話は京都大火へ巻き戻る

「手が、指が、ちゃんと残って……ちょっと、驚いて……」


「――大切なものを探しておるんやで――曾ばっばはそう言うた。大切なものを掴むために、指を広げたままなのだと。なんでっしゃろな。わてらのご神体どすな」


「これが、ご神体……ねえ、おばあさん。和宮さまは、京都にいたんだよね」


 蜜柑のような婆は小さく喉を鳴らした。



「でも、その頃、江戸にお嫁に行っていたはずでしょ? ――どっちが、本物? それに、ちゃんとお話できたんですね」


 確か、蜜柑婆は呆けたと穗積は告げた。しかし、目の前の蜜柑婆の口調は、王領寺と並ぶくらい、歴史に溢れている。


「すべて上手くゆくはずじゃった。江戸で、和宮②が本当に御公儀を愛さなければじゃ。途中で入れ替わる予定だった。――京都の和宮はゆきばをなくして」


「ここに、来た。――江戸の将軍にお嫁に行くはずの、皇女が……」


 長柄は息を飲んだ。


 多分、有栖川宮とここで逢瀬を繰り返した。宮さまのお寺。しかし、この寺は――。



 京都大火。

 長州藩の脱退路とされ、新撰組と、志士が入り乱れた。



(まさかと思うけど。……公武合体の引き金が、和宮――……?)


 もう知る術はない。

 王領寺はなんと答えるだろう。というか、どこへ行ったんだ。


「舞妓ん時からな。記憶はあるさかいな」


 蜜柑婆は足を引きずりながら、首を振った。


「……穗積の前では、呆けた振りをしておる。庵主のうちが、狂ったら、あの子は一人や。真実を忘れた、婆。そんでええどす。――大切な孫やからな。これ以上、狂わせとぅない」


 長柄は言い返せなかった。


 気持ちがわかる。大切なものや、気持ちは、触れずにそっとしておきたい。傷付いてしまうから、そっと心に仕舞って、外には出さず。


 愛する人をひとりぽっちにさせてしまうなら、真実から目を背けて、にこにこ終の棲家を迎えたいと。


 ――指、もう動いて、ない。……ご病気なんだ。


「末期なんどす。――延命はしまへん。生きて、終わる。それも天命さかいな。最後まで抱えるんは、尊厳や。――この寺は尊厳で支えられておる。有栖川宮は断絶した。それでも、わてらは最後の当主に全てを背負わせ……」


「穗積さんが大切なんだね」


「せやから、止めて言うてる。――穗積は和宮さまの手に堪えられず、人形の手を折った。人形の数々を売りに出そうとした住職――うちの息子と揉み合って……」


「お。おおおおお」噎び泣く婆の背中を撫でた。


「――あたし、八幡宮の巫女よ? 天照さまは、みんなを護る女神サマ。祝詞もあるけど、あたし、まだ覚えきってないんだ。――だから、約束するよ。心から、あたしは立ち向かう。まだね、何かしてあげられるとか、大それたコトはできない。でもね、心から立ち向かうことだけはできるよ。和宮さまのためにも」


 ――あたしも推理してみようか。


 今、やるべきことを見つけるんだ。


(京都と江戸、そして道中に和宮さま。三人が存在したと王領寺は言い切った。江戸に向かった和宮さまは、将軍のお嫁さんになった。――時は過ぎて、和宮さまが埋葬された時、左手は無くなっていた――)



 その左手が、この寺にあって、たったいま、長柄の前に現れた〝ご神体〟。


 王領寺は様々なコトを無作為に言い切る。でも、多分、わたしたちがぼーっとしている間も、何か一つ見つけると、多分ジェット機の速さで考えてるんだと思う。

 頭で資料を数万冊めくって。ああでもない、こうでもない、ちゃんと一人で考えて。


 結論を見つけるのが早いんじゃない。



 ――ほんの僅かな時間。

 ――ほんの、小さなきっかけを大切にしているだけの話。



(うふ、教授扱いが荒い! とか言ってた)


 だから、和宮さまは三人いた。これは正しい。


「素敵だったよ。宮様の数々の品。――王領寺はずっと歴史のお姫様や、妃を追っているんだ。女性贔屓なんだよ。歴史の女性がライバルだよ、あたし」


 蜜柑婆はシワァ~と笑顔になった。


(仲良くなれそう)と嬉しくなる。蜜柑婆に、一度でいい。桜雛八幡宮を見せたい。


「おばあさん、あたしの八幡宮のお話、していい?」

「ええよ。――疲れたやろ。穗積、お客に平気で仕事押しつけよる。ええな、飛騨高山か。昔、偉いおっさんがよう、飛騨高山の「さるぼぼ」の話、しよったで。素敵なところなんでっしゃろなぁ」


「うん。春にはね、御所にあった桜が咲くんだ。黄色い花に、赤い筋が入ってる。ちょっと珍しい品種でね。子供達がいーっぱい来るんだ。入学式シーズンで、もうすぐ鯉がいーっぱい来るんだ」


