お帰りは報酬のあとで
この世界には引き出物、という文化はまだ存在しないらしい。配るのに適した品物というのがさほどないし、食べ物は消費期限的に色々問題が起こることもあるだろう。
アレって前の世界の外国にはある文化だったのかな。他所の家の記念品を貰ってもな、とは日本人の俺も思ってはいたが。
後日アンネに「食べ物のお裾分けってあるのか」と聞いたところ、
「庶民同士ならともかく、貴族同士の場合は毒殺の危険を考えるとちょっと」
「仲が良くてもか?」
「それでも例えば誰かが渡したパンを食べた直後に死んだら、毒がパン以外に仕込まれていても、そもそも毒なんかなくて単に急死しただけでも疑われるでしょう?」
「そりゃそうだ」
陰謀として「誰かが食べ物を贈った」後に別のもの(例えば日常的に飲食しているようなものだ)に毒を仕込んで、贈り物を食べて中毒すれば当然贈った品が疑われるし、可能性としては低いだろうが食事中に脳梗塞や心筋梗塞で突然死なんてこともあり得るわけで、その時にたまたま自分の渡した何かを食べていたら前の世界でも一旦は疑われるだろう。ましてやこの世界では、ということだ。
そんなわけで特に手土産のようなものはなく、客は呼ばれた順にホールから退出していった。前の世界なら扉に新郎新婦とそのご家族が立っていて延々挨拶している場面ではあるが、そう言うものもない。呼ばれる順は馬車が用意できた順のようだ。うちは最後に会場を後にすることになる。着替えなきゃならんし。
侯爵は結構後の方だった。貴賓でもあるから最初の方なのかと思っていたが、偉い順とかそう言うのはないらしい。
これも後日アンネに聞くと、「偉い順だと最初に出てきたのが一番偉い人と丸わかりで、襲撃したい人間にとっては好都合だからバラバラに帰す」のだそうだ。勉強になるなぁ……。
出際に侯爵が俺の肩をガシッと掴んだ。ヘレンがスッと前に出ようとするが、俺は手でそれを制した。
「よろしく頼むぞ」
それが新郎新婦のことなのか、王国のことなのか、はたまたヘレンのことなのかは分からない。だがそこを尋ねるのも無粋というものだろう。
俺は言葉には出さずに頷いておいた。王国のことは知ったことではないのだが、他の2つについては改めて念を押されずともだし、なんとなく王国のことではないだろうなというオッさん同士の信頼のようなものでもある。
侯爵は満足げに頷くと、ノシノシと出ていった。結構きこしめしていたはずなのだが、足取りはしっかりしている。それでもああ言う言葉がポロリと出てくるあたり、常の精神状態ではないんだろうな。
その後、幾人かの来賓が出ていき、俺達と新郎新婦だけになった。ジュリーさんのご家族も他の部屋だかに移動しているし、カミロも気がつけば姿が見えなくなっている。
「今日は本当にありがとう」
「いや、こちらこそ。こういう場に呼んでくれて嬉しいよ。2人共末永くお幸せに」
差し出されたマリウスの手を俺は掴んだ。これから先、彼にはいろいろと付きまとうのだろうが、ジュリーさんと2人で支え合って乗り切ってほしいものである。
いや、彼らには“災厄避け”の加護がかかった指輪もあるのだ、滅多なことは起こるまい。少なくともジゼルさんの説明ではそういう事になっている。
マリウスは握手しているのと逆の方の手を見せながら言った。
「この指輪の報酬は別室に用意してある。受け取ってくれ」
「分かった。でも、お前から渡してくれるんじゃないのか?」
「まぁね」
マリウスはニヤリと笑う。何か事情があるんだろう。新婚さんだし、早いとこ2人きりにしてやるほうがいいってものあるか。俺はグダグダ言わないでおいた。
ボーマンさんがタイミングを見計らって「こちらです」と案内してくれたので、皆で後をついていく。ホールを出る時に、俺は振り返った。
「あの2振りはプレゼントだからな!」
大きめの声で俺がそう言うと、マリウスは笑いながら、
「分かってるよ!」
と負けず劣らずの声で返してくるのだった。
ボーマンさんに案内され、途中でうちの女性陣と分かれて違う部屋に入ると、使用人さんたちが待ち構えていた。まずは着替えだ。テキパキと着替えさせられていつもの格好になると人心地がついた。俺は肩を回しながらボヤく。
「やっぱり貴族の服は肩が重いなぁ」
「あら、よくお似合いでしたのに」
「そうですか? でも、こっちのほうが気が楽でいいです」
「それは私もわかります」
そう言って使用人さんと俺は一緒に笑った。この家の使用人さんたちとはどれくらいの付き合いになっていくんだろうか。できればあんまり緊張しない間柄でいたいものだが。
着替えを済ませて外に出ると、再びボーマンさんが「こちらです」と案内してくれる。この人にも随分とお世話になっているし、そのうち何かで返せないものか。
今度マリウスにそれとなく聞いてみるか。サプライズを仕掛けると言えば、きっとノリノリで手伝ってくれるだろう。
そんな考えをおくびにも出さないように、廊下を進み、やがてあまり広くはない部屋に通される。女性陣は時間がかかっているのだろう、まだ到着していないようだ。あれだけのドレスと化粧である。
着替えだのなんだのには時間がかかって当たり前なので、俺がゆっくり待とうと椅子に座ると、ボーマンさんが部屋の外にいた使用人さんから袋を受け取って持ってきた。
「こちらが主人より預かりました報酬でございます。どうぞ検めていただきたく」
「わかりました」
ボーマンさんが差し出した袋を受け取ると、ズシリと重い。これが金貨だとすると結構な額のはずだ。
うーん、今回はメギスチウム加工の勉強にもなったからこんなにいらないんだけどな。そう思いながら、袋の中身をテーブルの上に出していくと、思ったとおり十数枚の金貨が出てきた。
しかし、この枚数でもまだ重さに合わない。俺が袋に手を入れると、こぶし大の何かに手が触れた。取り出すと、金色のような青いような金属の塊が現れる。
「これは……?」
俺が思わずボーマンさんの方を見て言うと、彼は珍しくいたずらっぽい顔で笑った。どことなく何かを企んでいるときのマリウスに似ている。
「そちらはアダマンタイトです。今回の報酬の一部になります」
微笑みながら、サラッと言われた言葉。その単語が何であるかを理解して、俺は少しの間身動きができないでいるのだった。
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