腕前

 この日は皆が夕食を作ってくれることになった。そこまで気をつかわなくてもいいとは言ったのだが、どうしてもと言われたのであまり固辞するのもよろしくないなと、甘えることにしたのだ。


「落ち着かないな……」


 普段なら俺が夕食の用意をしている時間帯。俺は湯に浸かっていた。家にいても落ち着かなさそうだし、少しでもリラックスできればと来たのだが、落ち着かなさ具合はここでもさして変わらない。

 この世界で暮らしはじめて、もうすぐ1年になろうとしている。ほとんど毎日やっていることだから、時計が無くとも時間を身体が覚えてしまったらしい。

 都にいるとか遠征中だとか、普段とは全然違う環境に身を置けば、また感覚も違ってくるんだろうが、今は普通に家にいるからな。


 せっかくの家族の好意を無駄にしてしまうのもよろしくないなと空を見上げると、月がその歩みを進めている。俺が手に湯を掬ってみると、月はそこに姿を写していた。


「なかなか風流だな」


 掬えたとして手に入れたわけではないのだが、盆栽的に手もとにあるような錯覚を覚える。

 月は前の世界で見たのとは違っている。見かけの形状が円(満ち欠けがあるので球だろうとは思うのだが、それを確認できるものがない)なのは同じだが、こっちの世界の月にはクレーターがない。

 つるっとしているように見える月が淡く光を放っている。それが反射によるものなのか、はたまた自発的に発光しているのかは分からないが、前の世界と同じく眺めていて飽きない光であることは確かだ。

 俺はしばらく身体を温めながら月を眺めたあと、手の上の月を解放してやると、ザブンと湯船に頭まで潜り、湯船から出た。


「おお、美味い!」


 肉を一切れ頬張った後、自然と感想が飛び出た。醤油ベースにニンニクと植物油を混ぜたタレで焼いたものだ。俺が時々出すやつが近い。

 俺の感想にディアナが胸を張った。


「そうでしょ!」

「味をしっかり覚えてたのはリケだけどな」


 ディアナの隣でサーミャがスープを啜りながら言った。やや狼狽えながらもディアナが反論する。


「私も焼いたりしたし」

「それはそうだけど」

「まぁ、焼き加減も大事だから」


 リケが少し困った顔をしながらフォローを入れる。なるほど分業。味付けのほうはともかく、火加減焼き加減の見極めはディアナもかなり腕を上げたようである。


「こっちは今日とれた野菜を入れてますよ」


 ずずいとリディがよそったスープを差し出してくる。朝に俺が作ったときには入ってなかったオレンジっぽい野菜が入っている。


「おお、これもうまいな」


 オレンジのはニンジンっぽい味がした。干したものは良く入れるが、とれてすぐはなかなか入れない。やはり新鮮なほうが味もフレッシュ……な気がする。干して味が凝縮されたようなあの感じも嫌いではないが。

 俺が言うと、リディはふわりと微笑んだ。少しドキッとしてしまいそうな感じだ。俺は慌ててテーブル中央に積んである無発酵パンに目をやった。


「と、するとこれは3人でやったのか」


 サーミャとヘレン、そしてアンネが頷いた。どちらかと言うとパワー系の3人だ。生地をこねるのに力はそこまで必要ではないが、一枚取って齧るとコシというか歯ごたえが俺の作ったときよりしっかりしているような気がする。

 もぐもぐと咀嚼して嚥下するまで、食卓には沈黙が訪れ、3人がじっと俺を見る。


「これもうまいよ」


 俺が言うと、3人はホッと胸をなで下ろす。俺の作ったものも多少はチートが効いているとはいえ、ズバ抜けて凄いってものでもないんだから、気にしなくても良いのにな。


 しかし、これなら当番制でやるのも良いかもなぁ。そんな風に思っていると、サーミャがポツリと漏らす。


「うーん、やっぱエイゾウのが一番いい気がする」


 その言葉に頷く俺以外の全員。それを見て俺は当番制のプランがガラガラと崩れる音を、僅かな嬉しさと共に聞いたような気がした。



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