「放生会(ほうしょうえ)やね……是非、うちの代わりに、穗積連れてったって。いつまでも、断絶の血に籠もってたらあかんどすえ。――少し、世界を見た後でも、遅ぅない」


 涙を拭ったが、泣き腫らすのは失礼だ。ぐっと堪えた。


「春になったらさ! おいでよ! あ、すぐ幽霊と仲良くなる姉とか、突然帰ってくる困った姉とかいるけど、あたし、末っ子なんだ。父は気弱だけど、神主になるとしゃきっとするし、母のおすわい美味しいよ」


「そうどすか、そうどすか」と蜜柑婆は何度も頷いた。



 自分の居場所をこんな風に語れるなんて。死期が近い? 嘘だ。蜜柑婆はこの瞬間だって、一生懸命生きているじゃないか。


 ――穗積さんに届かないのかな。


 長柄はちら、と仏壇に目をやった。


「和宮さまの、お手なんだよね……本当に。もう一回開けて貰える? 王領寺に見せたい」


「王領寺はんは、見ぃへんでしょ。――あんたが、そっと伝えておやり。あの人、優しいねえ。ほんに、和宮が好きなんやねえ」


 長柄は複雑な気持ちになりつつ、首を傾げた。紫式部、清少納言、小野小町、藤原薬子、茶々、静御前……長柄のライバルは多すぎる。



「――分かった。でも、もし見たい、と言ったら……」


「こっそり、おいでなんし。うちがおるうちは、見せまひょ。な、何かぶるぶる床が震えとる気がするんどすが」


 長柄も床に指を置いた。


 遠くに置いた、王領寺の携帯だ。見た事もない番号。――しかし、しつこく鳴っている。二十コール目でしぶしぶ出た。


『俺だ』と短いおれおれ詐欺……王領寺である。



「なんで持ち主が、かけて来るんでしょうねえ。あのね! あたし、今、大切な」


『三条大橋で待ってる。そこから歩いて四十分くらいだ。京都の料理でも食べに行こう』


 ――どこで、何して、何をやって来たのか。


『先斗町とはいかないが。うまい料理屋を知ってる。それと、長柄。淫行の話だが、『合意していれば淫行には当たらない』。どうする? 布団用意して貰うか。二時間コースでお願いします。俺、敢えて遅いのが好きなんで』


 遅い?――なんの話だ。セクハラ教授め!


「お食事のみで! 分かってて言うな! 暢気なんだから! あのね、――いいや、そっち言って話すけど! あたし今、お寺さん手伝ってんの! お掃除中!」


『女の子は、じっくり、ゆっくり、1ミリずつが良いんだって聞いて。――あ、寺の掃除?……穗積は?』


 穗積のところで声が低くなった気がする。


「お葬式やってるよ。あたしは控えの人員。――三条大橋だね。もう! 美味しいモノ、食べさせてよね」


『もちろん。太刀の引き取り前に、腹こなしは必要だ。京都料理、堪能しようぜ』


「布団はなしで! ――心の準備くらいさせろ、バカ!」


 言い切って、ぼすっと携帯をポケットに突っ込んだ。

 二台持っているなんて知らないし! 大人は勝手すぎる。


「おばあさん、三条大橋への行き方、教えてよ」


 頬が熱い。



 一緒にいるのに、こうやって会話できる幸せと、興奮……。



〝女の子はじっくり、ゆっくり、1ミリずつが良いんだって聞いて〟


 ふうん。そうなんだ。1ミリずつ来る……。あいつなら、優しそうだな。女贔屓だし。長柄を好きだって言って、受け止めてくれているし。


(許しちゃおうかな)と一瞬浮かんだ桃色思考を、脳裏の竹刀で断ち切った。


(なに言ってんだ! ばかばか)


「長柄はん。そないに頭、叩いたらあきまへん。脳細胞死にますえ」


 げっそりして、床に手を置いた。


(あの、セクハラ台詞! 止めさせないと、あたしの身が持ちません……。嬉しくて、ムズムズするなんて知らなかった)


 携帯を取り出して、口元に当てる。



 ――鏡に映った長柄の表情は、まるで少女漫画のヒロインの「ばかっ」状態で、穗積流に言うと「ほっこり」(うんざり)……。


 もう、仏像になりたい。――和宮さまの手を握ってたほうがいい。



「三条大橋なら、大通りをまっすぐ。ちょっと遠いどすな。タクシー拾うが良ろしゅうございましょ。国道171号線で拾えますわ。で、西国街道へ出て、府道67号線。ま、地元のタクシーなら、寝てても着きますえ。王領寺はん、三条大橋って」


「なにかあるの?」



「三条大橋は、江戸日本橋から京都三条大橋まで結ぶ約百三十五里二町(約534㎞)の街道。皇女和宮様が十四代家茂に降嫁する東下りの時にゆっくり歩いた道どす。ほっとくと、東京まで歩いて行きそうやわ。はよ、行っておやり」



「それは大変だ」


 気が合った蜜柑婆にさよならして、長柄は部屋に引き上げた。王領寺に貰ったワンピースに袖を通して、竹刀を握る。


 ――数多の男女が待ち合わせた三条大橋。王領寺が待っている。長柄と逢うために。




歴史に入り込んだような。どうにも不思議な気分がした――。


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