第128話結界の攻防、決意の咆哮

空気の震えを見せつけるかのように、波紋を描く透明な壁がそこにあった。何者もそこから出ることを拒むように、立方体の結界がその者達の周囲を覆っている。


中と外。それを隔てるのは透明の壁。


その存在を顕にする赤い色と円模様。

店長から飛び散った血が結界の壁を色塗り、フラウの悲鳴はその壁を震わせていた。


「何度も……スーパー言わせない……で、今のうちに……、スーパー避難……して……下さ……い」

崩れ落ちるのを必死にこらえるかのように、結界の壁に寄りかかりながら、店長はそうフラウに告げていた。


「てんちょー! てんちょー! てんちょー! てんちょーを置いていけません! てんちょーだけ、出てきてください! 何でもします! もう、さぼりません! もう、居眠りしません! もう、つまみぐいしません! だから、お願いです、てんちょー! てんちょー! てんちょー! お願いです!」

結界の壁越しに、必死に店長に訴えるフラウ。結界の壁を叩きながら、どうにか店長を引きずり出そうと結界の壁を探っていた。


その声を背中で聞き、店長の口元が僅かにほころぶ。自らの手で自分を治療しているのだろう。その瞬間、淡い光が店長を包んでいた。


「ダビド君! スーパー早く、花岡君を! 皆さんを! スーパー白亜紀三号改! 君たちが皆をスーパー逃がすんだ!」

いっさい振り返ることなく、店長は大声を上げている。


「ちっ、またかよ! でもまあ、いたぶりがいがあるわな。あの領主も、相当怒ってたしよ。今も酒飲みながら楽しんで見てるんだろうぜ! まあ、あの領主もメシペル王国の貴族になったわけだしよ。貴族の依頼は可能な限り聞くのがサラリーマンなんだとよ」

今、店長の目の前には小男がいる。短剣に付いた店長の血を舌でなめながら、侮蔑の笑みを浮かべていた。


その後ろには、六人の男が控えている。不揃いの鎧と衣装は、それぞれ魔法の輝きを放っていた。

そして、それらの後ろで控えているのは、あの全身鎧の大男だった。


――クエン・イキサ。メシペル王国の特別の日の勇者にして、重戦士の職業に似合った筋骨隆々の大男。

巨大な戦鎚矛ウォーメイスを、己の前にさらしている。誇らしげに、尊大に。己の武器と己が一体となったかのように、威圧の視線を店長に向けていた。


六人の男も、その前の小男もおそらく勇者に違いない。メシペル王国の勇者が、すでに駄菓子屋の前に現れていた。

そして、クエンが立っているその場所は、あの看板が書いてある馬車の前だった。


――いる。クジットもあの中にいる。不気味なほど静かに、その気配がそこにあった。


「逃げてもいいぜ、ねーちゃんよ。コイツがあの世に行くのが早まるってもんよ。俺達の目的は、コイツ一人じゃねーんだぜ?」

ニヤリと不気味な笑いをフラウに向ける小男勇者。その直後、フラウの後ろに視線を向けていた。


「させませんよ!」

抗う意思を示した店長。


だが、それを待っていたかのように、小男勇者は店長を連続で切りつけはじめた。一つ一つは致命傷にはなっていない。だが、さすがに流血は多くなっている。小男勇者は、それを楽しんでいるのだろう。全く意味のない行動がそれを確かだと物語る。


