第116話フラウの帰還・後編
「フラウ、それはそうと、店から出たあと店長は間違いなくパリッシュ方面に行ったのかい? 答えてくれたら、手を貸すよ?」
いい加減、目の前の駄々っ子も何とかしないと……。
結局また仰向けになって、手足をバタバタ動かしている。
(あれじゃな、虫じゃな。ひっくりかえった)
まあ、この際だ。それは無視。
それよりも、このフラウからどうやって話を聞き出そう。
さて、どうしたものやら……。
店長のことを聞きたいけど……。この調子では、ちゃんと話が進むわけがない。精霊たちは横で面白がっているからいいけど、対応している私はたまったもんじゃない。
――仕方がない。頭をなでて話が進むなら、お安い御用だ。
「さあ、フラウ。立って教えてくれないか?」
「…………。――だっこ……」
「え? 今なんて言った?」
「おひめさま、だっこ……がいい……です」
一瞬、本当に何を言ったのかわからなかった。でも、頭をなでながら聞き返したのが悪かったのか、言いだしたフラウが顔を真っ赤にしていた。
自分で言ってて照れるなよ。こっちまで恥ずかしくなる。
そもそも、そんなに恥ずかしがるなら、言わなきゃいいのに……。
ただ、精霊たちがこれ以上ないくらい騒いでるから、この話題はここで終わろう。
「さあ、手を出して。休憩場所までは送るから」
「そうやって、わたしを大人の世界につれこむんですね?」
「つかんだ途端、はなすよ? 手」
「えへっ! ちょっぴり可愛らしい冗談ですよー」
差し出した手をしっかり握り、フラウはそのまま立ち上がってきた。そのまま離してくれそうになかったので、店の奥まで手を引くことにする。
――カウンターの奥まで来た時には、なぜかフラウはおとなしくなっていた。さっきまでとは全く違う。そのギャップを探ろうとしても、握った手をじっと見つめているだけだった。
だが、それも長くは続かなかった。
店の奥へと通じる通路に入ってすぐのこと。今度は、何故か立ち止まって動こうとしない。
――その気配を感じた瞬間に止まったものの、元々手を引いてただけに、少し離れてしまっている。
薄暗い通路でうつむいた顔。
逆光の効果もあってか、なんだかいつものフラウじゃなかった。ただ、私の手を握る力が、若干弱くなっていた。
「わたしより、ずっと年下なのに、ヴェルドさんはこの手でいろいろしてきたんですね……。てんちょーが言ってました。『ヴェルドさんはすごい――』って……」
やがて小さくつぶやくフラウ。
だが、うつむいた声は、床にのまれてうまく聞き取る事が出来なかった。だけど、何故だろう? この手を離してはいけないように思えてきた。
「なに? ごめん。よく聞こえなかった」
もう一度しっかり握り直し、あらためてフラウに向き合った。
――聞き取れた範囲で考えると、やはりフラウは店長に追いついたのか?
「え!? あっ! わたし……。えへ……、えへへ。なっなっ、なんーですかー? もー!」
文句を言っているようだけど、視線は彷徨い、宙を舞う。
(やっぱり何か隠してる? それとも何か言いたいのかな?)
突然何か言いだしたかと思えば、今度はお茶を濁してきた……。
――そう言えば、もっていたお茶はどこいった?
「フラウ? 君、持ってたお茶はどこにやった?」
私の言葉で緊張した事を、握ったその手が答えてくれる。
それは、フラウにとって聞かれたくない事。誤魔化そうとしても、一瞬の変化は雄弁に物語る。
本当にフラウは店長に追いついたのか?
――いや、それは重要な事じゃない。しかも。この場合は店長が待っていたというのが正解だろう。そして、フラウに何かを吹き込んだ。
わざわざ私の認識できる範囲の外でやり取りをした……。
「フラウ、店長に追いついたね? 何を聞いた? 店長は何するつもりだ?」
思わずフラウの手を払い、両手で肩をつかんでいた。
少しばかり力も入ってしまったのだろう。よろめくフラウをそのまま壁に押し付けていた。
「………………………。やさしく……」
ほんの一瞬驚いた表情を見せたあと、たったそれだけ呟いて、顔を赤くして逸らしていた。
「いや、ごめん! その……。痛かった? あー、今のは本当にごめん。でも、重要なことだから教えてほしい。待ってた店長と何を話したの? 君は何か頼まれたのかい? 店長は何する気? 頼む! 君の知ってることを教えてよ!」
両手を離して真上にあげ、壁に体を預けるフラウに問いかける。
――我ながらせっかちになっている。そんな自分を、どこか冷めてみる私がいた。
ゆっくりと体を元に戻すフラウは、すぐに答えようとしなかった。
はやる気持ちを抑えつつ、私はフラウのまっすぐ見つめた。
「えぇーっとぉ……」
私の視線の逃げ場所を探すように、フラウは目を泳がせている。
「フラウ、これは大事な――」
「ワタシー、ジェンジェン、ワカリマシェン!」
私の言葉を遮ったのに、目を逸らして芝居をするフラウ。
しつこく視線を追ってみたものの、必死に逸らして逃げまくる。
――ダメだ……。これ以上は、フラウが壊れる。
そう思ったのと、
――すでにフラウは思考の限界に達しているのだろう。
冷静に感じてみると、頭から白い煙が立ちのぼっているように思えた。
「わかったよ、とにかく君は奥で休むんだ。いいね? 私も店で休ませてもらう。いいかい。私はいったん寝たら、物音がしても起きない
だが、冷えた空気はフラウも正気に戻していた。
「はい! もうやすみますー! おやすみなさーい」
さっきまでのフラウはどこに行ったのかと思えるほど、素早く挨拶して奥の部屋に駆け込んでいる。
――疲れて歩けないんじゃなかったのかよ……。
でも、これではっきりした。
多分、フラウは店長に何かを聞いて託された。そして、ここに帰ってきて何かをしようとしている。
たぶん、私には内緒で……。
まあ、いいか。
明日街に入れるようになったら、ルップの貴族を探ってみよう。店長の仮説が正しければ、街の人たちは何も知らずに犠牲になるかもしれない。
どうにかして街の人を連れ出さないと……。
「ほんと、ばかなのかしら。ばかよね。怪しすぎよ」
突然姿を現した
「…………。何か理由があるね」
奥の扉は固く閉ざされている。たぶん、いつものフラウなら、あの扉をもう一度あけて覗いただろう。
――しかし、扉はしっかりと閉ざされたままだった。
フラウの気配も、すでに扉の近くにはない。
この感じだと、おそらくソファーのあたりだろう。
「…………。とにかく休もう」
店の閉め方はダビドに聞いてわかっている。このまま開けていてもいいけど、私が寝ていることがたぶん必要だと思う。
本当に寝てしまったのかと思えるほど、あれからかなりの時間が過ぎていた。
案の定、フラウの気配に動きがでていた。何かを探しているのだろう。部屋を色々と動き回っている。
すでに夜は、すっかり夜が板についている。
やがてその準備も整えたのだろう。フラウは、迷わず地竜の所へと向かっていた。
そこで何かを伝えたに違いない。
地竜から話すことはないだろうが、地竜が言葉を理解している事をここの人たちは知っている。
静かに寝床から街道に出ていく地竜。
私が感じているのは知っているだろう。でも、地竜は私に気づかれない演技をしている。
――でも、これではっきりした。
やがて街道に出た地竜は、急いで街道を駆けてゆく。そう、パリッシュの街の方に。
それを見届けて安心したのだろう。フラウはもう一度、奥の部屋へと戻っていた。
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