決戦

「押せー! そのまま一気に押せー!」

「いやあああ!! 真矢さん頑張ってえええ!!」


 悲喜こもごもの声が耳をつんざく。清原さんが真矢先輩にあと一本で勝利するという中、騒がしさは急に殺伐としたものへと変わる。土手の方を見ると、ファンどうしが小競り合いを始めていた。


「ああっ、菅原さん! ヤバイよこれ! 暴動になっちゃう!」

「行こう!」

 

 土手に向かおうとしたが、今津会長が行く手を遮った。


「ここは私に任せろ。君らはこれを二人に飲ませてやれ」


 会長は私達に、試合前に私が真矢先輩に渡したのと同じ銘柄のりんごジュースが入った小さいペットボトルを二本投げてよこした。


 剣士二人は今試合を中断させられて、試合場の外に出ている。こんな状況ではしばらく再開できないだろう。


「私、真矢先輩のところに行くから団さんは清原さんのところへお願い」

「わかった!」


 今の両者は近寄りがたいが、清原さんの方は優勢な分まだ幾分か近づきやすいかもしれないと思い団さんに譲った。


 真矢先輩は血糊で真っ赤に染まったマスクを外し、その場にしゃがみ込んでしまっている。


「先輩、どうぞ」

「あ……」


 真矢先輩の目には力が無い。震える手でりんごジュースを受け取って半分だけ飲んだところで、地面に落としてしまった。


「せ、先輩?」

「嫌……負けたら私の手から真奈が離れていく……そんなの嫌!」

「落ち着いてください! まだ負けたわけじゃないでしょう」


 負けてしまえばインターハイ選手として、イケメン女子ランキング一位としての面目が潰れる。だけどそんなことよりも、妹を取られてしまうことへの恐怖で怯えているのだ。


 どっちが勝とうが負けようが、傷つくのは真奈さんだ。だけど自分の名誉よりも妹を想う先輩の心情を推し量ると同情というか、一種の判官びいきのような気持ちが沸き起こってきた。


 私もしゃがんで、真矢先輩と同じ目線に立つ。


「もう清原さんが狙う所は胴しかないでしょう? だったら逆に攻め方が限られてくると思うんです。そこを突けばまだチャンスがあります」

「菅原さん……」


 喧騒の声が収まってきた。土手の方では今津会長が両腕で大きく「◯」を作っている。それを見た下敷領先輩が「準備して!」と促した。


「さあ、勝負はまだ終わっていませんよ」

「菅原さん、ありがとう。少し楽になったわ」


 真矢先輩は微笑んで、マスクを被った。そして意を決したかのように大股歩きで中心部に戻っていく。


「構えて!」


 両者、臨戦態勢になった。


「はじめっ!」


 距離を取りつつ、剣と竹刀が触れ合う。


 清原さんの竹刀が先輩の剣を突き上げる。その瞬間に一気に踏み込んで、


「ドオォアアア!!」


 喚声と同時に、真矢先輩の胴部から血糊が吹き出した!


 だがしかし、清原さんの面のカプセルも割られて面が赤く染まっている。私の目ではほぼ同時に割れたように見えた。


「審判!」


 真矢先輩が判定を要求したが、下敷領先輩は「ビデオだ!」とその場で判定を出さなかった。


 直ちに、試合場四隅のビデオカメラがチェックされる。私は宮崎さんのカメラ確認に立ち会った。スローモーションで先程の戦いが再生され、宮崎さんがその中身を確認するように呟く。


「清原さんが踏み込んで、先輩が後ろにジャンプしつつ斬りつけて……あっ、一瞬だけ真矢先輩の方が早い!」


 確かに、竹刀よりも先に剣が面を捉えていた。ほんのコンマ数秒の出来事だった。


 他の三つのカメラの確認を終えた生徒会執行部サブたちと一緒に下敷領先輩に報告すると、先輩は白旗を上げた。


 真矢ファンが喝采を送る中で、私は真矢先輩のカプセルを交換する。


「その調子ですよ!」


 真矢先輩は無言でうなずいて、私の肩をポンと叩いた。

 

 試合が再開される。清原さんは左右に体を揺さぶりながら相手との距離を測っている。


「あっ!」


 急に清原さんの右膝がガクン、と曲がった。その隙を真矢先輩は見逃さない。剣は右小手のカプセルをしっかりと突き刺して、血糊が噴出した。


「真矢さーん!! その調子ー!!」

「どうしたー! 踏ん張れー!」


 ついに同点。しかもあと一撃で試合が決まる。その場にいた生徒たちの興奮は最頂点に達していた。


 だがここで思いがけない事態が発生したのである。


「う……あ……」


 清原さんがうめき声を上げて両膝をついた。そのまま前のめりに倒れそうになるが、竹刀を杖にして堪える。


「キヨちゃん!!」


 古徳さんが飛び出していった。それと同時に、


「ううっ……」


 真矢先輩まで両膝をつき、剣を握りしめたまま倒れてしまった。


「せ、先輩!?」


 私は側に駆け寄った。


「どうしたんです先輩!」

「わ、わからない……何だか目が霞むし気持ち悪いし体が熱いの……」

「ええっ!?」


 急に病気になったとでも言うのか。じゃあもしかして清原さんも同時に? 一体なぜ……?


