みんなの“ただいま”

 ボーマンさんに先導されて、屋敷の玄関へとたどり着いた。サンドロのおやっさんに顔でも出せればと思っていたのだが、どうも難しそうだ。今回はカミロ以上に裏方だしなぁ。

 まぁ、今後機会が無いわけでもなし、また店へ顔を出せば良いだけだと思うことにしよう。


 ボーマンさんが玄関の扉を開けると、クルルとルーシーが待っていた。いつの間に先回りしたのやら、カテリナさんがルーシーをモフり倒している。ルーシーもしっぽをパタパタしているので、多分お姉ちゃんに遊んでもらってるくらいの感覚なんだろうな。


「ルーシー、帰るよ」


 俺がそう声をかけると、ルーシーは「わん」と一声上げて荷車にピョンと飛び乗った。飛び乗り方も様になっていて、もう危うい感じはない。すくすく育ってるんだなぁ。

 モフっていたカテリナさんが恨めしそうな顔をしてこっちを見た。


「そんな顔をされても……」


 俺はため息をついた。まさかルーシーをここに置いていくわけにもいかない。狼の魔物ということ以上にうちの家族だし。


「広いお屋敷ですし、番犬を飼うよう進言してはどうでしょう」

「子犬から?」

「成犬よりは環境に慣れてくれるでしょうし、子犬を入手できるならその方がいいのでは」


 前の世界ではペットを飼った経験がないので良くは知らないが、子供のうちに環境に慣れさせたほうがワンちゃんも違和感が少なかろう。


「なるほど……」


 おとがいに手を当ててカテリナさんは考え込んだ。あ、これ本当に言おうとしてるやつだな。今度来た時にはルーシーの遊び相手ができてるかも知れない。


「それじゃ、また。今日は色々とありがとうございました」

「ああ、すみません。どうぞ道中はお気をつけて」


 俺たちが荷車に乗り込んで声をかけると、カテリナさんは慌てて居住まいを正して言った。頭を下げる仕草は先程までの印象とは違って優雅だ。この人も奔放なだけで悪い人ではないし、能力はちゃんとあるのだ。……あるよな?


 俺たちは全員大きく手を振って屋敷に別れを告げる。ルーシーも負けないくらいにしっぽを振って、別れを惜しんでいる……ように見える。頭を上げたカテリナさんも、俺達に負けず劣らず手を振っていて、それはお互いが見えなくなるまで続いた。


「いやぁ、畏まった場はなかなかにキツいな」

「しょっちゅう出てれば慣れるけどね」


 俺の言葉にそう言って笑うのはディアナだ。アンネがその横でうんうんと頷いている。


「マリウスの配慮であまり関わらなくて済んだけど、下手すりゃ腹の探り合いと言葉の刺し合いになるんだろ?」

「そうねぇ……」


 今度はアンネが答えた。


「多くの人を集めるための大義名分ってそんなにないし、人が集まればそこには多かれ少なかれ、そういったことが発生するからね。それで自分たちの将来が左右されるかもと思えばなおさらよ」

「うへぇ」


 俺は自分の顔が苦虫を噛み潰したようになるのを自覚した。聞いてるだけでも胃に穴が開きそうだ。つくづく貴族社会には向いていない。


「やっぱり、俺は森で鍛冶屋をしながらのんびり暮らしているのがいいなぁ」

「その方がいいと思います」


 グッと力を入れて言ったのはリディだった。エルフだし、身体の都合があるから森での暮らしのほうが適していると言うのは大きいだろう。それにうちの畑も彼女のおかげでさまになってきたところだし。


「そう言えば、体調とかは平気か?」

「ええ。あれくらいの時間ならなんともないですよ」


 ニッコリと微笑むリディ。さっきまでのドレス姿も綺麗だったが、やはりいつもの笑顔があるとホッとする。


「エイゾウが森を出て暮らしてるところってあんまり想像できないんだよな」

「アタイも」


 そう言ったのはサーミャとヘレンだ。出会ったときには森にいたから余計にそう思えるのだろうが、俺自身も鍛冶場のことがなくとも、例えば街に住む気があるかと言われたら無いからな。

 2人の言葉に御者台のリケが困ったような声で続く。


「それに、親方に鍛冶屋を辞められてしまうと、私が困ります」

「それだけは絶対にないから安心しろ」


 俺がそう言うと、リケは大きくため息をついた。貰ったチートは鍛冶屋だから……とは言えっこないのだが、どのみち今の生活が性に合っていると実感することも増えてきたところだ。わざわざ放棄するつもりはない。


 そしてクルルの牽く竜車は都を抜け、街道に差し掛かる。話は今日の式の話から、少しずつ家の話に変わってきた。

 内容はと言えば畑の作物がどうとか、そろそろ暑くなってくるから干し肉よりも塩漬けにする方を増やしたほうが良さそうで、それならカミロに買う塩の量を増やすことを頼まないととか、そう言った日常のことだ。

 みんな少しずつ、ちょっと変わった一日から“いつも”に戻りつつある。


 森の入口に差し掛かる前、太陽が世界を茜色に染めはじめた。松明の準備だけして草原の向こうを見ると、太陽はその姿を半分ほど隠している。

 渡る風になびく草がキラリキラリとその光を反射し、太陽が草原をそっと撫でているようにも見えた。


「ずっとこうやって平和だといいんだけどな」


 ボソリと俺がいった言葉に皆頷いた。俺から見えている風景はこんなにも平和である。しかし、見えていないところでは今も何かが起こっているはずなのだ。

 その全てを止めることはできない。チートがあっても俺はただの鍛冶屋のオッさんでしかない。でも、それでも、


「見える範囲が平和であることなら、なんでもやっておきたいな」


 そしてそれが“いつも”になればいいなと、そう思った。


 そうして、日が落ち松明に火をつけて森に入る。もう既にここらは勝手知ったるところだ。この森の動物達も俺たちに慣れているのかなんなのか、サーミャの鼻にもヘレンの気配感知にも何も引っかからず、クルルはご機嫌で竜車を牽いていく。

 もしかすると森の入口から最短ではないかと思うくらいの時間で家にたどり着いた。

 今日はなかなかに波乱万丈だったな、そんなことを思いながらみんなでクルルから荷車を外すと、なんとなし全員で家の前に並んだ。クルルとルーシーも一緒に並んでいる。

 松明の明かりに家が照らされている。見ようによっては不気味と言う人もいるかも知れない。だが俺は安心感を覚えていた。

 しばらく誰も何も言わないでいたが、見かねたのか並んだ誰かが「せーの」と言った。この後に続く言葉は決まっている。


『ただいま』


 全員で言って、俺は家のドアを開ける。こうして、俺達は“いつも”に戻っていくのだった。


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長かった9章もこれにて終了となります。

次回から10章になりますが、その前に一度人物紹介を挟んで再開となりますので、その旨ご承知おきくださいますようよろしくお願い致します。

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