切りつけた後には、短剣に付いた血を結界の壁に飛ばしていた。


結界の壁が、赤い模様を描きだし、涙のように垂れていく。

店長の足元の地面では、再び流血のシミが広がっていた。


「花岡君……。ダビド君……、スーパー早く……、スーパー連れて――」

「スーパー、スーパー、うるせー! 安売りの喧嘩は、買ってやっただろうがよ!」

場違いな文句と共に、店長を張り倒した小男の勇者。そのまま結界の内側で、フラウに血の付いた短剣を向けていた。


「いいねぇ、その目。恐怖の中でも、憎しみを忘れない。そんな目をしている奴を、恐怖で縛っていくのがたまんねーんだよ、俺」

愉悦の笑みで歪む顔。その顔のまま、小男勇者は店長の腹に蹴りをいれていた。


たまらず地面に伏せる店長。

その瞬間、小男勇者の視線はフラウに向けながら、自分の後ろを探っているようだった。

それは安堵の吐息だろう。小男勇者は、額の汗をぬぐいながら、再び店長に蹴りはじめようとしていた


「スーパー出しません! ここからは!」

自らの回復を極大にして、一瞬で傷を治した店長。

小男勇者が蹴りあげようとしていた足をつかむと、持ち上げながら立ち上がる。


一瞬、バランスを崩すかのように見えた小男勇者。


だが、瞬時に体勢を変化させ、もう片方の足で蹴り払う。

勇者の称号は伊達ではない証を、まざまざと見せつけてきた。


そう、小男勇者はきわどく避けた店長の隙を見逃すことはなかった。

とられた足を取り返しつつ、そのまま体をひねって短剣を投げつけている。


吸い込まれるように、店長の脇腹に刺さる短剣。

小さな苦悶の声と共に、店長は片膝をついていた。


「司祭ごときがいくら鍛えようと、攻撃特化した盗賊の俺とは戦いになるわけねーだろ?」

新しい短剣を自らの首筋にペタペタと当てながら、盗賊小男勇者は店長を見下していた。


「だが、そんなに回復しても大丈夫なのか? この結界の維持に、お前の魔力を使ってんだろ? 所有者の魔力を吸って、強力な結界をつくる魔道具。所有者の力に応じて変化するとはいえ、それだけ吸われたらきついだろ?」

憐憫の情を一切見せず、小男勇者は店長を見下していた。


「スーパーきついですが、弱音はスーパー吐けません。あとはスーパーあそこにいる人達だけです。そしてここにいるスーパー二人は、この僕の店のスーパー従業員です。スーパー従業員の安全は、店長の僕がスーパー守ります!」

もう一度自らの傷を癒しながら、店長は息を荒げて立ち上がっていた。


涙を浮かべたフラウの目の前に、店長の背中がそびえている。


「さあ、花岡君、ダビド君。白亜紀三号改達と共に逃げなさい。大丈夫。きっとあの人が来てくれます。僕の事は心配いりません」

雰囲気が変わった店長の声に応えたかのように、地竜の咆哮が天を衝く。


その咆哮はとても悲しく、どこまでも高く轟き渡り、私の胸を貫いてきた。


――ごめん。ごめんよ、地竜。君のせいじゃないんだ。仮に君と私との間にメナアスティやリナアスティと同じものが結ばれていたとしても、今は君の声に応える事が出来ないんだ……。

くそ! 何とかならないか! この結界を抜け出す方法。きっとあるはずなんだ。メナアスティが大丈夫だと言ったんだ!

取り乱し、焦る私の目の前に、心配そうな氷華ひょうかの姿が舞い降りた。

言葉に出していなくても分かる。氷華ひょうかのその顔で十分だった。


――ごめん。今は、そんなこと考えても仕方がない。冷静に、思い出すんだ……。


そう考えた私の中に、再び店長の叫びが響いていた。


「行くんだ! 白亜紀三号改!」

地竜たちの咆哮の意味を理解したわけではないだろう。しかし、雰囲気を変えた店長の強い意志のこもった声が、地竜に決断を迫っていた。


刹那の逡巡。

だが、地竜は次の瞬間、決意の咆哮をあげていた。他の地竜たちがそれに応える。


そしてそれは、異なる咆哮を生んでいた。

――そうか……。よかった……。もう少しだけ……。私に時間を!


それは店長の気概が産んだ、奇跡的なつながりの咆哮に違いない。

白亜紀三号改とその仲間の地竜たちは、最後の避難民を乗せたトロッコ列車を引きながら、パリッシュの街の方に駆けだしていく。


だが、それとは異なる動きをとるものがいた。


駆け出した地竜の一人が、結界のそばまで駆け出していた。おそらく、フラウとダビドをつれていくためだろう。


雄叫びをあげて、駆け寄る地竜。


ほとんど、連れ去るような勢いを見せたその地竜の目には、一部始終が映っていたに違いない。


――薙ぎ払われた店長が、大きく吹き飛ぶ姿に遅れて、結界の断末魔が響き渡る――

それらを成し遂げた全身鎧の大男の姿と共に。


「てんちょー! いやー!」

フラウの叫びが遅れて響く。一瞬の出来事に、フラウの目は状況をとらえきれなかったことだろう。


さっきまで店長がいた所に、すでに店長の姿は無くなっている。ただ、そこにある事実と恐怖が、フラウに真実を告げていた。


フラウの目に飛び込んできた全身鎧の大男は、ざぞかし巨大に見えただろう。


巨大な戦鎚矛ウォーメイスを担いだクエンが、静かにフラウを見下ろしていた。

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