踊りましょう

 完全に壁のシミになるつもりであった俺に妙齢の女性が話しかけてきた。

 彼女は淡い黄色のドレスを纏い、ボブカットの銀髪。身長は俺よりも少し低いくらいだろうか。

 全体にあまり飾らない感じだが、銀細工のように輝く髪には小さなルビーだろうか、紅い宝石のついた金色の髪飾りをしていて、そこがやけに目立っているように感じる。


「私と……ですか?」


 俺は自分を指差した。俺のそばから妙な殺気を感じる(心なしか俺の方にも向いてるような気がする)が、この女性からは特に怪しい気配は感じない。サーミャとヘレンが動かないところをみても特に俺を害するつもりはなさそうだ。

 問題はこの女性を俺が全く知らないということである。この世界に来てからの記憶を全て掘り起こしてもこの人に会った記憶はない。

 向こうがどこかで俺も見かけて一方的に知っているパターンだろうか。


「ええ」


 女性はニッコリと微笑み、静かに頷いた。そっとディアナとアンネのほうを見ると、ディアナが近づいて耳打ちしてくる。


「女性から誘った場合にお断りするのは失礼になるから、受けときなさい」

「何らかの関係性の始まりを承諾するものではないよな?」


 俺が聞くと、背中をギュッとつねられた。なるほど肩パンははしたないな。俺は痛みを顔に出さないように女性に微笑みかけながら言った。


「このような場は慣れておりませんので、お見苦しいかと思いますが、それでよろしければ」

「もちろん。私に任せていただいて大丈夫ですよ」


 再び微笑む女性。俺は彼女の手を取って、少し空いているところへと進んだ。


 その時、先程まで楽団が演奏していた曲が、少し賑やかなもの――多分会話の内容が隠せるようにだろう――から、ゆったりとした曲に変わった。その代わりなのか、音が大きくなっている。

 これは俺が踊りやすいようにという配慮なのか、それともたまたまなのか……。考えていても仕方ないので、女性の両手を取ると曲に合わせてステップを踏む。

 前の世界で社交ダンスでもやっていれば別だったのだろうが、あいにく俺にその経験はない。当たり前だがウォッチドッグがくれたチートにも“ダンスの才能”なんてものは含まれていないので、見る人が見なくても酷いものではあるだろう。

 少し踊ればそれはすぐに露呈する。苦笑ともなんとも取れない声が曲の向こうから薄っすら聞こえる気がしてきた。それはこの女性も理解しているはずで、まとめて恥をかきたいわけでないとすれば、だ。


「で、お話はなんでしょう?」

「あら、素直に踊りたかっただけ……と言っても信じてはもらえなさそうですね」


 いたずらっぽく言った言葉に一瞬眉を顰めると、女性は諦めた顔になった。目つきが悪いだけなのだが、思いの外効果が出てしまったらしい。


「では手短に。私はアネットと申します」


 アネットさんはそれがダンスの振りの1つであるかのようにお辞儀をした。合わせて俺も頭を下げる。


「有り体に言えば王国王家の係累、ということになります」


 止まりかける俺の手を引っ張ってアネットさんは俺を動かし続ける。


「まぁ、この場にいるということは、あなた達に興味はあれど敵ではありません。立場的にはむしろ逆ですね」

「素直にはいそうですかと言えるような感じでもないですけどね」


 俺はなるべく表情を変えずにそう言った。包み隠さない心情である。


「そうですね」


 アネットさんは苦笑した。怪しまれて気分を良くする人はそう居るまい。


「で、その王家の係累さんがどういった御用で? 特注品なら……」

「『“黒の森”の工房に打ってもらう本人が1人で来ること』ですよね」

「ええ」


 踊りながら話すと足元がとっちらかるな。つっかえつっかえ、ギリギリ見れなくもないステップを踏んでいく。


「今そっちは興味ないんですよね。もう1つの方を話しておくと、私の仕事は密偵のようなものでして」


 俺の中の警戒レベルが1つ上がる。デフコン4ってところだ。


「ま、今日のところは特に何もないですよ。顔つなぎに来ただけですので」

「へえ」


 俺は完全に感情をシャットアウトして返事をした。アネットさんが更に苦笑する。


「ちょっと困った事態が起きそうでしてね。最後の切り札か、それに近いところであなたにお願いすることが出るかも知れません。その時になってから慌てて顔をつなごうとしても遅いので今のうちにというわけです」

「幸い潜り込めるいい機会もあるし?」

「そうですね」


 アネットさんは今度はニッコリと笑った。


「そういうことなので、どうぞよろしくお願いします。あ、“ご家族”には如何様にもご説明くださって大丈夫ですよ。皇女殿下にも。そちらのご家族になにかあるのはこちらとしても本意ではないので」

「助かります」


 誤魔化さなければならない場合、どういうカバーストーリーを用意したものか頭を悩ませなければいけないところだったが、ありのままに説明していいとなれば気が楽だ。

 どこまで信用してくれるかは別だけどな……。


 俺とアネットさんは最後に一礼をして、元いた場所に戻っていく。交わした会話の剣呑さとは真逆の温かみのある拍手が俺たちを包んでいた。


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