GL」という文字(緑葉→Green Leaf→GLということ)が描かれているので一見してどこのチームかわからないデザインになっているのが不幸中の幸いだ。


 それでも試合は何事も無かったかのように進められて、4回の表、ブルーオーシャンクラブの攻撃が始まる。


「ねーシモ先輩」

「何だ?」

「私と菅原さん、どっちが好きですかー?」


 ジュースが気管に入ってむせた。


「お前、いきなり何を聞き出すんだ……」

「私が質問してるんですよー。答えてくださいよー」


 こいつは私の次ぐらいにバッティングが上手くてチーム一の俊足を誇るのだが、時たま変なことを言い出すから困る。


 私は答えてやった。


「じゃあお前が飲んでるジュースと私が飲んでるジュース、どっちが美味しいんだ?」


 二本のジュースは同じ種類の品物である。ちょっと前にネットで見た「お母さんとお父さんどっちが好きかと聞かれた子どもが饅頭を二つに割ってどっちが美味しいか聞き返すとんち話」を応用してみた。


「それって、饅頭を二つに割ってどーのこーのって話のパクリじゃないですかー?」

「ぐっ……」


 バレたか、ちくしょう。


「ちゃんとはっきり答えてくださーい」

「うるさい! 試合を見ろ試合を!」


 私もつい大声を出してしまったが、そこに乾いた大きな打撃音が重なった。


 打球はレフトへとグングンと伸びてそのまま68.58m地点に設置された即席の外野フェンスの向こう側を越えていった。


「今の失投でしたねー」

「嘘つけ。お前、ちゃんと見てなかっただろうが」

「てへへー」


 井生はペロッと舌を出した。全く変な後輩だ。菅原の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。いや、真面目な井生もそれはそれで気持ち悪いな……何だかんだで井生のことは憎めない奴だ。こんなこと、本人に口に出して言えないがな。恥ずかしいから。



【河邑撫子の場合】



 私が所属する郷土研究会はマニアックな部活と言われながらも部員16名という大所帯である。六年生の先輩が引退する前は20人を越えていた。郷土の白沢市にまつわる歴史や文化を研究しているが、各自で取り組んでいるテーマは様々だ。


 私は白沢市に点在する古墳に興味を持って研究テーマとして取り組んでいる。古代の頃、白沢市周辺はイワヒコという豪族が支配していたと言われており、緑葉女学館の所在地の地名、岩彦の名の語源になっている。


 古墳はあちこちで見つかっているので強大な国が存在していたことは確実視されているが、肝心のイワヒコの墓である古墳がどれなのか同定できていなかった。しかし今年に入って、緑葉女学館から北の方にある名もない山の麓で前方後円墳が見つかった。今まで近辺で発掘された古墳の中で一番大きなサイズで、これこそがイワヒコの墓かもしれないと研究者は息巻いている。この古墳は発見箇所の地名を取って石内いしうち古墳と命名された。


 石内古墳の発掘作業はまだ続いているが、その合間に市の教育委員会が現地で地元住民を対象に古墳の勉強会を開くことになった。石内古墳とイワヒコについて知ってもらうためだ。私はすぐさま応募したところ、OKを貰った。


 自転車で現地の最寄りの公民館まで行ってから、徒歩で山の麓に向かう。日焼け止め必須のカンカン照りだが、この程度の暑さでは私の学習意欲は削がれない。


 足を運ぶのは私一人だけである。古墳をテーマに研究しているのは私と後輩の古川恵だけど、あろうことかこの前の勉強会で居眠りをしたので罰として参加させていない。ちょうど高倉さんが菅原さんの歓迎会をやるというので、これ幸いにと高倉さんに面倒を見てもらうことにした。


 現地に着くと、すでに地元住民と考古学ファンらしき人が数名待っていた。みんな年配の方々で、十代の私は悪目立ちする格好になってしまっているが慣れっこだ。


 だけどこの日、意外な人物が姿を見せたのである。


「あっ、撫子ちゃん! 来ると思ってたよ~」

「鶴崎先生!」


 麦わら帽子をかぶった若い女性。この人は鶴崎とみという緑葉女学館郷土研究会OGで、現在は公立高校で地理歴史の教師をやっているが、時々緑葉に来校して特別講義をしてくれる顧問のような立場にある。とみという古めかしい名前だけれど二十代の若手教師だ。


