第148話秩序という名の鎖

『サラリーマンをやめる』という言葉をクエンがどうとらえたのかわからない。

ただ、同時に私の頭の中に、あの言葉が響いてきた。


『言葉というのは響きがある。伝えた音が相手の中でどう響いたのかを見極めるのだ』

そう指導していた師範代の言葉は、私の中でどう響いたと思われていたのだろう。


――たぶん、『コイツ分かってないな』と思われていたことだろう。何度も言われたから、おそらく間違いないだろう。


たしかに、あの時は良くわからないまま聞いていた。でも、今この瞬間にその言葉がよみがえってきたのは、たぶん私の中でその意味を探し続けていたからだと思う。


そして、今ならよくわかる。

クエンはその事にうまく返事できないでいる。それは、その言葉の意味を考えなければならないと、クエン自身がそう判断したからに違いない。


「アンタの言う秩序は、所詮国王にとって都合のいい秩序だ。さっきみたいに、アンタの妥当な判断すら危うく無くしてしまいかねない。アンタ、自分自身で言ったよな? 『依頼が無くなったわけじゃない』って。でも、わざわざそれを警告してきた。それって、アンタの中に眠る『違う判断基準』が働いているからだろ? 表向きに口にしている秩序。口癖のようにしてる『サラリーマンとして』という言葉。それって本当にアンタが望む秩序なのか? アンタは単に思考を停止しているだけじゃないのか? 『召喚呪に縛られているのだから、それに従うのが当たり前だ』という理由で、他人を説得する一方。何より自分自身を説得してるんじゃないのか? そのガチガチに着込んでいる鎧は、アンタ自身を封じているものの象徴だろ? アンタの中身はもっと自由なはずだ。もし、それが自分の信念なら、鎧を脱いだ姿で話してみろよ!」

筋肉という言葉は、ややこしくなるから言わないでおこう。

ただ、クエンの場合は明らかにそれとも違う意識がある。筋肉というワードで現れるクエンも、その中の一人ともいえる。だが、本当の自分を隠すために、鎧をつけたクエンを誕生させたのだろう。


自分自身に言い聞かせるために。


そして、クエンはあと一人いる。

ガドラに致命傷を受けたとはいえ、傷は回復していながら、一切手出ししなかったクエンがまだ表に出てきていない。


サラリーマンという意識のクエンではない、自由奔放なクエンでもない。

武人としてのクエンが、おそらく奥に潜んでいる。


サラリーマンという鎧で覆わないと自らを保てなかったクエンが、そのはけ口として生み出したのが『筋肉』という言葉で発散するクエンなのだろう。


「何をバカなことを言い出すのかと思えば、子供の戯言たわごとですか……。いいでしょう。あなたがいう事を百歩譲って肯定したとします。私自身の言葉で話せと……。でも、それでどうにかなると本気で思っている所が、見た目の通りお子様なのです。大人の世界を甘く見ないでいただきたい。元の世界で大人であった私と違って、あなたはおそらく子供だったのでしょう。いえ、完全な子供ではありませんね。自分の事を大人だとも思っている。でも、社会というものを経験していない。でも、その断片は知っている。おそらく、頭の中の正義を振りかざせるギリギリの年齢でしょう。でも、現実は甘くないのです。知っていることが、現実ではないのです。それに、すべてが割り切れると思ったら大間違いです。白ではないから黒。世界はそんな単純ではありません。なるほど、『自分の言葉で語れ』ですか……。確かにマンガの世界で、もっとも響く言葉でしょうね。でも、自分で自分を生み出して肯定していくのが『大人になる』ということなのです。大人として生きていくために、平気でそれまでの自分を否定する価値観も持てるようになるのです。それが『大人』なのですよ。あと、『自分を説得する』といいましたね? 当然です。自分すら説得できない人が、他人を説得できるはずがありません。『ガチガチの鎧で封じている』とも言いましたね。当たり前です。大人になるということは、他人の正義と自分の正義、社会の正義といった都合のいい正義を全部まとめて折り合いをつけることなのです。それが自らに『役割』というものを纏わせるのです。『信念』といいましたね? 『信念』ですか……。いい言葉です。純粋に自分を守り通せる幻想がそこには有りますね。だが、それはおとぎ話です。そんなものは、『役割』でどうにでもなるのです! それが大人と子供の違いなのです! だから、あなたのいう事は、わたくしには何も響いてきません!」

静かだが、クエンの体の中心に熱い塊のようなものを感じる。

自分で言ってて、自分自身に憤るものがあるのだろう。

私の言葉がクエンの中で、大きな波紋を立てているのを感じる。


一つ一つ、反論する。

それは、それを無視できない事の証明。

だから、その口調はさっきまでのクエンではなくなっていた。


「でも、それはアンタが元の世界で培ったものだろ? それはそれで思うところはある。でも、ここは異世界だ。社会構造がまるでちがう。アンタの言う、『おとぎ話』の世界だろ? しかもそこに召喚されて、アンタは生まれ変わった。『おとぎ話』の世界に――。そして、元の世界では考えられない力も得ている。そのアンタが、前の常識のままでいいのか? できない理由を見つけて、『役割』を課すことが大人だっていうんなら、出来る理由を求めて、『役割』を果たすことも大人なんじゃないか?」

まだ言い足りない。まだ納得していないクエンがいたが、そろそろここらで打ち切りだろう。


所詮、他人の言葉では人間は動かない。話し合いは有効な手段だけど、結果を得るには時間がかかる。

自分の立場から見た世界だけでは、一生お互いに理解にたどり着けるわけがない。


一度本人が思い込んだら、他人の言葉で説得などされない。


――あの時の、一郎のように……。


だから、モノの見方を変えることが必要になる。


――立場を変えてみてみろ。


あの時、自称神様にそう言ったことはおぼろげながら覚えている。私の固有能力【位置変換】は、そうして宿ったのだと思う。もうそのものは使えないけど、それをするのが私の役割だろう。


そして、今の私にはその力がある。強制的に、立場をかえるその力が――。


――メナアスティ!


私の心の叫びに、頼もしく応じてくれる確かな存在。


この瞬間、その輝かしく優雅な銀色の姿がメシペル王城に舞い降りている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る