 鼓膜が破れるんじゃないかと思うぐらいの悲鳴の中で、混乱状態の頭を整理しようと必死になった。そうして導き出した結論は。


「あのりんごジュース……」


 何者かに肩を叩かれた。


「すがちー、後は保健委員にでも任せとけ」

「会長!」


 今津会長は真矢先輩から引き剥がすように私を試合場の外に連れ出して、執行部のメンツが集まってて出来た輪の中に入れた。


 会長が唐突に笑いだす。


「ふふふふふふ……見事なタイミングでキマってくれたなあ」

「会長?」

「十五年前のMとHの決闘。あれには実は記録にない裏話があってな。当時の生徒会長はお友達のMに勝たせたくて相手のHにちょいと細工していたんだ。それを応用させてもらった」

「何を言ってるんですか……?」


 今津会長は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、口の端を上げた。


「その悪どい生徒会長に倣って、下剤と吐剤と睡眠薬と媚薬を秘密の割合で混ぜ合わせて二人のりんごジュースに盛ってやったのよ」

「なっ……!!」


 私達サブは仰天した。役員たちは全員知っている様子だった。


「な、な、何でそんなことしたんすか御大!」


 古川さんが震えた声で訊く。


「私は最初から決闘を有耶無耶にするつもりだったんだ、勝負預かりという形にしてな。真矢先輩はインターハイの立場なのに下級生相手に苦戦して面目が潰れてるし、清原も完全に勝ったわけじゃない。そこで私らが改めて話し合いの場を設ける。もちろん、主導権はこちらが握った上でな」

「どういう風に結着させるんです……?」


 私は問う。


「三人仲良く、に決まってるだろう」


 それができたら苦労しない、という回答につい「はあ?」と失礼な問い返しをしてしまった。


「あ、あの。真矢先輩と清原さんをどうやって仲良くさせようっていうんですか。あの二人、絶対に和解するとは思えないんですけど」


 団さんが最もなことを尋ねる。


「そん時は最終手段として、黒部真奈の身柄をこちらで預かって人質にすりゃいいんだ」

「はあ!?」

「で、これ以上喧嘩したら美和ちゃんにあげちゃうぞーって脅す。嫌でも仲良くするだろうよ」

「……」


 ふふっ、と美和先輩は愛想笑いを浮かべた。先輩が冗談めかして真奈さんを誘拐する、と言ったことがあったが会長が言うと本当にやりかねない。


 古川さんの言う通り、この人には性格がアレなところがある。でもこの人で無いと今の難局を乗り切れないのも確かだ。


 試合場の方からも悲鳴が起こった。瀕死になっているはずの清原さんと真矢先輩が保健委員たちを振りほどき、大きくよろめきながらも武器を構えている。二人とも面とマスクをつけておらず顔をはっきりと見て取れるが、歯を食いしばって目は飛び出しそうになっていた。


「なっ、あれ飲んだらまともに立ってられないはずなのに!」


 会長ですら驚きを隠せない。


「シーモ、直ちに止めさせろ!」

「試合中止だ! 中止ー!」


 下敷領先輩が割って入ろうとする。すると二人とも奇声を上げて先輩に斬りかかろうとしたため、速攻でUターンしてきた。


「こらシーモ、何ビビってんだ!」

「私じゃだめだ! 今津、お前が行って何とかしろ!」

「おい、私に死ねって言うのか!?」


 会長は及び腰だが、錯乱状態で武器を持っている二人を止められるのはこの場に誰がいるというのだろうか。こうなるともはや、どちらか完全に力尽きるまで放置するしかない。


「真奈は……渡さない……!」


 真矢先輩の唇から血が滴り落ちている。血糊ではない。下唇を噛んで耐えているのだ。


「うっ!」


 彼女が清原さんに向かおうとした時、足がもつれて前のめりに倒れた。


 清原さんはフラフラになりながら、竹刀を突きつける。


「たっ……立て! 立てぇ! 黒部真矢!」

「ぐっ……」


 真矢先輩が最後の気力を振り絞って立ち上がった。そして、


「イヤァァァァ!!」

「キェェェェイ!!」


 互いに喚声を上げながら突進して行き、剣と竹刀が交錯した!