「来られるんでしたら一声かけてくださればよかったのに」

「ごめんごめん、期末テストとか三者面談とかで忙しくて気が回らなかったの」

「だけど意外ですね。先生が古墳を見に来るなんて」

「家に帰るついで」

「あ、先生のご実家は近くでしたもんね」


 鶴崎先生は郷土研究会で地元の寺院を研究し、大学でも鎌倉時代の寺院について卒論を書いていた。要は寺院マニアで、特に県内の寺院は大小問わず足を運んだと豪語するぐらいである。


「ところで撫子ちゃん一人だけなの? 子分は?」

「子分じゃないですよ。この前の勉強会で居眠りしたんで罰として参加させてません」

「居眠り! 大物だねえー」


 皮肉か本音なのかわからない感じの口ぶりだった。


「恵ちゃん、入学した頃と比べてだいぶ変わっちゃったね。良くも悪くも」

「もうちょっと頭の使い方をどうにかすれば良いだけなんですけれどね。そこは私の指導不足です」

「撫子ちゃんが指導してダメだったら誰がやってもダメじゃない?」

「まあ、確かに」


 私達苦笑いあった。


「あ、そうそう」


 先生がぽんと手を叩く。


「この前ウチの高校で出前講座があってね、桃川文理大学の教授が来て鎌倉時代について講義してたんだけどその人の娘さんが今年緑葉の後期課程に編入したんだって。知ってる?」

「ん? もしかしてその教授、『菅原秋彦』って名前じゃないですか?」

「そうそう! 知ってたんだね」

「知ってたも何も、今まさに娘さんが生徒会のサブやってるんですよ」

「本当!? 編入生なのに!? うわー凄いなー……」


 鶴崎先生の描く菅原千秋像は恐らく、私の知っている菅原千秋より過大なものになっているに違いなかった。


 菅原さんのお父さんが大学教授ということは小耳に挟んでいた。ネットで調べてみたら菅原秋彦あきひこという日本の中世史を研究している学者で、恵央大学で教鞭をとっていたが昨年の秋に桃川文理大学に赴任して、その時に菅原さんも引っ越してきたようだった。なぜ中途半端な時期に東京の名門大学から地方の新興大学に移ったのかわからないが、そのことを菅原さんに聞くのはさすがに気が引けるので理由はまだ知らない。


 菅原さん自身も歴史に興味があるらしく、特に生徒会合宿のレポートでは私のひいばあちゃんのお話、そしておばあちゃんの写真の背景に映っていた新校舎から歴史の尊さ、素晴らしさを熱心に綴っていた。それを読んだ私はグッときたから、郷土研究会に引き入れようと考えもした。


 でも私は結局、そうしなかった。原因は古川恵だ。生徒会の仕事ぶりはもうあの子よりも菅原さんの方が上手うわてになっている。その上更に郷土研究会に入れたとなると、きっと部活の方でも菅原さんの方が活躍するに違いない。となると、古川恵の立つ瀬がなくなってしまう。


 いくら仕事ができなくても、チャランポランな性格だろうと、四年間付き添ってきた古川恵の方が私にとっては大事だった。彼女は私が目をかけた人材なのだから。


「撫子ちゃん、どうしたの? ボーッとしちゃって」

「あっ、はい。ちょっと考え事を」

「今日も無茶苦茶暑いもんねー。勉強会終わったらお茶しない? 奢るよ」

「いいんですか? 遠慮なくごちそうになります」

「子分の話をたっぷりと聞かせてね」

「だから子分じゃないですってば」


 ちょうど教育委員会の方が来られて、私は頭を勉強モードに切り替えたのだった。



【黒部真奈の場合】



 黒部家の夕飯の食卓の空気はピリピリとしていた。いや、正確にはピリピリしているのは私の姉、真矢だけである。その原因は私の隣に座っている人間だった。


「この魚、美味いなー!」


 私の恋人、清原操がアユの塩焼きに舌鼓を打っている。連休を利用して私の家にお泊りに来たのだけれど、それが姉さんにとって面白くないようだ。和解したとはいえ、姉さんにとって操はまだまだ恋敵という認識らしい。


