指輪
「やあ、久しぶりだな」
部屋に入ってきたマリウスは何事もないかのようにそう言った。いやいや。
「依頼人ってお前が?」
「そうだ」
俺の質問にマリウスは大きく頷いた。
「この店が忙しそうなのとも関係あるって?」
「そうだな」
再び頷くマリウス。2つを結びつけるものが見えてこない。
俺たちが混乱しているところへ、マリウスは言葉を続ける。
「これはもっと早くに知らせておくべきだったとは思うのだが」
マリウスは一旦そこで言葉を切った。部屋を一瞬の静寂が支配する。ディアナの鼓動の音すら聞こえてきそうだ。
「近々結婚するんだよ、俺」
「は?」
普通に考えれば俺の第一声は「おめでとう」で然るべきなのだろうが、俺もディアナも、他の皆もどう反応して良いやら分からず、完全に時間が止まっていた。
マリウスはそれを気にせず、まくし立てるように話し続ける。
「前々から話だけはあったんだけど、もう少し先になりそうだったんで言ってなかったんだが、ここに来て急に動き出してなぁ。それで俺もカミロも準備やら何やらで、てんてこまいさ。今日は本当はサボ……調達してもらう品の確認に来たんだよ。そしたら丁度エイゾウが納品に来たってんで都合がいいやと」
「お、おう」
普段ならツッコんでいただろうが、今の俺はそう反応するのが精一杯だ。
「それで、エイゾウに頼みたいことってのはだ、指輪を作って欲しい」
この世界にも指輪をする習慣というものはある。結婚指輪の習慣もだ。ここらはインストールでの知識だが。
その指輪を俺に頼みたい、と言うことらしい。聞きたいことは山ほどあるが、話の核心はそこだ。
指輪かぁ。鍛冶のチートが及ぶ範囲なのだろうか。少なくとも生産のほうは適用されるだろうが。それに例の「1人で森の工房まで依頼に来ること」と言う条件の話もある。
ただ、あれは「ホイホイとんでもない品質の武器を打ってやるわけにはいかない」ので、相手が帝国の皇帝だろうとそういう条件にしているだけだ。
装飾品をとんでもない品質、例えば戦斧でぶっ叩いても壊れないようなものを作ったところで誰が困るもんでもないし、それで世の中の何かが変わってしまうこともないだろう。
それに今回は依頼人が依頼人である。友人の結婚祝いに何かしてやれるのなら、できればしてやりたい。
「まぁ、例の条件は武器じゃないからってことで免除するとしてだ。どういう指輪をご所望なんだ?」
まさか鋼で作るわけにもいくまい。なんらかの貴金属だろうが、それをうまく細工できるかどうかだ。
「先方の親族が張り切っててなぁ……。指輪2つ分というほんの少しだけだが、メギスチウムを頂いてしまった」
メギスチウム。この世界に存在する金属の1つで、普段は指で捏ねることができるほどに柔らかいが、うまく加工すれば比類なき硬さを得られる金属、である。色は金色。
この「うまく加工すれば」が曲者で、過去に数多の鍛冶師が挑戦してきたが、指輪1つ分でも成功できた者はほとんどいない、らしい。
それでも産出量がかなり少なく希少性があるのと、「形を自由に変えられる金」というその特性自体に物珍しさもあって、かなり高価な代物だ。価格だけを見ればこれ以上の贈り物もあるまい。
だがしかし、である。俺は疑問をそのまま口にした。
「その親族は結婚指輪には向かないと知ってて、メギスチウムを寄越したのか?」
そう。そんなに加工が難しいものなら普通は柔らかいままにしておく。そしてそんなものは指輪には向かない。ましてや結婚指輪である。通常なら微塵も考えないことだろう。
「それがなぁ」
マリウスは俺の言葉を聞いて、天を仰いだ。そこには俺は見慣れている天井があるだけだが、マリウスには誰かの顔が浮かんでいるらしい。
マリウスは大きくため息をつく。
「親族ってのはお前も知ってる侯爵閣下なんだよな」
今度は俺がため息をつく番だった。なるほど、自意識過剰かも知れんが、俺がいるのは織り込み済みってわけか。
「なるほど、しばらくはのらりくらりするもんだと思ってたお前が結婚を決めたのはそれか」
「まぁ、大きな要因ではあるな」
侯爵、それもかなり恩のある相手が持ち込んできて進めようとしている話に、伯爵であるマリウスが抵抗できるはずがないな。今後を考えても断る理由がないし。
「で、いつまでにいるんだ? まさか来週とは言わんだろうな?」
「散々エイゾウに無茶は言ってきたけど、さすがにそれはないよ」
マリウスは肩をすくめた。前の納品の時には何事もなかったわけだから、決まったのはこの2週間ほどの間ということになる。
それでもとんでもなく急な話ではあるのだが、さすがにそこから1週間、つまり全部で3週間かそこらで全ての準備を終えろとは言われていないらしい。
「式は来月の末に行われる」
「その間に、ってことか」
頷くマリウス。それでも2ヶ月ほどで準備せよ、と言うことだ。恐らくは侯爵側に何か急がねばならない理由が出来たんだろうな。
その辺は王宮なりの内部事情だと思うので、俺は積極的に知ろうとは思わないが。
俺は再び大きくため息をつく。
「仕方ない。やってやるよ」
「すまんな、ありがとう」
差し出された友人の手を、俺はガッチリと握った。
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