 それと同時に。


「操ーーーーーー!!!!」


 試合場に乱入してきた三つ編みと黒縁眼鏡の生徒。真奈さんだ。


 両剣士とも最後の一撃で、最後に残っていた胴のカプセルがほぼ同時に割られていた。どっちが先に割れたのか確かめなければいけないのだが、それどころではない。双方とも倒れて動かなくなっている。


「操、操! しっかりしてよぉ……」


 真奈さんが泣きながら恋人を揺すり動かすが反応が無い。


 真奈さんの泣き顔が急変した。落ちていた竹刀を拾い上げると、同じく瀕死の真矢先輩に殴りかかろうとした。


「姉さんなんか、姉さんなんか死んじゃえばいいんだ!!」

「やめて! 落ち着いてー!!」

「ああああー!!」


 私達サブ四人がかりで真奈さんを押し止めようとかるが。狂乱している真奈さんの力は凄まじくて四人でも弾き返されそうになる。しかし唐突にスッ、と糸が切れたように力が抜けて、そのまま倒れてしまった。


 会長の思惑通り、「決闘」は有耶無耶な結末で終わったのだった。



 *



「目が覚めた?」

「う……ん……」


 真奈さんがゆっくりとベッドから起き上がった。眼鏡は外してあるが、伊達眼鏡なので裸眼でも私の姿が見えるはずだ。


「菅原さん! 操は!? 姉さんは!?」

「そこにいるよ」


 三つ並んだ保健室のベッドの真ん中を真奈さんが、両端を清原さんと真矢先輩が使っている。両端の二人は申し訳なさそうに真奈さんを見たが、とりわけ姉は深刻な面持ちだった。


「真奈に『死んじゃえ』なんて言われたの初めてだわ……」

「あ、聞いてたんだ……ごめんなさい。あの時の私、どうかしてた」

「ううん、悪いのは全て私。そんな酷いこと言わせるぐらい、真奈を苦しめていたなんて今まで気が付かなかったんだから」

「姉さん……」


 清原さんも体を真奈さんの方に向けて頭を下げた。


「真奈、心配かけてごめんな」

「操……」


 真矢先輩が咳払いをして、「清原さん」と、はじめてさん付けで相手を呼んだ。


「剣を通してあなたがどんな性格なのかよくわかったわ。特に最後、私が倒れそうになった時に仕掛けるチャンスだったのに敢えて立つまで待ってくれた。本当だったらこの時点で私の負けよ」

「いや、別に情けをかけたわけじゃねえよ。勝つなら正々堂々と勝たなきゃ真奈に示しがつかないし、私だってプライドがあるからな。それにしてもあんたの剣筋……綺麗だったぜ」

「ふふっ」


 真奈さんがにっこり笑うと、二人に「立てる?」と聞き、二人ともうなずいてベッドから立った。


「じゃあ、私の手を握って」


 それぞれ真奈さんの手をにぎると、彼女はその手を胸のところで重ね合わせた。


「はい、これで喧嘩はおしまい」


 真矢先輩と清原さんは一瞬キョトンとしたが、すぐに顔を見合わせて笑いあった。


「良かった! はい、じゃこれで手打ちってことで良いですね。会長には報告させて頂きますね」


 保健室の窓から陽光が降り注いでいる。分厚い雲はいつしか消えていた。


 *


「い、いつの間に……」


 この一週間で三度目の発刊となった『GLタイムス』号外には、保健室で真奈さんを通じて手を取り合う真矢先輩と清原さんの写真が載っている。その上にはデカデカと『雪解け!』という見出しが。


「フフーン、我ながら最高のショットだったわ」


 私の後ろに、腰に手を当ててドヤ顔を浮かべる宮崎杏樹さんがいた。


「これ、あなたが撮ったんだ……」

「写真のことならお任せあれ、よ!」


 宮崎さんがサムズアップした。いやはや抜け目がないというか何というか。


「それにしても八方丸く収まって良かったよね。真矢先輩は清原さんと和解して、真奈さんとの交際を認めた。引き分けとはいえ生徒たちもめっちゃ楽しんでたし。特に最後の一撃。あれは本当に相討ちだったのか論争になってるんだって。しばらくこの話題だけで暇つぶしができそうだねっ」


 余程自分の撮った写真が気に入ったのか、えらくご機嫌な様子で紙面を撫でる。


「でも、もう揉め事は勘弁して欲しいな」


 対して私の気分は乗っていない。円満解決は喜ばしいことだけど、私が事前に決闘を止められていたら、と後悔の念は消えていなかった。菅原千秋はまだまだ半人前だ、とこの事件で思い知らされたのだった。


「菅原さん、もっと面白いもの見せてあげよっか」

「何?」


 宮崎さんはスマートフォンの画像フォルダを開いて一枚の写真を見せた。それは最後の一撃の瞬間を捉えたものだった。


「うわ、これって……」

「動画だとわずか一コマの差だけど、確かに勝敗ははっきりついているのよね。ま、今津会長が引き分けと裁定した以上はもう表に出せないし、論争に水を差したくないからね。菅原さんにだけ特別に見せてあげる」


 確かに、どっちが勝ったなんか今となってはどうでも良いことだった。

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