「そいつは環川上流で取ったばかりのアユだよ」

「操ちゃんに気に入ってもらえて嬉しいわ」


 両親の言葉に操は顔を綻ばせるが、打って変わって向かいに座っている姉さんの顔が夜叉のように険しくなっていく。操のお泊りを一応は許可しておきながらちょっと大人げない。


 姉さんが茶碗を持って身を乗りだす。


「真奈、私のご飯を分けてあげるわ」


 私の意見も聞かずに箸でご飯をよそって私の茶碗に移してきた。


「私、ダイエット中なんだけど……」

「遠慮しないの。私だってインターハイに向けて体絞ってるんだから」


 いや、遠慮してないって。


「要らねーならもらうぜ、っと」

「あ」


 操が私の茶碗を取って、姉さんが移した分をそっくりそのまま操の茶碗に再移動させた。


「……私、真奈にあげたんだけど?」


 姉さんの声が震えている。こめかみもピクピク動いている。


「細かいこと気にしちゃ負けだって真奈も言ってたぞ」

「そう……」


 こめかみのピクピクが止まった。操は最近姉さんの扱い方を覚えたらしく、特に自分の意見を通そうとする時は「私も言っていた」ことにする。これでコロッとなびく姉さんも姉さんだ。


「でもこの後のメロンは別腹でしょ?」


 お母さんの言葉に、私達は笑ってうなずいた。


 夕食が終わると、お母さんは早速メロンを切って出してくれた。実はこのメロンは、私が菅原さんから貰ったものだ。


 私は菅原さんに、生徒総会で今津会長の不信任案が出されるかもしれないから、その時に備えて姉さんと操に反対意見を言ってもらうよう私の口からお願いして欲しいと頼まれた。


 私は個人的に今津会長を支持していない。結果オーライとはいえ、姉さんと操の揉め事を決闘で解決させようとしてかつ見世物にしたことは許せなかった。でも菅原さんは決闘回避のためにわざわざ家まで来てくれたし、以前に操との情事に耽っていた現場を彼女に見られてしまったことがあったけれど、その時慌てて落としてしまった下着を拾ってくれて洗濯して返してくれた。菅原さんには恩があった。

 

 だから私は今津会長のためではなく、菅原さんのために引き受けた。姉さんも操もあっさりとお願いを聞いてくれて、その結果として不信任案否決に繋がったのである。


 一応の貸し借りはなくなったけれど、生徒総会の後日に菅原さんは謝礼としてメロンを渡してきた。政治家の贈収賄のようになるから最初は断った。でも彼女は頑固として聞かず、結局折れて受け取ってしまった。


 二人ともそんなことはつゆ知らず、メロンを口にしている。


「うわ、すっげー甘い」

「うん、美味しいわ」


 確かに甘くて美味で、スプーンがどんどん進む。


「真奈、ひと口あげるわ」


 姉さんが果肉をすくい取って私の口に持っていこうとする。


「ちょっと、やめてよ恥ずかしい」

「何で? 昔はよくこうやって食べさせてあげてたでしょ」


 姉さんの目線が一瞬、操の方に向けられる。姉妹仲を見せつけようとしているのが明々白々だった。すると操も果肉をごっそりすくって「私からもやるよ!」と対抗する。要らないって言っても絶対に聞いてくれないだろうから、私は口を開けた。


「じゃあまず私から」

「おいおい、私が先だろ」

「あなた、後から出してきたじゃない」

「関係ないね!」


 二人は睨み合う。私はため息をついて口を閉じ、一番公平な解決法を出した。


「じゃんけんして決めて」


 二人は早速握りこぶしを作って「最初はグー! じゃんけんホイ!」と、ぴったり呼吸を合わせてじゃんけんした。


「あーちくしょー!」

「ふふ、悪いわね操ちゃんルビを入力…


 姉さんはしてやったり顔をキメて、スプーンを私の口に運んだ。「美味しい」と言うと姉さんは太陽のような笑顔を見せて、操は心底悔しそうに身を震わせた。


 だけど操は、姉さんと張り合おうとするあまり血迷ったのか、こんなことを言い出したのである。


「真奈! 口移しししようぜ!」

「……フツーに食べさせなさい」


 私と姉さんの言葉が見事にハモって、操はうなだれた。今晩の戦いはどうやら姉さんに軍配が上がったようだ。

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