遠き年月の、無念と哀しみと願い

***


「――ってぇっ……」

「王領寺!」


 王領寺は蹲ったまま、やがて動かなくなった。


 ――嘘、だろ……穗積の刀、光ってる。刃先には大量の血がこびり付いていた。


足が竦む。

高校生がたった一人。鬼と向かい合えると思うのか!


 穗積はどこか夢うつつで、長柄の首に刀の刃先を向けた。


「月が綺麗どす。――長柄はん。大昔の処刑は月夜の下やったんやで。そのほうが、死しても異形になるからと。人は怖ろしいやろ……怖ろしいんや! 欲望のためには、平気で人を斬る。――教えたるわ。この刀がなんで、寺に残されたか」


「……和宮の偽物を斬ったからだろ」


 穗積が動きを止めた。「おー、いて」と王領寺はこきっと腕をさすり、首を撫でた。


「その刀、刃が役に立ってねえんだよ。何かの血で、錆びてる。いくら振り回したところで、人なんか斬れるかい。気付かなかったのか? 和宮の血に護られてんだ。俺の新説、聞くかい? 和宮は、江戸に行くはずだった。しかし、替え玉が「和宮」になった以上、和宮は存在を消された。替え玉と本物が入れ替わったと思えばいい」


「聞きたくないわ! ――おんどれ、気に入らん」


 穗積は憎悪の目で、王領寺を睨み、王領寺は「まあ聞け」といつもの口調。


(殺されかけてるの、分かってるのか? あたしなんか、足が竦んだのに)


「当然、有栖川宮のところへかけつけるわな。人形抱いてさ。二人が会ったのが、ここ、三条大橋。和宮は辛かっただろうぜ。それでも、愛を取って、替え玉計画を実行した。というよりは、勝手な男がいたんだ。妹を手放したくない――孝明天皇だ」


 穗積の表情は、月明かりの下で見えない。それでも、手が震えているは分かった。



「俺には解せないことがあるんだよなぁ。……歴史を調べていくとな、ぱったりと有栖川宮の歴史が幕末で一度不明になって、また明治末期・大正初期に現れる。ま、こっちは陸軍大将まで続いて、大正で世継ぎなして断絶だ。俺の持論には、断絶はそうそう出来ない、と言うのがあるんだが」


「もうええどす……父はうちが殺した。それでええやないですか」


 王領寺は穗積にしゃがみ込んだ。


「一度、有栖川宮は滅んだんだ。そして、二つに分かれた。おまえは、闇のほうだ。和宮を手にかけた懺悔と、贖罪。それがかぐや姫物語に近しいのは、偶然じゃないな。かぐや姫の謎と解釈は今だに不明。――和宮から明かになれば、カネは転がり込んでくる。遺品付きなら、尚更だ。俺はさ、言いたい」


 王領寺は美貌を月に晒して、にこりと笑った。



「――和宮を護ってくれて、ありがとう」



「拍子抜けるわ。……殺しても、死なんし。なんや、こんなボロ刀。人形と一緒に追い出したるわ……京都弁を抜けんし。ぼくは贖罪を背負って生きるなんて冗談じゃない」


 口調が、穗積に戻った気がする。

 長柄は王領寺が太刀を受け取ったのを確認すると、穗積に近寄った。


「――ね、聞きたいことがあるんだ。蜜柑おばあちゃん……」


「生きとるやろ。うち、同じ刀で背中斬ったつもりやったよ。それも苦しませたくないからな、一撃でな。斬れんなど、思うか。久方ぶりに抜いたんや。試し切りなんぞするかい」


「違うよ。――これ以上、罪を重ねないように、何かが護ったんだよ。でもね」


 長柄は掌をぐんと広げた。ぱん! と三条大橋に音が響き渡る。


 穗積は目をぱちくりさせて、頬を押さえて長柄を見ていた。


「大切なもの、あるでしょ! 和宮さまの手と、あとは何! ……知ってたんでしょ。穗積さんは、蜜柑おばあちゃんが長くないこと。おばあちゃんは言ったよ! 『うちがいなくなったら、あの子が一人になってまう。最後は孫の手で殺されるなら本望――』って。千本桜なんか、もうこの世には存在しない! いくら、和宮に謝りたくても、謝れないんだよっ」


 穗積がはっとした。


「聞こえた? ――あんたの中の、何かに。巫女見習いをなめるな! ずっと取り込まれてんのは、あんたのほうだよ! 和宮の人形も、太刀も、呪いなんて思ってない。でも……出来ることなら、一緒にしてあげたい。その一心だったんじゃない?」


 涙が溢れてきた。

 遠き年月の、無念と哀しみと願いがすべて集まったような気がしたから。和宮さまの左手にあったもの……それはきっと。


(愛する人自身)


 この三条大橋で、触れてはいけない約束を破ったから、腕を切られたのかも知れない。

 王領寺の手を掴んだ。この手が切り離されたら、王領寺は、長柄の手を拾って、護ってくれるだろうか。


「――穗積、もしも、おまえの言う通り、親父さんをおまえが殺したとしても、既に自殺と断定されたんだ。怯えることはない。おまえが怯える事実はなんだ。一番、目を背けてきた部分だ。歴史の護り人として、捨てねばならなかったもんだよ」


 穗積は乾いた笑いを零す。


「――独りになることや。此の世で、たった独りになってまうこと。いよいよ闇の有栖川宮も断絶だ。二度と、迎えたくないと何かが騒ぎよる。でもな、何より断絶を願うんは」



 穗積は月を振り仰いだ。



「そうやな。蜜柑……みかんのばあさんがのうなったら、うちは独りやさかい。そんが一番怖ろしゅうて……ばあばのそばにいられるならとばあばの真似で京都弁を覚えたん思い出したわ。舞妓の喋りが優しくてなあ、今はしわぁっと笑いよるが――……」


「大切なもん、ちゃんと、あるじゃん。独りじゃないじゃん!」


 王領寺がハンカチで鼻をかみだした。長柄も涙腺が壊れたように、橋にぼたぼたと涙を落とす。


 怨念の染みこんだ三条大橋が、こんなちっちゃな小娘の涙で癒やされるとは思わないけれど。小さな願いと、ここにもまだ、貴方たちを案じている歴史バカがいるということは分かっただろう。


「お寺、戻ろうよ。おばあちゃん、倒れてたら大変!」


 ――歴史の偉人さんたち、現在も悪くないよ。まだまだ、貴方たちを救いたい人たちはいると分かったでしょう。だから、ゆっくり眠ってください。


「長柄、何、橋に手を合わせてたんだ。オマケがついてくるぞ」


「うん、ちょっとね。ねえ、王領寺。あたし、ちょっとは巫女っぽかったかな。あたしには分かったんだ。穗積さんを縛り付けてるもんが」


「へえ」

「へえって! んっとに興味ないんだね! もういいよ! 多分だけど、手を切ったのは……いいや、やめとく! あんた泣きそうだから」



 王領寺は「助かる」と肩を竦めた。本当に、素直なんだから。

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