伽藍の足元には、邪が住まう。歴史は、ちゃんと、人を見とる


 ――王領寺は「今夜の仕掛けをする」と出かけて行った。京都はこの日、雨。

ぼんやりと、(雨が降っていたら、京都は燃えなかったのかな)などと考える。

 穗積と蜜柑婆は、葬式のための喪僧衣に着替えていた。


「――長柄はん、お手伝いよろしゅおすか?」

「あ、構いませんよ。何をすればいいですか」


 穗積はにっこり笑って(いけず)な表情を向けた。


 いけず。というだけあって、穗積は見目は悪くない。王領寺や、天領のような勝ち気な眼光はないが、その分、京都の郷愁を感じさせる、優しい目線の持ち主だ。


「巫女で、色々慣れてます。なんでも言ってください」


「頼もしいどすなぁ」と穗積は微笑んだ。


 ――やはり、この穗積が殺人を犯すとは思えない。だいたい、理由がない。


 長柄は、伽藍に向けて手を合わせる穗積を備(つぶさ)に見詰めた。王領寺の決めつけは、横暴過ぎやしないか。


 伽藍は、大きな空間である。中央には、仏像が数体。「この寺のご神体どすえ」と穗積は告げ、音を立てずに伽藍に上がった。


「長柄はん、掃除、頼むわ。あ、仏像は拭かなくてええ。床と、水拭き。仏さんの祭壇の掃き掃除。掃除ばっかになってもうたさかいな」


「構いません。押しかけて来たのは、こっちだし。……任せて! 掃除は得意」


 上二人の姉、銚子と嶋香が言い合いをする間、大抵長柄はさかさかと掃除を終わらせている。暢気な姉たちのお陰で、掃除の達人になった。


 ――マツイ棒、作ろうかな。


 マツイ棒とは、棒に布を巻き付けた「掃除の達人」の必殺武器である。長柄はそれを羽箒の柄を利用して、埃を払い、細部を磨き上げる。


 見れば、仏さまの足元には、埃が溜まっていた。


「……うずうず」


 長柄は穗積を窺った。背中を向けている。そっと足元に屈み込んだ。ところで、「何しとる、おんどれ」と低い声に飛び上がった。恐る恐る振り返ると、穗積は背中を向けたまま、きつい口調を投げつけて来た。


「お行儀の悪い巫女だな。――あきまへんえ。先祖に怒られてしまうさかい。伽藍の足元には、邪が住まうのどす。……絶対に、触れるな。どうなっても知らんわ」


 これ以上もない冷酷な口調。長柄は「ごめんなさい」と呟いて、床拭きを始めた。


(今の口調……京都弁じゃなかった……穗積さんは、標準語は喋れないって言った。どういうことだ? 考えろ、考えるんだよ、あたしが!)


 王領寺に謎解きは求められない。王領寺は、歴史の謎は解いても、物事の謎に眼中ナシ。



〝お行儀の悪い巫女だな〟



 思い出して、ぞっとした。ちら、と伽藍を見詰める。一つだけ、埃を被った仏像がある。


 白毫と、丸い光背を付けている。後光を表現したのだろうか。見返り菩薩だ。

 ふと見ると、仏像の肩には、埃は溜まっていなかった。


 ――誰かが、触った形跡がある。


「ねえ、仏像も拭いたほうがいいよ」


「――蜜柑婆の仕事だと言うたはずどす。――それに、神さまはあまりピカピカにするものやない。長柄はん、なんで仏像さまに拘るんどす?」


「引っかかるんだよ。……なんか引っかかるし、ここ、お香が強すぎる気がする」


「白香どすな。――葬式前には、浄めとして焚くんどす。宝積寺の伝統やさかいな。香木を焚いて、空気を落ち着かせる。武将ん霊を鎮める意味もあります。あれもこれも。まるでお子たちやな。――王領寺はんは保護者か」


(やかまし)と目で睨むと、「おーコワ」と穗積は首を傾げた。


 ――穗積に気をつけろ。……あの穗積が、そんなヘマするとは思えねえ。

 王領寺の声が脳裏でリフレインする。



 サアアーと京に雨が降り出した――。



***




 宝積寺は敷地が広い。十七烈士の墓だけでも、結構な広さに銜え、本殿の大きさは、八幡宮以上。その上で、宝物庫(地下からしか辿り着けない)、母屋、蔵、別棟、檀家墓地……ちょっとした死者のテーマパークに見える。


 手が足りないからと、穗積に喪服僧衣を渡され、長柄は身支度を調えて座っていた。

 ――と、畳で携帯が跳ね上がった。


(王領寺、携帯忘れたな)


 見れば「犬(調教要)」と表示。天領准教授がかけてきている。


(――どうしよう。オークションの話かな)


 天領は、確か「金梨地有栖川宮家紋高蒔絵糸巻太刀拵」すなわち、有栖川宮の刀紋入りの太刀を落札する役目を担っていたはず。


「――はい」


『長柄ちゃん? 教授は?』


「出かけました。――あたしが伝えておきますが」


『落札させてもらったよ。五百八十万だ。俺の貯金百八十万、持って行かれたけど』


 天領は軽く笑うと、「引き渡しの場所は三条大橋」と告げた。


「え? 相手分かったんですか」


「――システム媒介だからね。俺のメールアドレスも、あっちの連絡先も一切分からない。落札した瞬間のコメント返しだ。入金口座と同時に、送られてきた。教授に伝えたかったんだがな……ふらふらどこに行ったんだか」


 吐息をつくと、天領は一気に捲し立てた。


『三条大橋(さんじょうおおはし)は、京都市にある三条通の橋だよ。鴨川に掛かっているんだ。橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年(1590年)、豊臣の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修。江戸時代においては、五街道のひとつ東海道につながる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が行われた。現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られた。橋の名は、三条通と鴨川左岸(東側)を走る川端通の交差点名だ」


※引用元 京都歴史と橋、ウィキペディア一部抜粋


 天領は声を潜めた。


『多分。教授には最初から絡繰りが見えていたんだ。長柄ちゃん。教えるよ。教授は和宮の専門家だ。その教授が『宝積寺』に向かった時、もう謎は解けていた。和宮の遺品がある寺は『宝積寺』じゃない。『宝鏡寺』――あまりにも符号が合いすぎる。――悔しいなって言って」


 電話が切れた。


 ……この知識の雪崩れの傍で、よく姉はにこにこしていられるもんだ。


〝教えるよ。教授は和宮の専門家だ。その教授が『宝積寺』に向かった時、もう謎は解けていたと気付くべきだった。


 和宮の遺品がある寺は『宝積寺』じゃない。『宝鏡寺』――〟



(では、どうして王領寺は、この寺に踏み込んだ? 和宮さまが幼少に暮らしたからだけの理由じゃない)



 長柄は昨晩の王領寺の言葉を思い返した。


 ――「俺は、その犯人を京都に探しに来たんだ。和宮の遺品なんぞが目的ではないさ。しかし、理由が必要だった」――理由が必要。逢うために、和宮の人形の話や、遺品が必要――……解けそうで、解けない。


「長柄はん、着替え終えたか」


 からりと襖が開いて、穗積が顔を覗かせた。


「あ、はい」

「ほな、頼みますどすえ。――うちは、支度に」

「標準語、喋れるんじゃないですか? 穗積さん」


 穗積の足が、止まった。


「わたしたちを欺くためですか? 京都弁で、誤魔化して。謎が解けない! 貴方が、引っ掻き回して、分からないの!」


 長柄は呟いて、口元を押さえた。


「ほんまに厄介なおなごやねぇ。有栖川宮の宝刀で、いっぺん死ぬがよろしゅうおす。と言えど、宝刀はここにはありはしまへん。――どこへ流されたのか……ま、王領寺はんを信じまひょ。――必ず取り返してくれるさかいな?」


 ぱっと手を離し、穗積はにこりと(いけず)に笑った。


 全てが怪しく思えてくる。京都弁も、いけずな笑顔も、優しい素振りも。


 ――誰を護るために、貴方は鬼になった?


「有栖川宮の太刀、必ず戻す言いましたわなぁ。信じるしかないですやん。……うちは、あんたと、王領寺はんが好きになった。和宮も、これでようやく眠れるんと違いますのん。歴史は、ちゃんと、人を見とる。――全ての人の生き様を見ておるんどすえ。どないに生きたか、どないな罪を犯したか――」


「ねえ、何を、護っているの? 巫女の目は、鋭いよ?」



 聞いたが、穗積はいつもの通り、微笑んだだけだった。胸騒ぎが、した――。

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